第15話 龍種の運命


颯雨ソンユ、この後時間はあるか」

「……兄上」


 毎日黄昏時のはじめに内朝にて行われる夕議。毎回顔を出すほど熱心ではないが、それでもここしばらくは頻度が多くなっていたことは颯雨ソンユ自身自覚していた。口さがない各局の長官たちが何か噂をしているかもしれないが、派閥についての情報をもっとも得られるのがこの空間だった。


 故にこの時が来ることも理解はしていたはずだ。目の前に立つ自身の兄、梓磊ズーレイへ目を合わせる。


「はい。私は大丈夫ですが兄上はよろしいので?」


 とはいえ油断していたのも事実だ。龍帝でもある彼が自分に割けるほどの時間があるとも思っていなかったから。


「余裕がないのならば言い出したりはしない」


 短く言葉を口にして、踵を返す。梓磊ズーレイが向かう先は皇帝の執務室。他者の目耳が入らないところで話をしたいと、そういうことだろう。




「千里眼と順風耳の耳目を誤魔化そうと裏で画策しているようだな。玲水リンスイからも報告は聞いた」

「…………」


 扉を閉めて程なくとばされた説教めいた言葉に一気に気が重くなる。自業自得ではあるし、いずれはこの日が来ると思っていたが。

 沈鬱な心地になる颯雨に、誤解をさせたかと梓磊が取りなす。


「苦言を呈するために呼んだわけではない。そも、あの場所は将来的にはお前の持ち物となる場所だ」

「……今は兄上の場所ですし、私は兄上からあそこを取り上げたいわけではございません」

「知っている」


 氷のようだと多くの官妖から言われる、表情の変わらない兄の鋭い眼差しが颯雨を射抜く。


「人の世界に行く手段を探しているようだな。目的はなんだ。復讐か」

「……だとしたら、なんだというのです」


 憐憫の色が、鉄壁の仮面の瞳に浮かぶ。金色の眼差しは相変わらず鋭い。


「お前がそのようなことを、それもあのの長兄の為にする必要が、どこにある」

「……ろくでなし、など……梓磊ズーレイ兄はそういうが」

「私だけでない。玲水リンスイとて同じことを言うだろう。あの男はろくでなしだ」


 重ねていわれた言葉に閉口する。それでも目を逸らさずにいれば先に逸らしたのは兄の方だった。


「……それで、復讐を果たしてどうするつもりだ」

「分かりません。……分かりませんが、私が雛から育つにはそれが必要だと思うのです。今のままではきっと、私は何にもなれやしない」


 執務室に他のあやかしの存在はない。美しい調度品で整えられているが殺風景。矛盾した在り方がここにはあった。



「……せめて、お前にそれ以外の在り方を見つけることができればいいのだが」


 哀れな、と兄は弟に告げる。

 それ以外の在り方と聞いて、颯雨の脳裏によぎったのは黒い髪の少女だった。


「…‥兄上」

「なんだ」

「義姉上から聞きました。此度の派閥争いにまつわる外部からの協力者について、兄上はご存知ですか」

「…………」


 颯雨は息を飲んだ。普段は決して表情を変えることのない兄が、分かりやすく眉をよせて苦い表情をしたからだ。


「知っている。信頼は逆さに飛んでも出来やしないが、力だけは一級品の者だ」

「……信頼できない、ですか?」


 ──その言葉になぜだか不快感を覚えた。身の上など何も知らないが、静麗ジンリーの性質は分かる。

 陰陽鏡を所持していることを躊躇いなく明かし、その上で手を差し出してくれる少女だ。


 煩悶を見透かすように梓磊は弟の眉間の合間をこづく。


「っ、何を……」

「惹かれているのか、お前は。その協力者に」

「惹か……っ!!」


 顔に熱が灯る。角の付け根の辺りを意味もなく撫でこする。ここしばらく、何かにつけてあの少女のことを思い出すのは事実だった。


 ──だって、はじめてだったから。

 息を潜めていたときに手を伸ばして抱き上げてくれる腕も、寒いときに温かなスープを出して、ひっくり返ったときに浮かべていた衒いのない笑みが自分に向けられることも。

 天龍だと知ってもなお、畏怖も隔意も色目もなく、真っ直ぐこちらを向いてくれる目も。


「……だとしたら、どうなんですか。それ以外の在り方をと口で言いながら、信頼できないからやめておけと、そう言うつもりですか」

「そうだな。もしお前のそれが運命だと言うのなら、俺が何を口にしても無駄だろう」


 運命。意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福を指す言葉。

 それは龍種にとっては一つまた意味を異にしている。


「龍にとっての運命とはどうしようもないものだ。いかなる身分や種族であろうと問答無用で惹かれ、狂わされ、それなしではいられなくなる」


 故に龍帝の皇后の座は、運命と定められた相手が輿入れする時のために空いたままになっている。どれほど他に后を娶っていたとしても、ただその者だけは手放せない。それこそが運命だという話だけは聞いてきた。


 だが、実感は颯雨の中にはない。自分でそういった経験がないこともだが、兄である梓磊にも未だ皇后はいなかったから。


「……まるで既に知っているように口を開くんだな、兄上」


 そう問えば、自嘲するようにその端正な顔が歪む。


「知っているさ。どれほど憎もうと、お前など滅んでしまえと心から呪おうとなお惹かれてしまうものだ。心臓を掻きむしりながらも抉り取ることなどできない」

「…………」


 兄にこんな激情が眠っているなど知らなかった。呪うような物言いに思わず目を見開くと、我に返った梓磊が咳払いをした。


「くだらんことを言った。ともかく、お前がその協力者に惹かれる理由が運命だというのなら、俺が何を言ったところで無駄なことだ」

「……私は、別に……」

「だが、そうでないというのなら距離は保ったほうがいい。これは龍帝ではなく兄としての言葉だ」

「何故」


 運命であろうとなかろうと、信じることに何の問題があるというのか。胸を焦がすような苛立ちにせき立てられるように、問いかけの答えが返ってくる前に背中を向ける。


颯雨ソンユ

「…………」

「お前の傷つく姿は、見たくない」

「……梓磊ズーレイ兄の思うほど、俺は幼くない」

「その言葉は雛でなくなってから言うことだな」


 傷つくなと言いながら雛でなくなってから言えと。

 協力者として受け入れながら信じるなと。

 矛盾した言葉を告げる兄の思惑を知りたくなくて、そのまま逃げるように部屋を後にした。

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