第4話 サメと魔王と竜 四

 死んでも化け物のままなタニアンのむくろには目もくれず、福々しい笑顔をチェザンヌに送った。


「一族皆殺しの件、よくぞ耐え抜いた。『原初の炎』の力も極限に達しておる」

「恐れながら、陛下がスイシァ様のたくらみを利用して私をここまで連れてこさせたのでございますか?」

「いかにも。そこの錬金術師と引き合わせねば、朕に必要な力を得るに至らぬゆえな。さりとて禁忌破りを宮殿に呼ぶのは不自然すぎる。あくまで本人の意志でこのようにならねば完全な力を獲得できぬ」


 チェザンヌも含めて、全員が国王の手のひらのうえだったことが改めて立証された。かに思える。


「それで、陛下は私どもをどうなさるおつもりですか?」

「朕の妻は、息子達が幼いうちに死んだ。朕は愛人一人作らず、食卓は息子達とともにした」


 だからなんだという話ではある。なにか恐るべきもくろみが感じられ、チェザンヌは口を挟まず聞いた。


「息子達には常々こういいきかせた。食事の好き嫌いはならぬと」


 かたかたきしきし、床が鳴り始めた。やがて、山をも揺るがしかねない巨大な振動の塊が宮殿全体を覆いつくした。国王を除く全員がたっていられなくなったとき、国王の身体が一瞬細く縮んだように思えた。次の瞬間、国王はさっきまでとは比較にならないほど大きくなっていき、赤紫色に輝くうろこに全身が覆われた。もはや人間の姿をとどめなくなり、象の十倍はあろうかという竜が壁や柱を壊しながら月夜に吠えた。


 底の抜けた階層が次々に落ちていき、チェザンヌ達も竜と一緒に床ごと下に落ちた。激しい衝撃を覚悟して思わず目をつぶったチェザンヌだが、まるで予想しない環境が待ち受けていた。


 水しぶきが全身にまぶされ、いくつかが口に入る。塩辛い。

 

 突如として現れた海に、宮殿は丸ごと沈んだ。市街地がどうなったかはわからない。カボは着水した直後にどうにか矢を引き抜き、ルンが魔法で回復させた。マギルスとクナムは、衣服が邪魔で浮いているのが精一杯だ。スイシァはクロスボウを抱えながら沈んだ。


 竜になった国王は、自らも海面に首だけでている状態で口を開けて海水を飲み始めた。いや、海水だけではない。宮殿の残骸だろうと溺れかけの人間だろうとお構いなし。そして、飲めば飲むほど大きくなっていった。身体も魔力も。


 そのありさまに、もはや人間性だの国家観だのといった要素は微塵みじんもない。やたらめったにあらゆるものを食い尽くす混沌の手先、それだけだ。チェザンヌ達を手玉にとっていたはずの国王は、自分が追求していたところの力に手玉にとられていた。


 タニアンの遺体が竜の喉を通ったとき、かすかに竜は震えた。感情が動いたからではない。一匹の小さなサメが……竜からすれば鱗一枚にも値しない存在が……左脚に食いついている。二匹、三匹と大小様々なサメが竜に突進してはそこかしこを噛みちぎった。怒った竜は暴れまわるが、相手が小さすぎるうえに数が多すぎる。


「ギリギリで間に合った……『海を山にした英雄』にある通りだ」


 カボはどうにかたち泳ぎを続けていた。


「先生、あれは……?」

「君がこれまでに作ったサメをまとめてぶちまけた。あの本は宿屋で一晩かけて読んだよ。ソロランツ王国の始祖はたしかに竜の直系の子孫だ」


 苦悶の悲鳴をあげてのたうち回る竜とは裏腹に、海水は次第に地面へ吸いこまれ水位が落ちていく。


「でも、竜は歴代の国王が悪い力に目覚めたときの目つけ役を遣わすようにしておいた。サメは目つけ役の力の一部だ。どのみち何代目かの国王が、『逆行進化』で宮殿を海にすると見抜いていたんだな。君は、直系の子孫……つまり王族とはべつに、竜から目つけ役としての力を授かった人間の子孫なんだ」


 竜は自分の血筋とは無関係に、血筋を見張る力をも後世の人々に伝えた。ただし、それが適切に発動するかどうかはすべて当代の人々次第だ。


「私にそんな力が……?」

「あったんだよ、あったんだから!」


 食うのを中断させられた竜は、宮殿の半分くらいになったところで大きくなるのが止まった。海水は完全に引いてしまい、宮殿のあった場所はただ巨大な空洞が残るのみとなった。海水がなくなったことでサメは息が続かなくなり、竜の足元で虚しく跳ね回った。


