第17話 小康状態


 後宮内の龍穴の場所を地図として娘娘ニャンニャンに奏じてから、しばしの間平穏な日々を過ごしていた。


「……平穏って良くも悪くも停滞と同義よね」


 女官を殺した張本人のあやかしは捕まったとはいえ、そいつが使っていたとされる陰陽鏡も裏で糸を引く存在についても解明できていない状況。

 一方で女官を殺した首謀者以上のことを探る手段は静麗ジンリーにはなくて。


「いっそのこと首謀者を殺したから後はお任せって感じで任務完了できないかな……。あ〜、でも師傅センセイ娘娘ニャンニャンって知り合いなんだっけ? じゃあお許しは出ないか……」

『当たり前だろう。目的は実行犯の無力化ではなく、事件の解決だ』

「ぎゃっ⁉︎⁉︎」


 思わずあげた悲鳴は部屋の壁を突き抜けるほどだったのだろう。

 急いた足音と共に扉が開かれた。


静麗ジンリー! いまの悲鳴どうしたの!?」

「あっ、い、いえ。何でもないわ翠花ツイファ。ちょっとお茶に辣椒トウガラシを入れたのを試してみようと思ったら思ったより熱さと辛みが噛み合っちゃって……」

「なーんだ……心配して損した。というか、何でそんな取り合わせをしてるのよ。挑戦者にも程がない?」

「あ、あはははは……」


 当然のように信じられたことに複雑な思いはあるが、誤魔化しは成功したようだ。手を振って部屋に戻っていく翠花を見送ってから、茶碗と手の間に咄嗟に押し潰していた紙──師傅、泰然タイランが好んで使う式に不満をぶつけた。


師傅センセイ! 急に声をかけないでくれませんか!?」

『ははは。茶に辣椒トウガラシはさすがに愚舌を極めた趣味だと思うぞ。やめておけやめておけ』

「言葉のあやですし、言い訳する羽目になったのは師傅センセイのせいなんですけれど!」


 紙はぺらぺらとこちらの不満を受け流し、それよりもと当たり前のように話を続ける。


『実行犯の足取りはどこまでつかめている? 一応依頼人に報告する義務があるものでな。確認に来た』

「どうやってこの式を人の世界から飛ばしてるのよ……。ま、いいわ。実行犯については殺してはいないけれど無力化済みよ。とはいえ完全解決にはまだ時間がかかりそうだけれど」


 順序立ててここに来てからの話を伝えていく。女官として無事に潜り込めたこと。実行犯を発見したときにこちらの皇貴妃を襲っていたこと。捕縛後に娘娘ニャンニャンに協力を求められたこと。

 ──颯雨ソンユの話はできなかった。話さずとも目的には関わらないだろうと思いたかったから。



『ふむ。まあ想定通りの段階ではあるな。実行犯が捕えられたなら表の後宮は小康状態となるだろう。龍脈も把握できているから尚更だ。ご苦労だったな』

「本当よ。後でお給金は弾んでちょうだい」

『金など得ようと使い道に困ってばかりだろう、お前は』


 くつくつ笑いと共に紙が震える。毎度のことだがどういう仕組みなのだろうか。


『それにしても精神を病んでいないようで安心したぞ? お前のことだからあやかしに囲まれて何日で泣きが入るかと思っていたが』

「性格が悪い……」


 あやかしへの悪感情を理解した上で送り込んだであろう師傅に言ってやりたい恨み言など十も百も二百もある。


『それで、あやかしに囲まれている気分はどうだ』

 静麗のその想いを分かった上で、こんなことを言うことにもだ。


「……最悪よ」


 何が最悪かと問われれば、以前ほどに純粋な嫌悪や憎悪を抱けなくなっていることがだ。

 雨と夜に対する恐怖はまだ残っているのに、ここの雨の思い出はどれも悪いものだと言えなくて。


「知りたくなんてなかったわ。あやかしについてなんて。知って、関わってしまえば、刃が鈍ることなんて感じていたもの」

『そうか』

「そうよ。……どうしてここに私を送ったの。師傅センセイなら自分が潜り込むくらいできたでしょう」

『後宮だぞ? 俺とて男だ。宦の術をかけられるなど真っ平ごめんだからな』


 本音かどうかも判別できない言葉を式は紡ぐ。顔が見れないことがこの式の難点だと、静麗ジンリーは頭の中で減点をつけた。


『俺はな。師傅としてならお前のあり方に文句をつけるつもりはない。既にあやかし狩人としてお前の腕前は一人前だ。独り立ちしてもやっていけるだろうよ』

師傅センセイがそんなに素直に人を褒めるなんて、明日は雨どころか槍が降ってきそうね」

『お前としては雨より槍の方が気が楽だろうな。そして俺が気に掛かっているのはそこだ』

「……?」


 表情など書いていない紙だが、響く声にはどこか柔らかさが滲む。あるいは静麗がそう思いたいだけかもしれないが。


『お前は弟子であると同時に俺の娘だ。……父親というのは娘の幸せを望むものなんだよ。だから、お前が雨の夜に囚われ続けることを善しとは思わん』


「……勝手ね。荒療治が逆効果になるとは思わなかったの?」

『お前がそういう時は大抵いい方法に進んでいる証拠だな。荒療治でも、知らないまま恐れるのと、知った上で恐れるのは違う。俺が拾った頃よりはお前自身にも余裕ができているようだったからな』



「本当に、勝手ね」


 ──こうした話を式越しでするところとか特に。


『今更だな。お前のことだから十二分に知っていただろう?』

「ええ、うんざりするくらいにね。……とはいえ、まあおせっかいにお礼は言っておくわ」

『相変わらず素直じゃないな』

「うるさいわね。そう育てたのは爸爸とうさまでしょう」


 くつくつと紙が揺れる。その仕草は本物によく似ていた。


「話を戻すけど、だからひとまずの段階は収まると思うけど完全解決には糸口がない状態なの。……複雑だけどね。もうちょっとかかると思うわ」

『そうか、なら上にはそう伝えておくとしよう。ところで静麗ジンリー

「なに?」


『人を思う存分喰らうためには、あやかしの今の秩序を変えねばならないだろう。そういうものたちが最終的に目指す場所は、どこだと思う?』

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