第14話 糸口をたどり


「『かしこみかしこみ申し上げる。五行のひそめき、金の気よ、地に巡るいぶきを示したまえ』……すごい、本当に地面が輝いているな」

「そういうまじないだもの。……さっきよりも地脈の本数が多いわね。あやかし避けはしてるとはいえ、気をつけて歩きましょう」


 静麗ジンリーは後宮で働く女官ではあるが、尚儀局や水母娘娘の住まう冬亥宮から離れたところをうろついていれば怪しまれるだろう。颯雨ソンユに至っては言わずもがな。注意を払うことに越したことはない。


「にしても、あやかし避けの術式ってどんなものを使ってるの? 千里眼と順風耳の見張りを掻い潜るなんて、並の術式じゃできないわよ」

「いくらなんでもそれは無理だな。彼らには裏から伝手を回している」

「……さすがは公子様」

「その呼び名はやめてくれ」


 天の力の話題よりは柔らかいものの眉をひそめる顔に軽く手を合わせて謝罪する。


「ごめんごめん。ねえ、聞かれて嫌なら答えないでいいけど……あの日龍妖宮に入り込んでたのも、人の世界に行く方法を探すためだったの?」

「そうだ。過去の戦争で人の世界にあやかしが踏み入っていたことは知っていたから。宮中にならその術の手がかりが眠っていると思っていた。外朝や内朝にそれらしいものを見つけられなかったから、後宮に忍び込んでそこで出会った形だな」


「処分されたとは思わなかったの?」

「? たった千年前にも使っていたものを処分はしないだろう」


 世界が違う。その言葉にありありと自覚させられた。千年なんて彼らの中では生まれてから成熟するまでに過ぎ去るくらいの年なのだ。


「……それも、そうね。変なことを聞いてごめんなさい」

「謝る必要はないが。代わりにこちらも一つ聞いていいか?」

「何かしら」

泰然タイランという、君の師か? ひょっとして黒髪に赤紫の目をしていたりするだろうか」


 思わず足元の小石に蹴躓きかけた。

 地面がぬかるんでいたことも災いしただろう。「静麗ジンリー!?」慌てて腕を掴む颯雨がいなければ顔面から倒れ込んでいたかもしれない。

 否、そもそも動揺の契機を与えた張本人こそが彼なのだが。


「そ、そうだけど……。え? なんで颯雨が師傅センセイのことを?」

「君のいう師傅と同一存在かはわからないが、外朝の陰書楼にここ最近入ってきた妖だ。なんとも優秀な男で、特に彼に任せていれば書籍の整理がみるみる進むとか」


「整理が進むぅ? じゃあ同名同髪目色の他に……別あやかしだわ」


 あの散らかし魔がいたら片付くものも片付くはずがない。確信を持って断言した言葉には颯雨も頷くしかなかった。



「なるほど……ならば私の勘違いか」

「ええ。大体師傅センセイがこられるっていうなら私が潜り込む必要なんてないもの。普段は心底やる気がないけど、能力だけは優秀だし」

「……随分と信頼してるんだな」

「え?」


 心なしか、掴まれたままの腕の力が強くなった気がした。見上げれば唇を尖らせた颯雨がこちらを見下ろしている。


「信頼……そうね。性格面は問題しかないけど、私に戦い方と生きる方法を教えてくれた人だから。性格面は問題しかないけど」

「二度いうほどか」

「二度いうほどよ」


 すぐに人を皮肉取って笑う男だ。性根が捻じ曲がってまともな角度を計測できない。


「師傅とはいつから?」

「ずっと小さい頃。……私が生まれた集落が滅んじゃって、身寄りがなくなったところを拾い上げてくれたの」

「火災か?」

「あー……そんなところ」


 まさかあやかしに滅ぼされたなんて、木霊として潜り込んでいるときに言えるはずもない。木のあやかしの集落が最も滅びやすいとされる理由に乗ることにした。


「礼儀作法から字の書き方からなにまで叩き込まれたもの。私が後宮に潜り込んでそれなりに振る舞えてるのもそのおかげよ」

「そうか……」

颯雨ソンユは? ここではあんまりまともな噂を訊かないけれど、ちゃんと仲良くしてる相手とかいるの?」


 あの後に何度か話の流れで他の女官に彼について聞いてはみたものの、根や葉はどこにあるのかという有様の噂話ばかりだった。そもそも当人……妖の姿を見たことがある妖すらいなかった辺り、信憑性の方が薄いが。


