第12話 雨の日の来訪


 静麗ジンリーは苦手なものが二つある。

 雨と夜。太陽がささぬ世界、雨が降り頻る世界は熱を際限なく奪っていく。


 その二つがぶつかってしまった日などは最悪だ。一度目のしょうの儀の準備をした日の翌々日、雨の降る空から隠れるように掛け布に包まり縮こまる。

 一定の律動が石畳を叩く音が聞こえる。翠花ツイファがこの時間仕事が休みだったら、遊びに行けたのに。誰にともなく恨めしい心地になった。


 いっそのこと、暇だから手伝えないかと尚儀たちに声をかけに行こうか。その前にやるべきことがあった。この暗い夜の、雨の中を彷徨わないといけない理由が。


「……あとちょっと。あとちょっとだけだから」


 せめて朝日が昇ってからにさせてほしい。それなら少しは寒さも落ち着くだろうから。そう思いながらも石畳を雨が穿つ音が止まない。うんざりとした顔で静麗ジンリーは窓の方を見て……。


「あれ?」


 そして先ほどまで包まっていた掛け布を跳ね除けた。

 雨が石畳を穿つ音だと思っていたのは、花窓を硬い尾の先で仔蛟が叩く音だったようだ。草布で編まれた窓掛カーテンから特徴的な鼻先がのぞいている。


「あんた! じゃなかった、颯雨ソンユ。また忍び込んできたの?娘娘ニャンニャンに怒られても文句言えないわよ」

「ギィ……、ワカッテ、ル」

「あら、その姿でも喋れたのね」


 意思疎通ができるのはいいことだ。前回よりも互いの立ち位置がわかってきた分警戒も解けているのかもしれない。


 ──いえ、私の方の事情は何一つ伝えていないのだけれど。


 胸の表面を刺す罪悪感を自覚しながらひとまず中に入るようにと窓掛を持ち上げれば、しどとに濡れた翼を振るわせてから着地した。


「妖態、声帯……違ウ。話、不可能デハ……ナイ、ガ、不便アル」

「そうなのね。なら結界を張るからちょっと待ってなさい」


 小さい蛟一匹なら隠しようはあるが、宦の術もかけられていない成人男性が見つかったら言い逃れようもない。妖避けのまじないを四方へと張って振り返ると、そこには以前出会った青年そのままな姿があった。


「………………早い!」

「そちらの準備が整ったところで戻ったというのに、なぜ文句をいう」

「心の準備くらいさせてちょうだいってことよ」


 正直にいえば心臓に悪い。いやに鼓動が早い胸を抑えながら深呼吸をした。


「それで、一体どうしたの。水母娘娘スイボニャンニャンに叱られても来ないといけない理由があったんでしょ」

「…………」

「颯雨?」


 静麗は再度彼の名前を呼ぶが、返ってくるのは変わらず沈黙だ。無言で返されるのは非常に困る。彼の意図がわからないのもだが、雨音が煩いから。


「ちょっと、なにか言ってちょうだい。まさか理由も何もないのにわざわざ来たの?」

「……ったから、」

「?」


 聞き取れなかった細やかな言葉に耳を傾ける。

 青銀の美しい男の所在なさげな姿は湿った大気に溶けてしまいそうだ。


「……雨が、降ったから」

「え……、」


 しとしとと水の滴る音が聞こえる。

 だから、と三度目の言葉はこれまでよりずっとはっきりと聞こえてきた。


「雨が降って、寒かった。……だから、来たんだ」


 それは以前自分が口にした言葉。しばしの瞑目の後、えっと小さな声が少女の方からこぼれた。聞き咎めるように男の眉間にしわが寄ったのを見て、静麗は手を横に振った。


「ああ、いえ。ごめんなさい。馬鹿にするつもりだったんじゃなくて……覚えてたのね」


 以前の話を。


「……そう簡単に、忘れない」

「…‥なら、寒い中来てくれたお礼にお茶を淹れてあげるわ。ちょっと待っててね」

「辛味はいれないでくれ」

「お茶にまでいれないわよ!?」


 失礼しちゃうんだからと茶器を手にしながら、静麗ジンリーは先ほどまでよりも凍えていない自分に気がつく。鈍色の空は先ほどよりも恐ろしさを和らげていた。



 ◇



 お茶に辛味が入っていないことに、颯雨ソンユは内心心底安堵した。普段飲む茶とは風味が異なるが、独特なそれも鼻を通る爽やかさだけでかわいらしいものだ。


義姉上あねうえから、此度の事件についての動きは聞いているのか?」

「聞いているというか、仕事を押し付けられたわ。後宮にある龍穴の場所を探して欲しい、ですって」

「龍穴?」


 本物の龍である彼が首を傾げる。意外とこちらでは聞き馴染みのない表現なのだろうか。妖狩しごとをしている時に静麗ジンリーは何度か使ったことがあったが。


「ええ。地脈……大地に流れる力があるのだけれど、それが噴き出る概念的な泉、あるいは穴のようなものがあるの。水母娘娘スイボニャンニャンはそれがこの後宮のどこに、どの属性があるか探ってほしいって」


 陰陽鏡は人の世界とあやかしの世界を繋ぐが、無条件に潜れるわけではない。

 潜るためには鏡をもち、まじないを龍穴の上で唱える必要があると話せば、颯雨の表情がいっそう真剣なものになった。


「静麗、それを探すのに私も同行してもいいか?」

「別にいいけど……」


 了承はしつつも葛藤はある。

 以前陰陽鏡を静麗からは奪わないと宣言はしたが、それでも使う可能性は予期しているのだろう。……人を傷つける者に塩を送ることになるかもしれない。それにそもそも。


「でも、後宮の中を歩いて探すことになるわよ。あんたの姿が見られたら色々問題になるんじゃない?」

「それなら問題はない。今回はあやかし避けの術式を用意してきた」


「……前の時はやっていなかったの?」


 冷たいものが静麗の背筋に走る。前回もやられていたなら、あやかしではないことをそこから察されるかもしれない。


「やっていた。だがあそこに墜落した勢いで解けてしまっていたんだ。術をかけたのは自分ではないからかけ直せないし、下手に飛び出すわけにもいかなかったから」

「なるほど。……あんた、意外とドジなのね」


 やることなすこと何でも軽くこなせそうな顔だが、内面は意外とそうでもないのかもしれない。

「悪いか」とどこか拗ねた口調が、自分よりは確実に年上の男だろうにどこか可愛くて。静麗は小さくふきだした。

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