第22話 雨宿りの了り


 花窓から空を仰ぐ。外は清々しいまでの快晴で、部屋には木犀の香りが満ちている。人間である静麗ジンリーが、木霊として詐称するための行い。

 無事に先日の任務を終え、その穢れも清め終えた。だというのに天気とは裏腹に腑の底に重い石が沈んでいる心地を少女は憶えていた。


 扉が開く。

 翠花ツイファには体調が優れないからと他者を遠ざけてもらうように頼んでいたが、心配してきてくれたのだろうか。名を呼びかけて振り返れば、そこにいたのは隣室の友人よりも背の高い男だった。



静麗ジンリー

「……颯雨ソンユ。もうここには来ないと思っていたわ」


 話をすると口にはしていたが、あの場面を目撃した上で今更話せる言い訳は、静麗には存在していなかった。花窓から離れ椅子へと腰掛ければ、向かいの席へと颯雨が座る。


「兄からおおよその話は聞いた。現状の宮中を取り巻く派閥の話と……その解決のため、外部に協力者を募ったと」

「そう。で、その協力者の正体については?」

「訊いていない。……静麗自身に確かめたかったから」

「……あんたも馬鹿よね。前に私が使ってた武器を見たでしょう?」


 わざわざ彼に自分は使えないからと頼んだ土の術式を編んだ符での攻撃だ。軽率だったと我ながら思う。娘娘ニャンニャンの言葉を信じた結果、今の状況を招いたのだから。


「……見た。それでも、これまでの日々が失われるわけではない。あのスープの辛さも」

「その話、ずっと引きずるつもり?」

「仕方がないだろう。……あれは、それほどに衝撃的だったんだ」


 ぎこちない動きで笑みを浮かべる颯雨だが、静麗は笑えなかった。


「私もあんたと過ごす日は楽しかったわ。でももう終わり」

「何故だ」

「私はあやかし狩人だもの。あなたの同胞を殺してきた者で、これからも殺し続ける者」


 風を切るようなか細い音が間を横切った。おそらくは彼が息を呑んだ音だ。静麗ジンリーがそう結論づけるくらいにはその顔は蒼白になっていた。


「…………嘘だ」

「嘘じゃないわ。先の戦い方を見たでしょう。普通の人間ならああも容易くあやかしを倒せない」

「なら何故、優しくしてくれた」

「…………」


静麗ジンリー


 縋るようにこちらをつかむ腕を、振り払えない。

 弱々しい声で、それでも拒絶を口にする。


「言ったでしょう。あんたとは雨が止むまでの間柄よ。たまたま軒先が同じだっただけ。……もう雨は止んだ。それだけの話だわ」

「いやだと、言ったら」

「言えるの?」


 私個人に対してだったらきっと言えるだろう。この短い会合ではあったけれど、情を寄せてくれていたことに気づかないほどには静麗ジンリーも鈍くはなかった。


 それでも。


「私は人間で、あやかし狩人よ。かつて母をあやかしに殺された。そして貴方は人餌派の龍。兄を人間に殺された」

「…………! あや、かし、に……」


 息を飲み、顔を歪める颯雨の顔にこちらも泣きたくなってくる。

 それでも同時に情を残させたら駄目だと、静麗の頭の中で警鐘が鳴っていた。彼も自分も、これまで通りではいられなくなる。

 だからこそ、突き放すための言葉を紡いだ。


「雨は嫌いよ、あのあやかしが村を襲ったのだって雨の日だった。あいつは木の実をつまむくらいの感じで、村の人たちをつまんでは口の中に放り込んでいった。母様も。残ったのは中途半端にしゃぶった四肢と首だけ」

「……」


 睨みつけてやれば、颯雨がたじろいだようにのけぞった。卓が間にあってよかった。こちらへと歩み寄るなら、匕首を突きつけるしかなかったから。


「人餌派なんて、分かりやすい名前よね。彼らにとって人は下に見るもので、餌として扱うものだって伝わってくるわ」


 露悪的な言葉だと自覚して言葉を選ぶ。傷つけるための言葉の選定。


「……それは、恐怖の裏返しだ。陰陽も五行も、全ての属性をその身に秘めているのは血肉存在する人間だけだ。幽鬼ですら性質は陰となり、属性も固定される」


 かつて同じだったものすら、爪弾きにさせられる。別のものになってしまい、元には戻れない。


「だから、あやかしは人を恐れるのだ。誰だって自分にないものを恐れるのは自然だろう?」

「それをいえば、私たちだってあやかしが恐ろしいわ。だってあなたたちは正体のない存在よ。一つの属性だけで成り立つが故に、どこにでも現れてどこにもいなくなることができる」


 乾いた空気が花窓から吹き込んでくる。雨の気配など微塵もしない、晴れた空。天の力を秘めた龍が泣いたときに雨が降るなんて、出任せもいいところだ。


「……皮肉よね。個人として話せば、同じものだって思うのに」

静麗ジンリー


 気配が立ちあがろうとするのをかぶりを振って静止する。気が付けばまともに目の前にいる男の顔を、静麗は見れなくなっていた。


「私の任務は人の世界の女官を殺したあやかしたちの討伐。今回はたまたま、あんたのお兄さんやお義姉さんを狙う相手と合致してたけど、ただそれだけ。──あんたが死んだお兄さんの復讐をするって言うなら、その人が死なないように私はあんたを殺すわ」

「……君が殺せるわけがない」

「先日あんたの目の前で、刺客の命を奪った奴にいう言葉じゃないわね」


 押し黙った颯雨ソンユを追い立てるように、先ほどとは逆に静麗ジンリーの側が立ち上がる。


「それが嫌だっていうのなら……もう二度と私の前に現れないで」


 復讐をするなとは言えなかった。それは自分自身の在り方すら否定することになる。けれども、許容はできない。


 返事はかえってこなかった。だが、押し黙る空気の中で緩慢に颯雨も立ち上がり、扉の側へと向かっていく。その後ろ姿だけで十分だった。

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