第19話 妖狩りの時間


 小耳に挟んでいた通り運命論は絶大な力を発揮しているらしい。


 以前私が水母娘娘スイボニャンニャン付きになるのではないかという噂が立った時の数倍、鋭い視線が罪も謂れもない少女デコイに向けられているのを見て思わず怯んでしまうほど。


「うぅ……女の嫉妬が怖い……」


 そして下手に裏の事情を知ってしまっている故に口や手を挟むことのできない自分が恨めしい。静麗ジンリーは心底そう思った。

 名も知らない女官に心の中で謝罪をしながら休憩時間に机に付していれば、翠花ツイファの柔らかい手が頭を撫でてくる。


「そうねぇ。でもここ十数年ろくに足を運ばなかった皇帝陛下が文を送ったなんて話が出たら、そりゃあ俄かに活気づくのも無理はないわよ」

「でもまだ確証が立ったわけじゃないんでしょう? それがこんな……」

「噂は立ち始めが一番盛り上がるものだもの。今宵か次の昼に訪れるっていうし、それ次第ではすぐに沈静化しちゃうでしょうよ」

「運命ってそんな一瞬でわかるものなの……?」


 先日娘娘ニャンニャンには軽く交わされてしまった話を再度浮上させれば、さぁ?と気のない返事が返ってくる。


「私だって運命とかそういうのはよくわからないもの。でも龍種にはよくあることで、一目惚れだか関わってからかはわからないけれど、一度魂が惹かれたらもうどうしようもないっていうのは聞いたことがあるわ」

「そういうものなのね……」


 ──龍種なら誰でもなるものなのかしら。

 ふと静麗ジンリーはその内容に引っかかる。だとしたら、あの青銀の美しい男も堕ちるのか。


 想像がつかないと真っ先にそう思った。次に、そうなって欲しいという思いと、そうならないで欲しいという思いが同時に来る。

 同じあり方をしているとどうしようもなく理解しているからこその矛盾だということは、自覚していた。



「でも、本当にどうなるかは気になるわよね……ねえ静麗ジンリー。次の昼ってあなたも空いているわよね。こっそり宮を隠れて覗かない?」

「そんなことしたら尚儀が怒るわよ……」


 あのおっとりした霊羊レイヨウは怒ると怖いのだ。今回に限っては、静麗は見逃されるだろうが。だからこそ翠花を巻き込むわけにはいかない。


「それもそっか。じゃあその後の噂話をちゃーんと聞き逃さないようにしないと」

「……実はあなたも楽しんでるわよね、翠花」

「もっちろん!」


 からころと笑う少女の顔は年相応だ。とは言ってもあやかしの年齢なんて静麗には分からないのだけれど。つられて笑ってしまうほど良い笑顔だということしか分からない。


「後宮にいるとそういう恋とか運命みたいなお話なんて聞かないもの。静麗はそういういい人はいないの?」

「……いるわけないじゃない」


 一瞬浮かんだ青銀をかき消して首を横に振るものの、一拍の油断が命取りになることなんてよくある。殊更に楽しそうな顔を翠花が浮かべた。


「あら、何その声。怪しいわね。故郷に残してきたいい人とかいないの?」

「いないったら、そういう翠花はどうなの?故郷に残してきた相手、と、か……」


 少女の顔が曇ったのを見て、静麗は己の口の迂闊さを呪った。


 花魄カハクは幽鬼の魂の集合体だ。鬼となるような未練を抱いたからこそ存在している。…‥その中には当然、非業な恋や愛の結果の魂だってあるはずだ。


 だというのに翠花はすぐにその悲しそうな色を潜めて、いつもの朗らかな顔を浮かべる。


「残念ながらそういうのはいないのよね〜。だからここでいい男がいたら頑張るつもりよ! 宦の術をかけられてたって、外朝に戻れば解かれるんだし!」

「それ、外で相引きするってこと? 後宮を勝手に抜け出す宣言じゃないの……」

「ふっふっふ。その時は口裏合わせに協力してね? 静麗ジンリー


 辛い過去を持っているだろうに、明るく振る舞う翠花には、口にせずともいつだって助けられていた。今だって。だからその無茶な頼みにも「仕方ないわね……」と一見渋々頷いてみせるのだった。



 ◇



 ただ、それとこの件については話が別だ。

 翠花ツイファには悪いが、静麗ジンリーとしては楽しむ余裕などなかった。

 今回の謀の裏を知っているわけだし、何よりここで護衛が失敗したらこちらの身の安全すらないわけなので。


 故に明け方の太陽が昇る前から、身を隠すまじないを唱えて物陰に静麗は潜んでいた。万一を考え、付近の龍穴には力の揺らぎが発生したらすぐにわかるように符を貼っておいた。


「はぁ……娘娘ニャンニャンはああ言ってたけれど、実際どこまで力を使うかは悩みどころよね」


 飛刀はいいとして、問題は符だ。

 通常あやかしが自らの力を振るうときに符などの道具を使用することはない。以前見た颯雨ソンユだって、言霊ひとつで相手を縛り上げていた。


 だからと言って躊躇いは命を落とすことになる。特に手を知らぬあやかし相手に油断をして残る命など存在するわけがない。この仕事をはじめて間もなく、師傅に叩き込まれたことだ。


「……最悪、女官からは外れてもなんとかなる、わよね」


 水母娘娘スイボニャンニャンはこちらの正体をわかっていると言っていた。ならば万一正体が露呈したら匿ってもらうのも一つの手段だろう。

 それが弱みに転じて彼女たちの派閥関係が逆転する可能性もあるが……その辺りは頑張ってもらうしかない。

 勢いづけるように自分の両頬を勢いよく叩く。



 ◇



 夜目が効くようにと鍛えてきた妖狩りの時分、まさかこうも昼時に戦うことになるとは思わなかった。

 目の前にいるのは二足歩行の獣。一見猿のような姿でありながら、首は白く体は青い。

 無支祁ムシキだ。以前にも討伐をした経験を思い出す。腕力はおよそ人が敵うものではないから、正面からぶつかることは避け、相手の力を利用するように懐へと入るのが吉。


 それが訪れた男──おそらくは龍帝だろう存在へと巨腕を振り上げたところで間に入り、喉元へと匕首を滑らせる。厚い皮膚はぶよりとした感触だが、押し込むように拳を注いでやればそこから体液が吹き出した。

 だが、それで倒れる相手でもない。爛々とした敵意に燃える目で再びこちらに腕を振るうのを、その勢いに合わせて飛び避けた。


「龍帝陛下、お下がりを!」

「女ァ! 貴様、邪魔をするな!」

「はっ、無理なお願いね。これ以上狼藉をあんたらに働かれてなるものですか」


 口を動かしながら考える。先ほど刃をむけた勢いを見るに、飛刀は役には立たないだろう。先日の皇貴妃襲撃に失敗したこともあって、向こうも強靭なあやかしを送ってきたようだ。


 ──この辺りには前に水の地脈が走っていたはず。おそらくはその龍穴を通ってきたのでしょう。

 膠着状態となった一瞬で思考を巡らせる。ならば逃げられぬよう、龍穴のある地への道筋は塞ぐべきだ。


「『かそけき土を此処に』」


 短くまじないを唱えれば匕首が淡く黄色に輝いた。土は水を汚す。目の前にいるのが無支祁ムシキならば属性は水に違いない。本来は符を使う方がより威力もあるが、一体ならこれで問題もないだろう。

 位置取りを意識しながらも、角度を変えて地を踏み締め蹴った。さぁ、妖狩りの時間だ。

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