第5話 サメと魔王と竜 五
「あああぁぁぁーっ!」
「ぎゃあーっ!」
チェザンヌもマギルスもたまらず悲鳴を放った。
「チェザンヌーっ! マギルスはどうでもいいけどあたしの椅子はあんたの肩がいちばんいいんだーっ!」
意味不明な応援をするルン。
勝ちほこるかのように双頭の竜の背中をむさぼり始める赤紫の竜が、とつぜん身体をのけぞらせた。赤紫色の尻尾から異臭を放つ煙が吹きあがっている。煙そのものは無色で、辺りの空気を歪めていることからどうにかそれとわかった。
「食事中はどんな化け物でも気が緩むものだな。船長とナプタの煙から分析して作った反逆行進化薬、たっぷりと味わえ!」
カボが、危険をかえりみず竜達の決闘現場に近よっていた。
赤紫の竜は苦痛にのたうって大きく吠えた。そこかしこで倒れやすい品が地面に倒れる。打撃になったのは事実だが致命傷というほどには至らなかった。
「なにをしているんだ、二人ともーっ!」
ふがいない双頭の竜に、カボからゲキが飛んだ。
「俺が作った絶好のチャンスをむざむざ駄目にする気かーっ! お前達が力を合わせれば赤紫の竜よりはるかに強いはずだーっ! 手探りでもいいからとにかく持ち味を活かし合うことを考えろーっ!」
「も、持ち味……きゃあーっ!」
のんびりチェザンヌが反省している状況ではなかった。カボの一撃を克服しつつある赤紫の竜から二回目の噛みつきが加えられ、背骨が露出しかかってきた。
「あ、頭を踏みつけられたままでは手が打てん! せめて吐息さえ当てられたら!」
「吐息……それですわ!」
ようやく貯まりきった力で、チェザンヌは地面に……というより地中に稲妻を吐いた。その反動でわずかながらも赤紫の竜の踏みつけが揺らぐ。
「今だ!」
双頭の一つが赤紫の竜から自由になり、逆に脚の腱に噛みついた。赤紫の竜は上半身をのけぞらせて絶叫するが、構わず足首を引き裂く勢いで牙を沈める。苦し紛れに、赤紫の竜はもう一方の脚で噛みついてない方の頭を蹴った。
「ううっ!」
双頭の竜は、チェザンヌの悲鳴とともに口を赤紫の竜の脚首から離してあとずさった。その直後に起きあがる。背中の傷は致命傷寸前で、出血もひどい。その代わり、赤紫の竜は片脚がちぎれかけて使い物にならない。
赤紫の竜が、息を深く吸いこみ始めた。
「今度は自分の吐息を浴びせる気だ!」
双頭の竜の稲妻ほどではないが、打撃がたまった今の状態なら当たるとまず助からない。
「逃げてはなりません。そのまま陛下の元へ走って下さい!」
「なに!?」
「先生と殿下のお言葉で、私、閃きましたの! 尻尾は右からですわ!」
「よ、ようしっ! チェザンヌに命をあずけた! いくぞっ!」
双頭の竜が左右の脚を合わせると、自然に翼が動き浮かびあがった。赤紫の竜の口がカッと開き、喉元まで吐息がせりあがっているのがみえる。
赤紫の竜が二回目の吐息を使う瞬間、宙を駆けた双頭の竜は水平に右一回転した。尻尾の先端が赤紫の竜の口にねじこまれ、なお少しも勢いが衰えないまま背中から押し倒す。
双頭の竜は、尻尾を赤紫の竜に食らわせたままむきだしになった首にまたがった。そこから上半身をかがめ、二つの口が同時に赤紫の竜の左胸に噛みついた。肋骨が砕けて肺が裂かれ、ついに心臓まで牙が届く。
「があああっ! ごわぁぁぁっ! ぎゃあああーっ!」
心臓を上下に引き裂かれた赤紫の竜は、胸と口から天まで達しかねないほど血を噴きだした。全身がぴくぴくひきつったのも束の間、ついに動かなくなる。
「や、やった……陛下を……いや、父上を……」
「と、とても……紙一重……」
双頭の竜もまた、赤紫の竜にかぶさるように倒れた。そこで青い光が双頭の竜を包み、チェザンヌとマギルスは人間の姿に戻った。二人とも裸より多少ましな程度に衣服はズタズタ、傷まみれ血まみれながら生きている。
「チェザンヌ! 無茶しすぎだよ!」
ルンが大至急かけた回復魔法で、チェザンヌはようやくたてるようになった。
「いまいち好きになれないけど、まあ、ついでだから」
ルンは、マギルスも助けつつ一言加えずにはいられなかった。
「お……終わりましたね」
倒れた柱の陰から、クナムが姿を現した。
カボ達がうなずくのとは別に、チェザンヌは別な柱の陰からスイシァを見つけた。左膝をつき、丁寧に両手で抱き起こす。
「チェザンヌさん、その女はあなたの一家を皆殺しにし、あなたを追放する原因を作った張本人。恐らくは陛下に操られていたのでしょうけれど、仇に変わりはないでしょう」
「静かにしなさい」