 門のそばまで線を引くが、ここから先は内朝だ。颯雨に後日探ってもらうべく点線を書き込む。


「仲良く……かは、わからないが、侍従の小浪シャオランとはそれなりに易い関係を気づいている、と思う」

「へぇ、あんたって位が上とか下とか気にしない性質たち?」

「……上の方が厄介なやつが多い」

「あはは!」


 声を抑えて笑えば、颯雨の唇がこれでもかと突き出た。存外感情が表に出る男だ。


「小浪は霊亀レイキの一族の遠縁でな。温和な性格だが細かいところにまで気が利いてくれて、いつも助かっている」

「気に入ってるのね、その子のこと。ちゃんと大事にしてあげなさいよ」

「……無論だが。あまり童扱いはやめてくれ、まだ雛なのは事実だが、千五百を越えているんだ。静麗はいくつなんだ?」


 ──木霊ってどれくらいの年齢生きて、どれくらいで成人になるのかしら?

 内心血の気が引きながらも取り繕うべく、止まった足を前に進める。


「女性に歳を聞くなんて失礼じゃないの? ……さすがにあなたよりは年下だけど。そんなに子ども扱いしてるみたいな物言いしてた? 私」

「……あまり言われない調子だったから」

「そういう性格なだけよ。師傅センセイがろくでなしだから一言言わないと気がすまない性格になっただけ。迷惑だったなら謝るけど、今更直すのは無理よ」

「………‥迷惑、では、ない」


 歯切れの悪い調子に静麗は片眉をあげるが、口にした颯雨自身も戸惑ったように目を彷徨わせている。


「なら良いでしょ。こっちの方が楽なんだもの。嫌って言われない限りは貫かせてもらうわ。……あ、これでこの道は行き止まりね」

「……うん、分かった」


 雨が降った後の道は雨そのものほど憂鬱ではない。それにしても歩きにくいのもまた事実だ。下裳を捲り上げるために何度か立ち止まりながらも歩き続ける。



「──あと一本で終わるわね。二度手間になるところだったから助かったわ」

「これくらいなら容易いことだ。……龍穴は後宮内にありそうか?」


 颯雨の問い掛けに静麗はあらためて地図の全体像を眺める。二つの龍脈が重なっている箇所と、一つだとしても特に強い輝きを放っていた箇所。


「……十、いえ十五はあるわね。国の中央部なんだから気が集中している場所にあるとは思ってたけど、後宮だけでも目を見張るくらい」

「そうすると全てを監視するのは難しいか」

娘娘ニャンニャンの御力次第ではあるわね。でも、これがあれば注意を払うべき場所が分かるから大きい一歩よ」


 あやかしの後宮と人の後宮は同じ形式の作りで、鏡を通ってたどり着く場所も対となる空間だ。表の世界の付近を師傅に見張って貰えば、これ以上の被害は防げるだろう。


「ありがとう。おかげで助かったわ!」

「礼は不要だ。私としても、龍穴について知れたのは良いことだった。……陰陽鏡さえあれば、表の世界に行けるわけだからな」


 ──そう。一歩間違えれば私はこれで龍が人を殺す契機に至る知識を与えたことになる。

 理解はしているが、それでも後悔はしていなかった。けれども同時に責任は自覚している。現状は把握すべきだろう。


「陰陽鏡の宛てはあるの?」

「……兄上が持っているようだが、貸してはくれぬだろうな。の方は私が復讐をすることを望まないから」

「そう……なら、別の道から手に入れないとね」

「今回の問題を引き起こしている首謀者から頂戴するのが一番分かりやすい。そうさせてもらうとしよう」


 そうなってしまえば止めざるを得ない。あやかし狩人としての立場は静麗ジンリーとて理解していた。それでもなお、自分と同じ在り方をしている彼の願いが叶えばなと願ってしまうのだった。

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