第8話 合わせ鏡の二者


静麗ジンリー


 寝室へと下がった水母娘娘スイボニャンニャンの余韻が残る室内。緊張が緩んだところで聞こえてきた声に背筋をただす。


「なに?……なんでしょう、颯雨ソンユ様」


 今の立場から砕けた物言いは不敬だろうとつけた敬称に分かりやすく颯雨は眉を落とす。


「颯雨で構わない。敬語も不要だ。ここに忍び込んでいる以上、私は皇弟としての立場ではない」

「そう……なら遠慮なく」


 あやかし相手に敬語をつけることに、どうしたって違和感があるのも事実だ。忌避感といったほうが、より近いかもしれないが。


「それで、さっき陰陽鏡を探しているって娘娘ニャンニャンはいっていたけれど」

「……そうだな。陰陽鏡というよりは、人の世界にいく手段を探していた」

「どうして?」


 普段ならこんな深追いはしない。けれどもわざわざ尋ねるのは……持っているからだ。私もその鏡を。

 部屋の奥、まじないをして隠してある鏡の存在を思い浮かべる。


 その問いかけに対して、返答は簡潔だった。


「殺したい人間がいる」

「……」


 その瞳は色薄いものの、憎しみが浮かべられている。巧妙に隠しているのか、それが表向きの理由なのかはわからない。けれども、言葉に嘘はないのだろうと思った。


「今の龍帝、梓磊ズーレイ兄は次兄だというのは、君が年若いあやかしであろうと知っているだろう?」

「……ええ、もちろん」


 知らないに決まっている。そこまでこの世界に詳しくない。

 言外の返答には気付かぬまま、颯雨は言葉を続ける。


「長兄は人間に殺された。人との間に戦争が起こっていた時代、当時龍帝だった彼を殺すことで、人間たちはその戦争を終わらせようとしたのだ」


 部屋の温度が下がった気がした。遠くに降ってもいない雨の音が聞こえる。

 同じだと、静麗ジンリーは直感した。けれどもそれを理性でも感情でも受け入れたくはなかった。



「……人間とあやかしの間の戦争ですね、ええ。私も田舎住まいでしたが聞き及んではおります、いるわ」


 咄嗟に女官としての仮面と、素の静麗のどちらを出すか悩んで、結局のところ両方が出てきた。同時に一つ、人間としての彼女は決して表に出さぬことを決めた。


「でも、人間というのはとても寿命が短いと聞きます」

「そうなのか?」

「はい。およそ百年も生きられないとか……貴方が憎むその人も、もう死んでいるのでは?」


 人とあやかしの間に戦争があっただなんて聞いたことがない。ならば古い話なのだろう。彼の憎む相手が没している可能性などいくらでもある。

 でも同時に、これで諦める言葉が返ってくるとは静麗にはとても思えなかった。


「──だとしたら、その子孫を屠るだけだ。兄上を殺したものの子孫がのうのうと生きているだけで、腑が裂かれそうな心地になる」


 そうよね。

 返ってきた答えに、いっそ安堵してしまったほどだ。彼が人に抱くそれは、私があやかしに抱くものときっと変わらない。



「──私は、この後宮で使命があります」

「先ほど聞き齧っていた範疇しか知らぬが、そのようだな」

「はい。そしてその使命を果たすため、陰陽鏡を一つ持っています」

「何?」


 眉間にシワを寄せてこちらを見る颯雨に、静麗は笑みを浮かべる。

 似たもの同士だから誠実でありたいし、けれども譲れない一線があるとわかってしまったから。


「ですが、私はこれを他者に渡すつもりはありません。貴方がこれを望むのなら、力づくで奪うしかないでしょう」


 言葉を切り、挑戦的に見上げる。

 彼が人の世界に渡った時、今のままでは間違いなく人を──彼の兄を殺した人間の関連か否かは分からないが、それでも殺すことだろう。

 ならば人に徒なすあやかしだ。容赦をすることは静麗には出来なかった。



 しばしの沈黙ののち、その首は横に振られる。


「……いいや、やめておこう。どうせ今は義姉上に制限を掛けられた身。奪ったところで使いようがない」

「そういえばそうでしたね」

「それに、君には恩がある」

「え?」


 そう言われて思わずのけぞる。


「恩、と呼ばれるほどのことは何もしてないわよ。どうやらスープのお味は気に入らなかったみたいだし?」

「あれを好んで食べるのは火精たちだけだと思うが……こほん。それでも、私を受け入れた上で周囲に沈黙を保ってくれた。それだけで私には十分だ」

「それでも改めて言われるほどのことではないわ。……言ったでしょう、私にも事情があるの。ここにいて陰陽鏡を持っているのを見ればわかるように。下手に突き出したら厄介になったかもしれないってだけ」


 あの日も再三口にしたことだというのに、真っ直ぐとこちらを見て頭を振ってくる。


「それでもだ。……静麗には何てことのないことだったかも知れないが、私にとっては嬉しかった。だから、君から鏡を奪う気はない」

「……はぁ。龍族って思ったよりも義理堅いのね。知らなかったわ」

「そういう木霊は、聞いていたよりも捻くれているんだな。辛いもの好きだし」

「それは私だけよ」


 ──恩だなんて私の立場、正体を知ればそんなことは言えないでしょうに。

 その想いを込めて睨みつけてやれば、「そういうものなのか」と謎の納得をしたように目を丸くした。

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