第2話 陰陽鏡と裏後宮
「待って
「何故そう思う」
訴えを逆に問いかけで返されて、言葉が詰まる。
居住まいをただす師傅、
「何故って……陰陽鏡の裏後宮について教えてくださったのは他ならぬ
「おや、覚えていたか」
口角をあげる様に腹が沸々と煮えるが、育ての親とも等しい男の性根はとうの昔に知っていたことだ。目線だけで続きを促す。
「今言った通り、あやかし後宮はこちらの世界の後宮と重なった世界だ。位相が異なるが故に通常ならば足を踏み入れることはできまい。だが」
言葉を区切り、代わりに二人の合間にある
首に髑髏をさげた三面六臂の姿が彫られており、同時に陰気と陽気の二つを秘めていることが
「これは?」
「
曰く、気の溜まる龍穴で呪いを鏡に唱えれば表裏は反転し、彼方の世界へと行けるという。異界渡りの手段など並大抵の術で手に入れられる筈もない。似たような術式を編み出そうと終生をかけた同業者の話も聴いていた。
「……どこからこのようなものを?」
「昔ちょっとな。それを探すために家中ひっくり返してこの有様だ」
「それは嘘ですね。
「ばれたか」
頬杖をついたまま笑う師傅に溜息を吐く。
だが
「ちょっと。また適当において」
「まだ上に余白がある。不満があるならうちが物で詰まる前にお前が任務を終えて戻ってくればいい」
「詰まるほどのものがうちにあったら驚きです」
そもそも先に片付けをしてほしいのだけれど。いえ、今の問題は師傅の散らかし癖ではなかったと首を振った。
「……裏後宮にいく手段があるということは理解できました。でも行ったところで私がその場の女官となるなど出来ようもありません」
人の天子が治めるこの世界とは異なり、あやかしが治めるかの世界は龍が帝を務めていると聞く。あやかし共がひしめく世界といえど、後宮としての役割も変わりはないと。
人の世に現れるあやかしの多くは無頼だ。そこに規律も何もなく、本能と
だが裏の世に存在するあやかしたちは私たちと同じように州を定め集落を作り、自らより偉大なるものの命を受けて生きているという。──正直なところ、甚だ信じられないが。
「彼方について詳しくは知りませんが、後宮の女官となるならば一族の保証や、教養も必要となるでしょう。……あやかしの間の礼儀もしらず、何より人間の私が紛れ込むなど、すぐに見つかって取って喰われてしまうのでは?」
ならばよほど、気配を殺して隠れながら犯人を探るほうが良いのではないだろうか。胸の前で手を上げて主張すれば、赤紫の瞳が妖艶に細められた。
「ほう?あそこの警備をしているのは順風耳と千里眼たちだ。それらを掻い潜りながら長きに渡り調査をする自信があるのならば良いが」
「ぐっ……」
順風耳と千里眼。物質に遮られることなく千里先の音を聞き、千里先の光景を見る者たち。姿隠しの術はあろうと万能ではない中で、彼らの耳目を盗むのは確かに分が悪い。
「それよりは人の匂いを無香炭で消し、花木の香を毎日毎夜焚き染め木霊の一人として振る舞う方がまだ良い。鼻のきく獣種への警戒は必要だがな。それに女官として入り込むための書面は伝手を辿ってすでに得た」
「いつの間に……」
書状らしき筒を見せられて舌を巻く。世界を渡る術をもつといえど、どんな手段を使ったのか。
さては
「作法についても懸念を覚える必要はない。この俺が
「……一言多いわよ、
線引きを越えてつい昔の呼び方で呼んでしまった。
歯の奥で笑いを噛み殺す男の手中にどんどんはまっている気がして面白くない。
苦し紛れだと理解はしつつも銅鏡を彼の側に押し返す。
「何だ。お前なら貴妃も間違いなしとでも言って欲しかったか?」
「冗談にしても面白くないわ。あやかしのお妃さまなんて真っ平ごめんよ」
「お前のあやかし嫌いも筋金入りだな」
当たり前だ。あやかしに滅ぼされた集落から私を拾って育て上げたのは、他ならぬ師傅だというのに。
今でも長雨が降ると思い出す。
抱きついていた
私の大切なものを奪っていった異形の爪を。
「その私にあやかし後宮に行けというなんて、
「狩るものの本質を識ることは大事さ。何事もな。それにこの任務を受けることはお前にとっても励みになるだろうよ」
「どういうこと?」
「今回殺された女官は環妃に付いていたものだが、環妃はその件に大変心を悼められていてな」
妃たちの名前などおよそ知りはしないが、環という姓は心当たりがあった。西南の州で、密かな憧れを
「故に此度の報酬に向こうの珍味、舌の端がその辛さで燃えるとすら言われている伝説の
「ぐ、ぅ……」
生きている間に一度は味わってみたかった名前を出され、思わずうめき声が漏れる。
その名前を聞いた私が惹かれないわけがないと分かって交渉していたのだろう。師傅の用意周到さに恐れ入りつつ、
「分かり、ました。……女官としてあやかし後宮へと忍び込み、表の後宮にて事件を引き起こした首謀者をたしかに引っ捕らえて参りましょう」
仕方がない。ここまで準備したうえでとあらばこのあと私がどれほど言い募ったところで無駄なはずだ。
こちらの胸中を知ってか知らずか、憎たらしいまでに満面の笑みで
「お前ならそう言ってくれると信じていたさ。頼んだぞ、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます