第6話 再びの邂逅


 不思議なことに、この世界では昼の方がはかりごとを進めやすい。


 太陽が天辺へと昇り、多くのあやかしたちが閉じこもっている時間帯だからだ。

 最も警備が薄くなるが、同時に用のない女官たちが歩いていては不審がられる時間帯。昼廻の役目をするものだけが大手を振り、見張りの耳目の対象からも外れることを知ったのは、潜入して間もない頃だ。



「『かしこみかしこみ申し上げる。万物ひしめくもの、五行纏ろうもの。火生土の因果を巡りて根源を辿れ』」


 先日は唱えきれなかったまじないを唱えれば、空気が揺らぐ。属性同士の結びつきを因果として探り出し、縁あるものを捉えるための探知術だ。目には見えぬ気の通り路は、確かに一つの方角を指し示していた。この先に女官を殺したあやかしがいる。



「キャアアァア……っ!!」

「っ!?」


 まさにその方角から、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。この後宮に人はいない。それでも切実な声に思わず足はかけだした。


 昼時は光景がよく見える。

 基本二足の姿を取るようにと言明されている宮中で、四つ脚の獣がそこにいた。その巨体の大半は白い虎のようだが、尾は二股に裂け、蛇の頭がついている。頭の生き物は判別しきれないがチーではない。おそらくは鵺だ。

 懐から飛刀を取り出し、牽制の意を込めて投げる。狙い通り後ろ側に飛んで避けた鵺と、襲われていた女性の間に距離が空く。


 同時に漂う炎と灰の香がありありと静麗ジンリーに知らせていた。目の前にいるこのあやかしが、女官殺しの張本人だ。



 ──欲に飲まれ、人を喰らうあやかしが目の前にいる。

 一瞬で跳躍し、匕首を獣の首元へとその勢いのまま振り下ろす。

 尾の蛇が二匹掛かりで匕首を受け止めるが、先ほど投げた飛刀のうち、高くを飛ばせていた刀がその間を縫って首を貫いた。


 苦悶の悲鳴をあげる鵺に止めを刺すべく符を取り出すが、視界の端に見えた女人……女妖の姿に一瞬身体が止まった。

 襲われていた彼女も人ではなくあやかしだ。妖狩りに使う符を目撃されてしまえば、もう言い訳をすることはできなくなる。私の正体は間違いなく露呈するだろう。

 なら、彼女も口封じをすればいいか?……常ならきっと、躊躇わなかった。でも今は、彼女も襲われる側だ。


 一瞬だけ過ぎる、雨の光景。


「っ!危ない!!」


 薄紅を差した唇から悲鳴が漏れる。

 はっと気づいた時にはかぎ爪がこちらへと今にも振り下ろされる瞬間だった。



 ──想像していた衝撃は、けれども来なかった。

 代わりに目の前に現れ、かぎ爪を押さえ込むのは剣。そして青白銀の腰まである長髪をゆるく結えた男。


「人血のついた穢らわしい手で彼女に触れるな」

「え?」

「《縛》」


 低まった声でぼそぼそと呟く男のまじないで、地面が縄となり獣を縫い止める。鵺はもがくが、よほどの力があるのだろう。縄から脱出することは叶わない様子だ。


「……怪我は」


 振り返ったかんばせは凛とした白皙で、隔絶した美しさを称えている。顔立ちだけではない。側頭部から生えている二本の角こそが、彼が人でないことを示していた。


「っ、な……いけど。……貴方は、なに?」


 しどろもどろで返事をしながら、匕首を構え直す。助けてくれたことは本当だろう。だが彼──そう、明らかに男だというのに、宦の術をかけられている痕跡がない。

 明らかに不審者だ。それを言ったら静麗とて、構えている匕首をはじめとした暗器を持ち歩いていることの説明がつかないのだけれど。


娘娘ニャンニャン!ご無事ですか!?」

「っ、その者たちは……」


 空間が俄かに騒がしくなる。逃げる機会を失っていたことに気がつき背筋が冷えるが、女官たちを制するように、先ほど襲われていた美しい女性が手を挙げた。


「この方々のおかげで、私は無事です。……とはいえ、事情は聞かねばなりません。鵺を闇廠の地下へ。この者たちは私の部屋へ。無論、この場のことは口外しないように」


 背筋を正して命令のまま動き出す女官や宦官たち。どうするべきか。逃げるか、流れに任せるか。


「……逃げることは考えない方がいい、少なくとも、今は」


 聞こえてきた声に振り返れば、先ほど庇ってくれた男がそこにいる。意図は掴めない、が、その言葉はこちらを罠に嵌めようとしているようには聞こえなくて。


「いざとなったら、一緒に暴れてくれる?」


 乱戦を行い、厄介になった身の上としては同じだと軽口を叩く。当然、彼の立場も何もわからない状態で首を縦に振られるわけがないと思っていたが。


「当然だ」

「……」


 それが至極容易く叶えられて、今度は静麗の方が分からなくなってしまった。困惑と疑問が表情に現れていたのだろう。女官たちの促しへと歩き出したところで、悪巧みを一つ公開するような愉しげな調子で再び男が口を開く。


「寒い雨の中で差し出されたスープの礼と思えばいい。……まあ、あの辛すぎるスープについては君の味覚に物申したいが」

「は!?」

「そこ、どうかしましたか?」

「い、いえ……なんでもないです……」


 咎めるような女官の声に縮み上がるが、脳内は混乱の一斗を辿っていた。

 人の味覚にけちをつけるなとか、スープの恩にしては重すぎないかとか。

 それでも一番言いたいのは。


「あんた……あれは変化だったとか、そういう?」


 静麗ジンリーを頭ひとつ越える長身は、どう見ても子どもとはいえない。だとしたら潜入のためにあの仔蛟の振りをしていたのだろうか。

 だとしたら良心を利用されたような気がすると、勝手にも非難めいた思いを抱いて問い掛ければ、男の表情が今度は曇った。



「そうではない。……私はそういう種族なんだ」


 歯切れの悪いその言葉は気になるが、あまり雑談をして見咎められるのもごめんだ。あとで聞けそうなら遠慮なく聞かせてもらおうと心に決め、宦官たちの後を追った。

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