第10話 仁葉と派閥


 しょうの儀は、水にまつわる力を持つ后妃たちによる雨降りの儀式だ。

 ただ儀式を取り仕切るわけではなくどの地に雨が必要か、どの地には不要かを判断していく必要がある。


「だから貴方には記録の整理をお願いしたいの。分からないことがあったら私が教えますねぇ」

「ありがとうございます。尚儀」

「ふふ、そんな畏まらなくてもここでは梦琪ムォンシーと呼んでいいのよぉ」


 羊角に手を当てながら、間延びした調子の霊羊はおっとりと笑う。


梦琪ムォンシー、貴方も娘娘ニャンニャンと同じ立場だったのね」

「はい。静麗のことは娘娘ニャンニャンから聞いてました。人餌派の台頭を抑えるために裏を使って女官を通してほしいと」


 ──その物言いだと、私の正体までは知られていないかもしれない。

 静麗ジンリーは脳内の図に線を引く。


「実は、私は師傅センセイの命令で入ったから後宮内……あるいは宮中全体になるのかしら? 派閥の関係については深く知らないの」

「あら、そうなのですねぇ。なら簡単にお話しします。静麗は千年ほど前に起きた人とあやかしの間の戦争、仁葉戦争についてはご存じですかぁ?」

「……概要だけなら。当時の龍帝様が崩御されたと」


 千年前。具体的な年数を知らなかった静麗ジンリーは数字を舌先で転がす。それではきっと、颯雨ソンユが憎んでいるという人間はもう生きているはずがない。


「あらぁ、勉強熱心ですねえ。はい、仁葉戦争では先代の龍帝陛下が御崩御されてからまもなく人間との間で停戦となりました。とはいえ、それはあくまで主導者を失った結果。あやかしによっては複雑な者もいたでしょう。故に、停戦後間もなくから国には幾つかの派閥が産まれたのです」


 一つ、先代の龍帝の意思を継ぎ人の根絶、或いは餌としての屈服を望む人餌派。

 一つ、対等の立場を維持しつつも積極的に交流を図り共生を望む共生派。

 一つ、このまま停戦の形で距離を置いていき、やがては関係を断絶、あるいは最小限に縮小する中立派。


「共生派はこの中ではもっとも弱く、主だって存在するのは人餌派と中立派ですねぇ。私や娘娘ニャンニャンは中立派に当たります」

「なるほど……。つまり、先日娘娘ニャンニャンを襲ったのは、中立派の力を弱めようとしていたと?」

「恐らくはぁ。今代の龍帝陛下、梓磊ズーレイ様も中立派ですから。お二人の間に子が成されれば、宮中の立場としては決定的になります。それを避けようとしたのかとぉ」


 人の世でもあやかしを狩り、そういった権謀術数とは無縁の生き方をしていた静麗ジンリーとしては目が回る心地だ。


「そんな理由で同胞にまで手を回すなんて……、信じられないわ」

「そうですねぇ。それほどまでに焦っているのでしょう。何せ颯雨ソンユ様は千五百の御年でありながら、未だ雛のままなのですから」


 聞こえてきた声に筆が歪みそうになる。蚯蚓みみずの如く這った字を誤魔化しながらも顔をあげた。


「千五百年雛のまま……、というのは、龍の一族では普通のことなの?」


 思い出すのは先ほどの名前の男。

 颯雨ソンユは人の姿では成人していてもおかしくない見目をしていたというのに、龍としての姿は、仔蛟と呼ぶのが相応しいくらいの小さな姿だった。


「まさか。皆様一様に千年も経れば成龍となります。……ただし、例外もないわけではありません」


 ここだけの話にしてくださいと乞う梦琪ムォンシーに首肯する。


「龍とは心と身体、そして力が全て満たされなければ成ることはできぬもの。未熟な力しか持たぬものや、雛のときに心に傷を負ったものはその姿から成長できなくなる。そういった性質を負っているのです」


 具体の名は出ていない。けれどもこれが書物に刻まれた例外ではなく、特定の個人を指していることは静麗ジンリーにも伝わった。──果たしてどちらが理由なのかは分からないけれど。


「天の御力を持つ、人餌派寄りの龍がどれほど経っても雛のまま。……恐らくは向こうは焦れているのでしょう。先に子を成してそれが成龍となる前に、もっとも可能性がある玲水リンスイ様を損なおうとしている」

「ええ。それがどれほど無駄なことかも知らぬまま」


 突如聞こえてきた声に顔を挙げ、慌てて深く叩頭礼をする。今まさに名の出た玲水リンスイ様、水母娘娘がそこにはいた。


娘娘ニャンニャン。お耳汚し失礼しました」

「良いのですよ。むしろあなたがたに無用な心配をおかけしてしまって申し訳ありません」


 頭を下げつつも意識は浮ついたのが察されたのだろう。「頭を上げてちょうだい」と告げる声がどこか笑いを堪えていた。

 ──無駄なこと、無用な心配。

 そう言いきる理由が気になる辺り、他の女官のことを言えないと静麗ジンリーは内心自身を恥じた。



「わたくしと陛下は、白い婚姻なのです」

「…………へ?」


 思わず固まった。世からは浮いている自覚はあるが無菌室で育ったわけでもない。その言葉の意味は理解できた。


「ええ、子が成せるようなことを何もしてないのですから、産まれるはずもありません。他の后妃たちもはじめの夜以降は皆静かなものだと聞いております」

「…………」


 言葉に詰まる。ひょっとしてとんでもないことを聞かされてやいないだろうか。不敬罪に聞くだけで至るような……。


 こちらの困惑を読み取ったのか鈴のような笑い声が響く。


「ふふ、違いますよ。あなたが考えているようなことでは恐らくありません。陛下はね、確実に次の位を皇弟である颯雨ソンユへと継ぎたいのです。下手に子を成してその子が天の力を得てしまってはいけませんから」

「な、なるほど……」


 それはそれで、今のお妃様方に失礼な気もするけれど。世俗に疎いが女官たちの噂を聞くだけでも陛下の寵愛を求めるものは後を引かないというのに。


「でも、……娘娘ニャンニャンはそれで良いのですか?」

「ええ、あの人はわたくしにとって夫というより、親しき幼馴染であり兄ですから。むしろ妻として愛でさせてほしいと言われた方が戸惑ってしまったでしょうね」


 玲水リンスイの表情は衒いないものだ。


「そういうもの?」

「はい。それに……」

「それに?」

「いえ。これはわたくしが勝手に流布をする話ではありませんでした。忘れてちょうだい。それよりも、仕事の話に移りましょう」


 彼女の言葉に居ずまいを正す。気にならないと言えば嘘になるが、同時に自分のような……異邦人が顔を突っ込んでいい保証もないのだから。


静麗ジンリー、一つ依頼をさせてください。表の世界で女官を殺したという一派、人餌派の目論見を打ち崩すために」

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