スイシァを両手で捧げ持ったまま、チェザンヌは竜の遺体まで歩いた。そして彼女を竜のえぐられた心臓の穴にそっと横たえた。
両手が空いたチェザンヌは、森でハーピーから得た力を思いだしていた。死闘を経て成長した力をもってすれば簡単だ。スイシァによって強制的に描かれた、自分自身の屈辱的な肖像画を目の前に引っ張りだすのは。
「私は、中途半端な復活で人格の歪んだスイシァがこんなことをしたのだと思っていました」
チェザンヌは、矢印を生みだす羅針盤をポケットからだした。
「この絵を作らせるよう、スイシァに命令した者を示しなさい」
矢印はまっすぐクナムをさした。
「な、なんの冗談です? 私が諸悪の根源とでもいいたいのですか?」
「その通りです。クナム、ではない混沌の魔王よ」
「アハハハハハハハハ。バカバカしい。なら、あなた達を助ける筋合いはないでしょう」
「ルン様」
「うん」
「あなたが魔王ですね?」
「違い……アハハハハハハハハ! エヘヘヘヘヘヘ!」
これほどグロテスクな代物を、チェザンヌは見聞きはおろか想像すらしていなかった。間借りなりにも大義名分があっただけ、国王の方がまだましだ。
「チェザンヌも気づいたか。考えても見れば、当然だったな」
カボがいつになく深刻な表情を作った。
「だいたい、『さざ波の淑女』号があんな目にあったのに一人だけ無傷というのがおかしい。追放された俺が言うのもなんだが、一歩間違ったら反逆罪で処刑されるような行為に黙々とついてくるのも不自然だ」
「で、でも、あなたやチェザンヌの話だとハーピーはネルキッドに魔王がいるとか言っていたんじゃありませんか!」
笑いがようやく収まり、クナムは反撃してきた。
「わざと嘘をつかせたか、最初からでたらめをハーピーに吹きこんでいたかどちらかだろう。俺達を撹乱するために。まだあるぞ」
「まだ……?」
カボは一歩進みでた。
「ハーピーの爪から、なにかを引き寄せる力をチェザンヌに与えたのもお前だ」
「どうやってそんな理屈がなりたつんです?」
「追っ手を振り切って馬に乗ったとき、俺はわざとお前を自分のうしろにした。嫌でもお前は俺にしがみつく。そのとき、チェザンヌが客船を地中から引きだしたのと同じ力をお前から感じた」
「……」
「そして、最後の鍵。城壁の中だろうと外だろうと、なみの魔力では打ち消されてしまう。俺の説明は嘘だった」
「そ、それで……それでもし、私の魔法が通用しなかったらどうするつもりだったんですか?」
「最悪、まとめて縛り首だったろうな」
平然とカボは言い切った。
「そんな無責任な!」
「追っ手が待ち伏せしたときに、一か八かでやるしかなくなっていたんだ。どのみち、国王がその気になったら逃げても無駄だ」
「全部、全部チェザンヌさんに合わせて話をつなげているだけでしょう? 有罪ありきできめつけて! チェザンヌさんだって、都合がよすぎる展開ばかりじゃありませんか!」
「国王とタニアンとスイシァを操っていたのはお前だ」
「なんの根拠で!」
「兄上は、自分がじわじわと誰かに乗っ取られているのを自覚していた。だが、立場からして宮殿をでられなかった。だから私に調査を頼んだ」
マギルスが、カボの左隣にきた。
「暗黒街のデリグは、自分が次の魔王になれると思いこんでいた。なぜなら『さざ波の淑女』号を魔王の命令通りに襲わせたから。もちろん、メイドを一人生かすよう厳命されて」
それは、マギルスがチェザンヌ達に初めて語る話だった。マギルスは猪突猛進だけの人間ではなかった。
「もし私が魔王なら、そんな回りくどい手続きはいらないでしょう?」
「『海を山にした英雄』によれば、魔王は一度双頭の竜に挑んで破れた。しかし、完全には滅ばなかった」
「それと今回の騒動となんの関係があるんです?」
「王族の祖先は、そもそもが双頭の竜だった。単頭の竜はあくまで『不完全』だが、世界が平穏無事なら問題ない」
「ですから……」
「悲劇は、『逆行進化』では国王でも双頭の竜にはなれなかったんだ……最初から。国王は、そこまで知らなかったにちがいない」
カボが、さっきから国王をただ国王とだけ呼ぶのをマギルスでさえ無視していた。
「王族の乱れは、つまり世界の乱れは別な王族の手で直す。ただし、お目つけ役という部外者の同意を得て、完全なる双頭の竜となってから果たされるべし」
カボは一度言葉を切り、残骸と化した宮殿の成れの果てを眺めた。しかし、それは一瞬ですんだ。
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