第9話 変化の兆し


「あの子、玲水リンスイ様が自分付きになるように召し上げたのだって」

「昼廻の時に御尊顔を拝見して、そこで気に入られたというけれど……」

「羨ましいわ。娘娘ニャンニャンの元だなんて、うまくいけば龍帝陛下ともお近づきになれるじゃないの」

「…………」



 こういうところは人間もあやかしもなにも変わらないものね。深くため息を吐きたくなるのを、なんとか飲み込む。

 その勢いは同室の翠花ツイファも同じようだ。もっとも、彼女は影口ではなくこちらに声をかけてくれてありがたい限りだけれど。



静麗ジンリー!聞いたわよ!娘娘ニャンニャンに見染められたって?」

「見染められたなんて大袈裟よ、いくつかの行事を執り行う時には私を呼んでほしいって尚儀に打診があっただけ」

「それでも大躍進でしょ!?いずれは娘娘付きになるかもしれないわよ」

「お役目の責任が重くなるのは厄介だけどね」

「もう、何言ってるのよ。静麗ジンリーは真面目なんだから、きっとすぐに上にあがっちゃうんだろうな」


 その声の端々に誇らしさのようなものを静麗は感じとり、静麗は無性に背筋が落ち着かなくなった。


「でも……それで部屋も別れちゃったわよ」


 思わずこぼした言葉を反芻して、目を開く。部屋が離れることを惜しむ響きがあったからだ。

 それを翠花も感じ取ったのだろう。同じような顔をして、そのまま感極まったように飛びついてきた。


静麗ジンリー!」

「わっ……、」

「部屋が分かれたからってお仕事は一緒だし、隣同士だし、お休みがあったら一緒にご飯とかも食べれるから。あと、えーっと、もし素敵な布が手に入ったら静麗にも見せるし、それとね……!」


 感情がないまぜになっているのだろうか。珍しく話が点在する様子を見せる翠花の様子を見て、肩が震える。


「……っ、ふふ。分かってる。これからも改めて、よろしくね」

「……!うん、よろしくね!」


 頭では駄目だと分かっている。

 私はあやかし狩人なのだから、ここにいるのも仮初の任務なのだから。

 これは間違っていると分かっていても、距離を置けなかった。翠花ツイファにも……颯雨ソンユにも。


 静麗ジンリーは無性に師傅センセイに文句を言いたくなった。どうして私をここに送り込んだのですかと。あの人ならそれこそ、宦の術をかけられた振りをすることくらい出来たでしょうに。男の尊厳も何も棚にあげて恨めしく思う。


 三日に一度、しょうの儀を執り行うときに娘娘ニャンニャンの元へと向かうことが決まっている。実際に儀の手助けをしながら、裏ではあの狼藉を働いたあやかしの裏で誰が動いていたのかを調べていく方針だ。


 その時が早く来てほしいと嘆息した。一日も早くここを去らなければ、どうにかなってしまいそうな心地だった。



 ◇



颯雨ソンユ様ぁ……!水母娘娘スイボニャンニャンからお話は聞きましたよ!?もう!」

小浪シャオラン


 今にも泣きそうな顔でくってかかる幼い侍従に颯雨は弱かった。本来ならば不敬と打首にされるかもしれない勢いでこちらにしがみつくのを、他に人がいないからとされるがままになっているのがその証拠だ。


「後宮に忍び込むなんて、打首にされても文句は言えない狼藉ですよ!」

「打首になどされんだろうよ。これだけの期間雛のままだというのに、未だに皇位継承権の一位を独占したままだ」


 恨みがまし気に吐き捨てれば、小浪の眉がこれでもかと下がる。


「颯雨様……やっぱり皇帝の座に着くことを、まだ厭うていらっしゃるのですか?」

「……当然だ。兄上殿の御世では何ら問題なく動いている。それは天に選ばれたからではなく、兄上自身の力が優れているからだ。……私とは違って」

「うぅ……」


 頭を抱える侍従を見て続けそうになっていた口を閉じた。


「すまぬな。お前が私が雛なままが故に苦労をかけているのは知っている」

「いえ、それは気にしないでください!僕は望んであなたのそばにいるんですから」


 勢いよく顔をあげて手を振る小浪の言葉は本心のようで、颯雨ソンユは内心安堵する。他のものを側に置いたこともあったが、度重なる成長を望む声に辟易とした為に暇を告げたことは両手では足りない。


 だからこそ、彼にだけはこの本音をこぼすことが出来た。


「早く兄上が子を成して、願わくばそれが天の力を持っていればとも思うよ。そうなれば私は喜んで次期龍帝の座をその子に譲るだろうに」

「……颯雨ソンユ様」

「分かっているよ。ただの戯れだ」


 国を二つに割ることを望んではいない。だからこそ、次期皇帝として進むためにも遺恨を晴らしておきたかった。


「それより、急ぎで調べてほしいものがある」

「はい、なんでしょう?」

「一つは、人餌派の派閥についてだ。義姉上を傷つけようとしたものがいる故に彼女と敵対が考えられる箇所を探れ。もう一つは陰陽鏡、こちらは陽の世界とこちらを繋ぐものらしい」

「…………」


 思いきり口を開かれてしまった。「嫌です」という音が出るのを何とかして留めている様子だ。


「前者は義姉上からの命だ。よろしく頼むぞ」

「はい……。でも、それを調べるまでは勝手に変なところで無茶しないでくださいね!」

「……善処する」


 完全に待つだけではいられないだろう。

 こちらの思惑を鋭敏に読み取った小浪が、ならばと提案をする。


「では、僕が他の官の方々からお話を聞いている間、颯雨ソンユ様は陰書楼の確認をお願いします」

「陰書楼?」


「外朝の中でも陰陽の在り方にまつわる書籍が収められている場所です。司書正が、最近入った官妖が優秀で、書籍の整理がみるみる進むと言っていましたから。颯雨様の望む情報も見つかるやもしれません」

「……そうか。あい分かった。陰陽と名のつくものならば関連する情報があるかもしれないな」


「はい。泰然タイランという官妖に声をおかけください」


 その名に一瞬既視感を覚えて首を傾げるか、すぐに打ち消す。まずは着実に動くべきだろう。気が急きそうになる自身を律しながらも、胸のしこりは消えない。


 静麗ジンリーと呼ばれていたあの少女。使命を持って陰陽鏡を持っているようだが、一体なぜだろうか。

 貸してほしい、取り上げたい。そういった思いよりもまず先に浮かんでは消えぬ想いに、葛藤するように瞳を閉ざした。

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