第7話 公子の思惑


「先ほどはありがとうございました。ええと……」

「……申し遅れました。私は尚儀局の女官。名を静麗ジンリーと申します」

静麗ジンリー、そして颯雨ソンユ。わたくしは玲水リンスイ。この龍妖宮のまとめを陛下より仰せつかっている水母娘娘スイボニャンニャンです」



 連れてこられた時に他の女官から娘娘ニャンニャンと呼ばれていたことから薄々想像はついていたが、改めて名を告げられて静麗ジンリーは背筋が冷える。水母娘娘スイボニャンニャンといえば皇貴妃にあたるあやかし。いまだ皇后がいないこの後宮で最も力を持つ存在だ。

 ここの問答次第では、女官一人の命など一瞬でかき消えることだろう。無論、あやかし狩人としての力を発揮すれば一時身を潜めるくらいならばできるだろうが。手のひらを無意識に固く握りしめる。


 けれども玲水と名乗った女性はたおやかな笑みを浮かべる。


静麗ジンリー、話は聞いております。泰然タイラン殿が自らの弟子を此処にいれるから、よしなにと」

「へっ⁉︎」


 間が抜けた声と共に姿勢が大きく崩れかけた。どうしてここで師傅の名が?


「私は人妖中立派の者です。現龍帝陛下、梓磊ズーレイと同じく」

「中立派……?」

「ええ。人と妖の関係性を今のまま不可侵の形で保つことを望む、それがわたくしたち。……先ほどわたくしを襲ったあやかしは、おそらく人餌派でしょう。中立派として立場の強い私を、別の后か、あるいは外の者が排除しようとしたのかと」


 息をのむ。次から次へと与えられる情報に思考が回りそうになる。同胞同士ですら食い合う所業に、血の気が引く。


静麗ジンリー


 隣から聞こえてきた声に突如引き戻された。座っているのは、雨の日に出会ったと主張をしていた、龍の角を持つ男。颯雨ソンユと呼ばれていたか。その男がこちらへと声をかけてきた。


「大丈夫か」

「え、え。……大丈夫、です。……失礼しました、娘娘ニャンニャン。あのあやかしは、いかなる手段を使ったかは分かりませんが、人の世界に現れていました。表の世界の後宮にて、女官を食い殺しています」


 大丈夫だと口にはしたが、到底平常ではなかった。そのつもりもなかった暴露から一拍して、息が詰まりそうになる。何故人の世の事情に明るいのかと詰問を受けても仕方がない過ちだった。

 静麗ジンリーの言葉を受けて、動じた様子もなく頷く娘娘ニャンニャンの反応こそが唯一の救いか。


「成る程。おそらく人餌派のどなたかは陰陽鏡を持っているのでしょう」

「陰陽鏡……ですか?」

「ええ。人の世界とあやかしの世界を繋ぐことのできる媒介。それがあれば思いのままに世界を渡ることができると」

「……!」


「──なるほど。颯雨、あなたの目的は陰陽鏡でしたか」

「え……?」


 空気が変わったのを察知して娘娘ニャンニャンと男の間を交互に見渡せば、男は先ほどよりも目を見開き、その金色は煌々と輝いている。


「後宮に入れる男は陛下のみ。他の者は宦の術を掛けられてからでなければ足を踏み入れることは叶いません。……それは龍帝陛下の弟君であるあなたでも代わりはございません」

「……それは」


 次に息を呑んだのは静麗の方だった。龍帝陛下の弟、颯雨、その名前は以前翠花ツイファが口にしていた。


「……政務の手伝いもろくにしないで遊び呆けてるっていう?」


 こちらを隣から鋭い目が睨みつけてきて静麗ジンリーは失態を悟った。無意識のうちに口から漏れ出ていたようだ。


「遊び呆けてはいない」

「そうですね、政務を梓磊ズーレイ様に任せきりなだけです。未来の龍帝陛下ともあろう方が」

「ぐっ……」


 それが事実なら彼らは義姉弟の立場にあるはずだ。それならばどこか気安いやり取りにも納得がいく。


「日々の政務については私の範疇外、深くは咎めませんとも。それでも、ここ龍妖宮の中はわたくしが任せられている場。そこに男が入ったとあらば、無条件で解放することはかないません」

「…………はい、覚悟はしております」

「助けてくださったことは事実。感謝しておりますが、改めての侵入を禁じましょう。それと……」


 口の中でだけ彼女は何事か唱える。およそ人である静麗には聞き取れなかったが、隣に座る颯雨には、まじないの意味が理解できたのだろう。顔をこわばらせて立ち上がった。


義姉上あねうえ!」

「此度の首謀者が見つかるまで、御霊をこの世界に拘束しました。颯雨、あなたは外朝と内朝にて人餌派について探り、事件解決を図りなさい。後宮内部はわたくしとその麾下、そして静麗が探りましょう」

「はい!?」


 何やらわからぬが、大変なことになったと見守っていれば急に水を向けられて腰が浮く。

 けれども美しい娘娘ニャンニャンは、相変わらず悠然とした笑みを口元に称えていた。


「師傅殿にはわたくしからも願い伏します。どうか、此度の事件解決に力を貸してくださいませ」


 お願いなのか、脅迫なのか判断のつかぬ言葉に顔を歪ませる。


 ──本音をいえば真っ平ごめんだった。あやかしのお后様のお願いを聞くなんて。

 それでも師傅と知り合いの、この後宮内で最も力を持つ方からの願い。


「……私で力になれるかは分かりませんが」


 師傅一人でも丸め込まれるというのに、二人相手は無理。早々に諦めた私は手を付き伏しながら、そう答えるのがやっとだった。

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