「先生、サメが……」


 サメは竜の成長を食いとめはしたが、とどめには至らない。


「残る策は一つだけだ」

「論じるまでもない。王族として私が果たす!」


 剣を抜きかけたマギルスに、カボは小ビンを投げつけた。


 ビンから煙がたちこめ、それを吸ったマギルスは剣の柄に手をかけたままばたりと倒れてしまう。


「お前が起きてるといろいろややこしいからな。すまん」


 カボはマギルスとチェザンヌを交互に見やった。


「話を続けよう。マギルスと合体するんだ。混沌にとらわれた竜の直系の子孫を倒すには、また別な竜の血を引く人間と君のような目つけ役が合体せねばならない。そうすれば、君達は一体の双頭の竜になってあれを倒せる」

「合体!? ど……どうやって……」

「そこまではわからない。まあ、手でも握ればなにか進むかもしれない」

「……」


 ためらったりこだわったりする場面ではなかった。放っておいたら、竜はどのみち街に致命的な損害をもたらすだろう。一時的にせよ成長が止まった今しかチャンスはない。


「殿下……失礼しますわ」


 このときチェザンヌは、生まれて初めて自分からマギルスの身体に……正確には手に触れた。とたんに二人の身体が青い光に包まれる。眩しさのあまり、カボもルンも思わず目を閉じた。


 光の中から、青く輝く双頭の竜が生まれでた。竜はあっという間に大きくなり、国王だった赤紫の竜と同じ体格になった。


「チェザンヌ……これは一体?」

「殿下、詳しい説明はあとにいたします」


 ごく普通に会話しているが、双頭の竜が二つの頭の中で考えを交わしている。


「わ……我々は竜になっているのか。だがどんな力が使えるんだ?」


 マギルスの質問に、チェザンヌは『原初の炎』と変わらない力が心からみなぎってくるのを感じた。ただし、手ではなく口に。


 双頭の竜は、一方の口から青い稲妻を吐いた。赤紫の竜の胴体を直撃し、鱗と肉が爆散して傷口から煙が昇る。


「す、すごい……」

「はい。でも、少し間を空けないと使えませんわ」

「待て、気をつけろ!」


 赤紫の竜も負けじと赤紫色の液体とも煙ともつかない物を吐いた。双頭の竜の胸にあたり、鱗がどろどろに溶けてはがれ落ちていく。


「きゃあああぁぁぁ! 熱い! 痛いーっ!」

「へたばっている暇はないぞ! こんなもの、剣や格闘技の訓練では序の口だ!」


 その稽古をマギルスにつけたのは、専属の教師だった。彼は本来なら、父や兄にこそ稽古をつけて欲しかった。いや、強くなった自分を見せたかった。それは叶うことのない願望でもあった。


 王族にとって肉体的な鍛練はあくまで象徴的な意味での強さを体感するだけのこと。実際には、王子であっても五男の末弟に期待されることなど『賢い道具』にすぎなかった。


「どうやら父上も、二度三度と連続して吐息は使えないようだ。ならば組み合いになる」

「ええっ?」


 二頭の竜は示し合わせたように互いに走って距離を詰めた。


「気合いが足りん! 左右の歩調が乱れているぞ!」

「も、申し訳ございません!」


 先手は赤紫の竜がとった。頭から体当たりをかまし、たまらず双頭の竜は倒れた。赤紫の竜はすかさずマウントポジションをとり、双頭の喉元に噛みついた。肉と何本もの血管が食いちぎられ、滝のように血が吹きでる。


「い、いやぁーっ! やめてーっ!」

「情けない悲鳴をあげるな! 竜ならマウントポジションはこう返すーっ!」


 双頭の竜は尻尾を丸めるようにしてしなやかに弧を描かせ、鞭のように赤紫の竜の背中を打った。たまらず怯んだところで双頭の竜は身体を捻り、マウントポジションから脱出した。


「好機だ! もう一回尻尾を叩きつけてやる!」


 が、尻尾はびくともしない。


「な、なぜ!?」

「チェザンヌ、尻尾は右回しにしたか?」

「ええっ? 左回しにしようとしました」

「お互い逆に尻尾を回そうとして相殺されたのか!」


 衝撃からたちなおった赤紫の竜は、お返しに自らの尻尾を双頭の竜に横から叩きつけた。


「ぐうわっ!」

「で、殿下!」

「俺のことはいいから反撃……」


 赤紫の竜が大きく跳躍し、双頭の竜の頭を両足の裏に踏みしだく形で着地した。双頭の竜はむりやりお辞儀させられる形で下顎を地面に叩きつけられ、脳天に赤紫の竜の全体重を加えられる。



「う……ううっ……」

「ま、まだだ……まだ戦える……」


 そんな二人を嘲笑うかのように赤紫の竜はがばっと口を開け、双頭の竜の背中に噛みついた。べりべりばりばりと鱗ごと肉がえぐられていく。

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