第2話 陰陽鏡と裏後宮


「待って師傅センセイ。事情は分かりましたし、この事件の重さは分かりました。ですが私が龍妖宮へ潜入なんて、そんなこと出来るわけがありません」



「何故そう思う」


 訴えを逆に問いかけで返されて、言葉が詰まる。

 居住まいをただす師傅、泰然タイランは眉根をあげる。彼がその顔をするのはこちらを試しているのだと静麗ジンリーはよく知っていたため、咳払いをして目線を合わせた。


「何故って……陰陽鏡の裏後宮について教えてくださったのは他ならぬ師傅センセイでしょう。この世界と重なるように存在し、けれども裏側にある場所、人は足を踏み入ることができないと」

「おや、覚えていたか」


 口角をあげる様に腹が沸々と煮えるが、育ての親とも等しい男の性根はとうの昔に知っていたことだ。目線だけで続きを促す。


「今言った通り、あやかし後宮はこちらの世界の後宮と重なった世界だ。位相が異なるが故に通常ならば足を踏み入れることはできまい。だが」


 言葉を区切り、代わりに二人の合間にある桌子ツクエの上に銅鏡が置かれた。

 首に髑髏をさげた三面六臂の姿が彫られており、同時に陰気と陽気の二つを秘めていることが静麗ジンリーの眼にも見てとれた。貌も力も、単なる装飾品でないことは一目でわかる。


「これは?」

陰陽鏡インヨウキョウ。彼方と此方をつなげる鏡だ」


 曰く、気の溜まる龍穴で呪いを鏡に唱えれば表裏は反転し、彼方の世界へと行けるという。異界渡りの手段など並大抵の術で手に入れられる筈もない。似たような術式を編み出そうと終生をかけた同業者の話も聴いていた。



「……どこからこのようなものを?」

「昔ちょっとな。それを探すために家中ひっくり返してこの有様だ」

「それは嘘ですね。 師傅センセイのお部屋どころか家中何度も片付けましたが、初めて見ましたよ。こんなもの」

「ばれたか」


 頬杖をついたまま笑う師傅に溜息を吐く。

 だが泰然タイランはさしてこちらの反応を気に留めることなく銅鏡を桌子ツクエに残す。代わりに駄賃でもらった醬を手に取り、またそこいらに放られた。


「ちょっと。また適当において」

「まだ上に余白がある。不満があるならうちが物で詰まる前にお前が任務を終えて戻ってくればいい」

「詰まるほどのものがうちにあったら驚きです」


 そもそも先に片付けをしてほしいのだけれど。いえ、今の問題は師傅の散らかし癖ではなかったと首を振った。


「……裏後宮にいく手段があるということは理解できました。でも行ったところで私がその場の女官となるなど出来ようもありません」


 人の天子が治めるこの世界とは異なり、あやかしが治めるかの世界は龍が帝を務めていると聞く。あやかし共がひしめく世界といえど、後宮としての役割も変わりはないと。


 人の世に現れるあやかしの多くは無頼だ。そこに規律も何もなく、本能とさがのみで人を怯えさせて負の気を奪い、時に血肉を喰らう。

 だが裏の世に存在するあやかしたちは私たちと同じように州を定め集落を作り、自らより偉大なるものの命を受けて生きているという。──正直なところ、甚だ信じられないが。


「彼方について詳しくは知りませんが、後宮の女官となるならば一族の保証や、教養も必要となるでしょう。……あやかしの間の礼儀もしらず、何より人間の私が紛れ込むなど、すぐに見つかって取って喰われてしまうのでは?」


 ならばよほど、気配を殺して隠れながら犯人を探るほうが良いのではないだろうか。胸の前で手を上げて主張すれば、赤紫の瞳が妖艶に細められた。


「ほう?あそこの警備をしているのは順風耳と千里眼たちだ。それらを掻い潜りながら長きに渡り調査をする自信があるのならば良いが」

「ぐっ……」


 順風耳と千里眼。物質に遮られることなく千里先の音を聞き、千里先の光景を見る者たち。姿隠しの術はあろうと万能ではない中で、彼らの耳目を盗むのは確かに分が悪い。


「それよりは人の匂いを無香炭で消し、花木の香を毎日毎夜焚き染め木霊の一人として振る舞う方がまだ良い。鼻のきく獣種への警戒は必要だがな。それに女官として入り込むための書面は伝手を辿ってすでに得た」

「いつの間に……」


 書状らしき筒を見せられて舌を巻く。世界を渡る術をもつといえど、どんな手段を使ったのか。

 さては師傅センセイ、事が起きてすぐに万全の準備を整えていたようだ。


「作法についても懸念を覚える必要はない。この俺が妖狩りの腕と同じく作法も叩き込んだんだ。あやかしも人も作法の基礎は同じ。貴妃として振る舞うにはやや器量とおべっかの愛想が足りてないが、女官として振る舞うなら十分だ」

「……一言多いわよ、爸爸とうさま


 線引きを越えてつい昔の呼び方で呼んでしまった。

 歯の奥で笑いを噛み殺す男の手中にどんどんはまっている気がして面白くない。

 苦し紛れだと理解はしつつも銅鏡を彼の側に押し返す。



「何だ。お前なら貴妃も間違いなしとでも言って欲しかったか?」

「冗談にしても面白くないわ。あやかしのお妃さまなんて真っ平ごめんよ」

「お前のあやかし嫌いも筋金入りだな」


 当たり前だ。あやかしに滅ぼされた集落から私を拾って育て上げたのは、他ならぬ師傅だというのに。


 今でも長雨が降ると思い出す。

 抱きついていた媽媽かあさまから、雨と共に血が流れて体温が失われていくあの日のことを。

 私の大切なものを奪っていった異形の爪を。



「その私にあやかし後宮に行けというなんて、爸爸とうさまの性根の曲がりようも相変わらずね」

「狩るものの本質を識ることは大事さ。何事もな。それにこの任務を受けることはお前にとっても励みになるだろうよ」

「どういうこと?」


 泰然タイランの言葉の意図が読めずに片眉をあげれば、懐から書状を取り出す。彼は討伐依頼を受ける時、いつでも依頼内容と報酬を明文化した書状をもらうようにしていた。


「今回殺された女官は環妃に付いていたものだが、環妃はその件に大変心を悼められていてな」


 妃たちの名前などおよそ知りはしないが、環という姓は心当たりがあった。西南の州で、密かな憧れを静麗ジンリーが抱いている土地。その理由は。


「故に此度の報酬に向こうの珍味、舌の端がその辛さで燃えるとすら言われている伝説の辣椒トウガラシ、炎泉辣椒を何本かいただけるそうだ」

「ぐ、ぅ……」


 生きている間に一度は味わってみたかった名前を出され、思わずうめき声が漏れる。

 その名前を聞いた私が惹かれないわけがないと分かって交渉していたのだろう。師傅の用意周到さに恐れ入りつつ、無精無精しぶしぶ頷く。


「分かり、ました。……女官としてあやかし後宮へと忍び込み、表の後宮にて事件を引き起こした首謀者をたしかに引っ捕らえて参りましょう」


 仕方がない。ここまで準備したうえでとあらばこのあと私がどれほど言い募ったところで無駄なはずだ。静麗ジンリーは観念した。…‥断じて。断じて辣椒トウガラシの魅力に負けたわけでは、ない。


 こちらの胸中を知ってか知らずか、憎たらしいまでに満面の笑みで師傅センセイは笑う。



「お前ならそう言ってくれると信じていたさ。頼んだぞ、静麗ジンリー

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