第23話 似否似


 あれだけ容赦なく突き放すことになったのだ。もう二度とあの顔を見ることはないだろうと思っていたのだが。


「……あなたたち兄弟はとてもよく似た顔をされているんですね」

から見ればそう感じるかもしれないな」


 熱のない言葉に場の空気が冷え込んだ気がする。本人ではなく兄の、この地の龍帝の顔をここまで長い時間眺めることになるとは思ってもみなかった。

 今立つ地も後宮ではなく内朝の一室。龍帝陛下である目の前の男の執務室だ。行儀悪く机に腰掛けながら、静麗ジンリーは尋ねかける。


「いいんです? ここまで連続して謀を挫かれたとあれば、直接あなたを狙ってくる可能性は高いですけれど。その護衛を私に任せて」

「蛇の道は蛇、火の道は火精。ならばあやかしの対処はお前が最も適しているだろう。あやかし狩人の少女よ」

「…………よくご存知で」


 水母娘娘スイボニャンニャンが知っている時点でおおよそ推測はついていたが、どうやらここに私がいること全てこの龍帝陛下の手のうちだったようだ。


「お前はこれから先に訪れる敵を屠り、私はこの宮に潜む反乱派閥を潰す。目的としてはもっとも相応しいだろう」

「ごもっとも」


 文句を口にはしない。だが不平不満が皆無でもないのだと伝えるべく、仰々しく肩を落とせばこちらを射抜く視線を感じた。


「……なんでしょう、龍帝陛下様?」

「いや……。似ていないな、と思っただけだ」

「?」


 誰に、と問おうとした口を閉じる。それを素直に伝えるような妖柄あやかしがらであるまい。だから代わりに静麗の方も、言いたいことだけをいう。


「あなたや水母娘娘スイボニャンニャンは中立派というけれど、私のような人間の手を借りることに葛藤はないの?」

「あるさ」


 簡潔に帰ってきた答えに続けようとしていた言葉が途切れる。代わりと言わんばかりに龍帝、梓磊ズーレイの言葉が続いた。


「城にいる中立派の大半は、先の戦乱の結果人間に方がいいと判断したものたちだ。五行を操り、いかなる属性のあやかしすらも容易に屠り、先代の龍帝すら殺してのける。そんなものに余計なちょっかいはかけるまいと」

