第18話 罠と運命


 龍帝陛下が定期的に通うのは、後宮内でも皇貴妃である水母娘娘スイボニャンニャンの元のみ。他の妃たちも定期的に彼を招こうとありとあらゆる手段を尽くしているが、成果は芳しくないと聞く。


「だから段々皆手段を選ばなくなってるんですよねぇ。最近だと外朝に務めてる人が、仕事に使う重要な書面が娘のところに間違って届いたとか言ったりしてぇ……」

「……それ、どう考えても逆効果じゃない?」

「そうね。静麗ジンリーの想像通り陛下ったらわたくしの元に届けさせるように命じて、それでおしまいだったもの」


 三日に一度、しょうの儀の準備と称しての会合にて聞く話は、膠着状態にある後宮の裏事情を知る絶好の機会だった。……好んで知りたいかと問われれば否だが。


「でも、どうして急に陛下が足を運ぶことが多い場所について知りたいなんて」

「ええと、もしも中立派の力を挫いて人餌派が力を伸ばしたいなら娘娘ニャンニャンはもちろんですが、一番邪魔になるのは龍帝陛下かと思いまして」

「わざわざ排除せずとも、颯雨ソンユが成龍となれば自然と退位される方ですよ?」

「でも退位した先で子を成した先に生まれるのが天龍ならば同じことでしょう? それに、雛だとしても他に帝となれるものがいないのなら、上手いことを言って摂政になるという手段だってあります」


 その言葉に女妖である二人は目を見張る。そうした発想が薄いのは、一代が長いあやかしとしては自然なのかもしれない。けれども静麗が教わった人の治世では、決して少ないことではなかった。


「うぅん……ありえない話ではありませんね。颯雨ソンユ様ご自身も人餌派ですしぃ」

「えっ」

「? どうかしましたかぁ、静麗」

「……いえ、なんでもないわ」



 からからに乾いた喉で短く返して机の木目を見つめる。

 颯雨ソンユが人餌派。

 確かに人を憎み、復讐をなそうとする彼の立ち位置で示すならその一員になるだろう。

 分かっていたことなのに心臓の動悸は治らない。

 そうしていく間にも両名の会話は進んでいく。


「ならばわたくしの襲撃が失敗した時点で、なりふり構うことはなくなるかもしれません。向こうにもこちらが対抗しようとしていることは察しづいているでしょう」

「はい。未だ雛とはいえ、齢千五百ともあらば何かのはずみで成龍といつなってもおかしくありませんから。事実ここ数十年前後はきな臭い噂も多いですしね」


「ならばいっそ、こちらが罠を張る手段もありましょう。静麗」

「っ、は。はい!」


 娘娘ニャンニャンの声に背筋をただす。同じように卓を囲みながらも一つ上の座に座る彼女。……とは言えこの距離なら首は取れると物騒な発想が過ぎる。取れるが、取りたくないと今の静麗は感じていた。


「わたくしはこれより、人餌派と推測を立てている妃との間に調整を行います。彼女に仕えている女官の元を数日後に帝が向かうように。あなたはその道のりと逢瀬の場を見張り、何かあれば対処をお願いします」

「……」

「大丈夫。衛士はいるでしょうが、陛下にもお話の上、あなたに責が及ぶようなことには致しません。存分に、力を奮いなさい」


 口元は薄く笑んでいた。

 娘娘ニャンニャンの表情を見て、静麗ジンリーは唐突に理解したのだ。彼女はこちらの正体を知っている。

 なら、信じても大丈夫だろうか。たとえ彼女があやかしだとしても。


「……わかり、ました。微力ではありますがお力添えをさせていただきます」





 深々とした礼をしてから、それでも好奇心が首をもたげる。


「……それにしても、そんないきなり帝がこれまで足を運んでいなかった妃のもとに向かうって、疑われませんか?」

「ふふ。そこは運命論を都合よく使わせてもらうわ」

「運命?」


 耳慣れない抽象的な表現に首を傾げると、横で話を聞いていた梦琪ムォンシーが手を合わせた。


「ああ、なるほどぉ。新しく入った女官がもしかしたら陛下の運命かもしれないとかいうおつもりですねぇ」

「ええ。そうであればその女官を一目見るために忍んで行ってもおかしくはないわ」

「え、いや。それはちょっと都合が良すぎません……?」



 おそるおそる手を上げれば、虚をつかれたような表情を二人揃ってする。

 ──なに。ひょっとして運命論ってあやかしの中では一般的なの?


静麗ジンリーは龍種についてあんまりお話を聞いたことがないんですかぁ?」

「ええ。……え、本当に常識的な知識にまつわることなの?」


 再三尋ねれば、生ぬるい視線を梦琪ムォンシーがむけてくる。その斜め後ろで、得心した声が玲水リンスイからあがった。


「ああ、なるほど。道理で……」

「え、え。なにその反応。なにがなるほどなんですか娘娘ニャンニャン!?」

「まあ、こういうことは知らなくても任務に支障はないし、大丈夫よ」

「それはそうなんですけど……!」


 意味深な笑みを浮かべられると気になって仕方がなくなるものだ。けれども鷹揚な笑みを浮かべた娘娘ニャンニャンは、口元に笑みをたたえるだけ。


「いえいえ、大したことじゃないのよ。……これも因果ということかしらね……」

「その物言いで大したことじゃないって言い方をされて信じられると思ってるんですか? 何か心当たりがあるなら教えてください娘娘ニャンニャン……!」

「そうねぇ、護衛を頑張ってくれたら、その後にこっそり教えてあげる」


 心底楽しそうな顔をした女傑の意思を止められるはずもなく、その日の打ち合わせはそこで終わることになったのだった。

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