第4話 雨の日の邂逅


 あやかしの世界に来て驚いたことは数知れない。その一つが、この世界にも四季や天気が存在することだ。


 とはいえ、昼夜以外の四季や天気は時間が経てば発生するとも限らないらしい。伝聞調なのはひとえにそれを実感するほど静麗ジンリーが長らく滞在していないからだけれど。


 宮から宮へと渡る通路から天をのぞく。

 鉛空から耐えかねたように雫が滴り、次第に直線を描くような雨が降る光景へと移り変わっていく様を見るのはこの世界でははじめてだった。



「雨が降るのは天の力を秘めた龍が泣いているから……だったかしら。水母娘娘スイボニャンニャンしょうの儀はまだ先の日取りのはずだし」


 五行という思想がある。曰く、万物は全て五つの元素から成り立つとのことだ。

 そしてその五つの元素の内、全てを網羅するこそが陽の世界で生き、欠けているは陰の世界でしか生きられないという。


 この陰の世界は強いあやかし達の力や感情の影響を密に受ける。

 古き大樹達の長が眠りにつく時が秋となり、獓狠ごうこんが歩く土地が冬になるという。……信憑性は不明だが。


 何はさておき、このように静かに降り出す雨はとりわけ龍帝のおわす後宮では特別だ。仕事を途中で辞めて部屋へと戻るよう鐘で通達があるくらいには。


 后妃付きの女官たちは宮へと帰る主に着いて誰もいない。同室の翠花ツイファは雨鎮の舞の用意で出払っており、今が好機だと判断する。




 恵みの雨と呼ぶべきだろう。静麗ジンリーもそろそろに立ち返る時だ。

 右手を前へと向けて瞳を閉じる。掌に乗っているのは一握の砂……表の後宮で頓死した女官の遺灰だ。


「『かしこみかしこみ申し上げる。万物ひしめくもの、五行纏ろうもの。火生土の因果を巡りて根源を』……っ!」


 雨が上から草木にあたる音ではない、藪の内側からがさりとなる音にまじないを止める。

 木霊が操れるのはモクにまつわる属性のみ。察知できるのはその両隣もとはいえ、もしも他の者に見られでもしたら木霊の在り方が偽りだとばれてしまう。それだけは避けねばならなかった。


 藪は一度音を立ててから、反応がない。けれども気配は消えていない。そう大きい茂みではないからいるなら人を模していない……まだ模すほどの力を持っていない見習いの孩雛ハイズか。


「……誰かいるの?」

「ギッ!」


 雨粒に濡れることも厭わずに段差から地の元に。

 湿った葉をかきわけて覗きこめば、まず先に見えたのは翼だ。


 犬か猫程度の大きさの爬虫類。けれども蛇とは異なりくびれや手脚らしきものがある。つのらしき出っ張りもあるあたり、普通の動物では、明らかにない。


 数十倍巨大に、猛々しくすれば龍と呼べるようなものになるのだろうか。今のままではせいぜいがみずちと呼ぶべきもの。


「…………あやかし、よね?」

「……キィ」


 鳴き声らしきものが聞こえて伸ばしかけていた手が止まる。指先が小刻みに震えるのを自覚しながら、静麗ジンリーは再び仔蛟を見つめる。


 仔蛟の側も静麗ジンリーを認識しているようで、視線がしっかりと合う。翼はたたみ込まれ、丸まっている尾……こちらを警戒している様子がうかがえる。


 龍に似た見た目だが、今代の龍帝にはまだ皇子はいないと聞いている。だとしたら外部から入ってきた野良あやかしだろうか。蛟がここにいるとは聞いたことがなかった。


「お前、どこから入ってきたの?入り口は順風耳と千里眼が見張っているでしょうし」


 水を吸った衣服の重みに、ひょっとしてこの雨で彼らも思うように動けないのかもしれないと思い至る。これだけ雨が降りしきる中では、水木の属性以外のあやかしはさぞや動きにくいだろう。


「グル……」


 問い掛ければ半歩後ずさる。こちらを相変わらず睨みつけてくる姿をみて、しばし逡巡した。


 ──ええ、分かってる。放置するのが最善だわ。


 伸ばしかけた指が震えている理由を、私はとっくに分かっている。理性も野良の後宮に迷い込んだあやかしなど見て見ぬふりをするべきだと告げていた。

 特にこれは蛟、龍にまつわる種族の可能性すらある。厄介ごとの火種になってもおかしくない。



 それでも、最終的に選んだのは仔蛟を予備動作なく抱きあげることだった。


「ギィ!?」

「ほら、静かになさい。他のものに見つかったらあなた、ただじゃすまないわよ。宦のまじないもかけられていないのでしょう?」

「……。」


 こちらの言葉は理解できるようで、そしてどうやら静麗ジンリーの言葉は的をえていたようた。

 途端に口をつぐむ様子に、仔蛟を見つけてはじめて唇をゆるめた。


「いい子。私だって仕置きを受けたくはないもの。そのまま部屋までは静かにしててちょうだいね」

「グルゥ……ッ」


 不満なようで、鉤爪で切り裂くまではいかずとも静麗ジンリーの腕を掴んでくる。


「服が裂けちゃうわ。やめてちょうだい」

「グルルル……」

「……なんで構うのか分からないって言いたげね。私だって放置していくか誰か呼ぶかしたほうがいいって分かってるわよ」


 首をあげて少女を見上げてくる仔蛟に、眉をさげて笑った。


「でも、仕方ないじゃない。──雨の日は寒いから」

「……、」

「一人の雨の日はね、熱を奪われて凍らされるような気持ちになって、心まで冷えていく。だから誰かといて温もりを分け与え合うのがいいって。爸爸とうさまはそう言ってたから」


「…………ギュイ」


 いまの言葉をこの仔蛟がどう受け取ったかは分からない。そもそも人の言葉を解するかすら、静麗ジンリーには分からなかった。

 が、抵抗が弱まったのならいいということにしよう。今は誰もいないはずのあてがわれた女官部屋へと帰るべく駆け出した。

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