「……人餌派は下に見て、あなたたちは恐怖してるってことね」

「何とでもいえ。お前は尚儀局に身を置いていたな。尚儀の霊羊レイヨウもかつて人に親族を殺されている」

「…………」


 おっとりとした女妖を思い出す。そんな素振りを見ることはこれまで一度もなかった。それも私の正体を知らなかったからだけだろうか。


「殺されたら、憎んだり恐怖するのは仕方ないわ。私だって他所のことは言えないもの。私が生まれた集落はあなたたちに滅ぼされた」

「人の世に存在しているのは千年前の大戦後、国の方針に反発して居残った人餌派の者共だ」

「同じことよ。……人間に手を下さないことを選んだっていうけれど、だとすると梓磊ズーレイ。あんたは颯雨ソンユの復讐に反対なの?」


 敬称を使わないのはせめてもの反発だ。自分が敬意を抱く相手では本来ないのだから。龍帝もそれは理解しているのかなにも指摘せずに問いかけに答える。


「動機があるなら止めはしない。だが奴の動機は空虚だ」

「……空虚って、死んだお兄さんの復讐なんでしょ?」


 自分の在り方を軽んじられたようなふつふつとした憤りが湧く。唇を尖らせれば梓磊ズーレイの首が揺れた。


「そうだな。颯雨ソンユに対して感情のままに殴り蹴りを繰り返し、時に閉じ込め、暴言を吐いた上の兄だ」

「…………」


 静麗ジンリーの目が瞠られる。今は夜だというのに焔の灯った鬼灯がいやに目にちらついた。


「嘘。それって……」

「……天の力を持つ龍は、成龍となったところで皇帝の座に就く。前帝が天龍でない場合はその地位を剥奪されて、な」

「……、……貴方たちのお兄さんは、天龍ではなかったということ?」

「そうだ。そして帝の位を弟に奪われることを、あの愚兄は怯え拒んだ。ならばそうさせなければいいのだと、颯雨へ暴力を振るうことを選んだ」


 吐き捨てる梓磊ズーレイの顔には侮蔑が浮かんでいた。それは些細な変化だったが、ここに彼を知るものがいれば感情を露わにすることにまず驚いただろう。


 だが静麗は目の前の男についてはなにも知らず、だからこそそれ以上に浮かんだ疑問に口を任せた。


「なら、どうしてそんな奴の復讐なんてするのよ、颯雨は」

「さあな。想像なら話せるが結局の本心はあいつにしかわからない。あるいは……あいつ自身にも分かっていないのかもしれないが」

「想像でもいいわ、教えてちょうだい」


 急き立てられるように距離を近づければ、瞠目の後に梓磊は瞳を伏せる。


「まだ、兄上の呪縛が解けていないのだろう。自らは龍の面汚しだと。……あるいは、彼を殺した存在に報復することで、兄よりも力が上だと自分を認めようとしてるのかもしれないな」

「そんなの……」


 救われない。かろうじて出そうになった言葉を飲み込んだ。救いなんて復讐の道を選んだ時点で存在しないなんて、誰より静麗自身が一番分かっている。


「……あれは心を兄に壊され、その兄が死んだことで壊れた破片を取り戻す術すら分からなくなっている。出来損ないだと言われた自分を認めるための方法を探しているんだ」

「認めるための方法が、復讐だと?」

「そうだ。自分を蔑んだ相手を殺した者を殺すというのは、分かりやすい力の誇示だろう。示すべき、本来呪うべき相手がわからなくなった結果の逃避がそれだ」


 喉が張りつく。静麗は颯雨に復讐を果たしてほしいと思っていた。それは今だって変わりない。でも、彼が本当に復讐をすべき存在は、果たして誰なのだろうか。

 いや、誰にしたとしてもその相手は存在していないとするならば。一体どうすれば彼は彼を認められるのか。



「……あなたたちのお兄さんは、戦争で死んだと聞いたわ。一体誰に?」

「お前たちだ、あやかし狩人よ」


 薄々想像ができていたことだった。静麗の表情は変わらない。常人が龍を殺すなどできるものではないだろう。あやかしを狩るだけの力を持つ存在は限られている。


「そう……。なら同じものを殺せれば、颯雨も一歩を踏み出せるかもしれないわね」

「娘、何を考えている」

「……分からないわ」


 机に置かれていた文鎮を手に取り無造作に弄ぶ。


「情なのか、同じ在り方のものを憐んでいるのかは分からない。でも、颯雨がこのまま悔いも果たせずに燻ったまま、ここにいてほしくないの」

「そのために自己犠牲をすると?」

「そこまでお人好しじゃないけど……そうね、出て行くときに一芝居くらいなら打ってあげてもいいとは思ってる」


 懐から静麗が取り出したのは、三面六臂の姿が彫られた銅鏡。この世界と人の世界を繋ぐ鍵。


「うまく龍脈付近まで追い込まれて、そこで死んだふりをすればいい。どうせ仕事が終わればここには来ないし、鏡も師傅センセイに返す。彼が他の陰陽鏡を手にしない限り、二度と会うことはなくなるもの」

「……そうだな。お前の目論見通り行けばそれも一つの手やもしれん」


 木で作られた扉が軋んだ音を立てて開く。

 その向こう側にいるのは魑魅魍魎の有象無象。一つ一つの力は然程ではないが、数だけは多い。属性も異なる。


「来たか」

「随分と人気ですね、龍帝陛下」

颯雨ソンユが成長して焦っているのだろうよ。……遠慮はいらん。本分を発揮するがいい、あやかし狩人の娘よ」


「……いいのね。本当に。手加減はできないわよ」

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