第2話 サメと魔王と竜 二

 十分にネルキッドから離れると、人目につかない場所でカボとルンが錬金術と魔法を組み合わせて馬車を作った。これ自体には大した時間はかからない。馬車は馬に特別な速さや持久力を与えるとともに、馬にも御者や乗客にも防御力を高めるようになっている。その一方で変装は解いた。もはや意味をなさないだろう。


 チェザンヌとクナムは馬に乗れない。瞬間移動のような都合のいい魔法もない。だから次善策をとった。それはいい。


 問題は、追っ手が予想よりもずっと速く多かったことだ。ちょうど、馬車を作った日の真夜中と翌日の境目くらいに宮殿につく段取りだったのに。そのずっと手前の街道上で待ち伏せにあった。しかも、御者を勤めるカボ達ではなく馬を狙って矢が放たれた。強化されたはずの馬に深々と矢が刺さり、カボとマギルスは路上に放りだされた。馬車も転倒した。カボ達はとっさの身のこなしで大した負傷はなく、馬車の中にいたチェザンヌ達も無傷ではあった。つまり、馬車そのものの性能は期待を満たしていた。にもかかわらず馬はやられた。


 追っ手が魔法を無効化する武器なり防具なりを持っていると、カボが素早く判断できたのは不幸中の幸いだった。ルンが味方全員の筋力と反射神経を高める魔法を使い、チェザンヌとカボとクナムは折れた車軸を棍棒代わりにしてどうにか互角に戦っている。


 追っ手側からすれば、ルンとクナムの存在は誤算だった。魔法や錬金術さえ無力化すれば、三人に対して八人だと多すぎるくらいとさえ考えていた。


 とはいえ、時間をかければかけるほど追っ手には有利に働く。ルンの魔力には限りがあるからだ。それに、頭数からしてもチェザンヌ達は誰か一人でも欠けたらいくら肉体を強化していても次々に倒される。


「ルン!」


 チェザンヌは、ほんの一瞬の閃きを妖精に託した。


 追っ手の馬は、修羅場から遠ざかった場所にいる。それを目で示した。ルンはうなずき、飛び去った。


 ルンがいなくなった分、チェザンヌ達はより激しい攻撃に耐えねばならない。チェザンヌの髪はあちこち切り裂かれてバラバラに乱れ、クナムの服は裂けめだらけになっていた。カボとマギルスはしょっちゅうチェザンヌとクナムをかばうので腕が切り傷だらけになっている。


 チェザンヌの息がそろそろ切れかけてきた。クナムも、棍棒を持つ腕があがりにくくなっている。追っ手の意図はチェザンヌ達の殺害ではなく、ひたすら手数を稼いで疲労を蓄積させることにあった。


 図らずも、チェザンヌ達四人の背中が同時に合わさった。それは追っ手の包囲が完成したのを意味した。どこからか馬蹄の音が響いてくる。


 八頭の馬が、興奮もあらわによだれを垂らしながら駆け寄ってきた。追っ手の魔法対策は完璧だが、馬は無防備なのが仇になった。ルンの魔法で操られ、敵味方を取り違えた状態で追っ手に体当たりをかける。二人の追っ手が馬に跳ねられ、さらに一人は倒された拍子に右足を踏み潰された。馬の体重は人間の六、七倍はある。頭や腹でなかったぶんまだしもましだろう。


 残る五人の追っ手があまりにも常軌を逸した出来事に動揺しているのを幸い、カボとマギルスは手近な馬に乗った。カボはクナムを、マギルスはチェザンヌを拾いあげる。チェザンヌとクナムは、乗り手のうしろに横座りになって腹に両手を回してしがみついた。カボとマギルスはそろって馬の脇腹を蹴って手綱で首筋をひと打ちし、全速力で宮殿へむけて走った。ルンが大急ぎでチェザンヌの肩に掴まったとき、追っ手の姿はもう小さくなりかかっていた。


 真夜中にさしかかるまで馬を走らせ、月夜にそびえる城壁と宮殿の尖塔がはっきりと見えるようになった。


 宮殿は取り巻きに都市を構え、都市の外側を城壁が一周して囲っている。こんな時間帯に城門は開かないし、まさか特別に頼むわけにもいかない。


 予定では、城門が閉じるぎりぎり手前に到着するはずだった。あらかじめ変装しておけば、少なくとも市内に入るのはそれほど困難な仕事ではなかった。


「どうどうっ」


 先頭をつとめていたマギルスが手綱を引き、馬を止めた。馬は大きく前肢を宙にあがき、チェザンヌはより強くマギルスに身体を寄せた。


 婚約していた時分は、彼とは宮殿の中でしか話ができなかった。舞踏会を除いては手を握ることさえなかった。それが、こんな形になるとは場違いにも複雑な気分だ。


 馬が落ち着いた。チェザンヌは降りないままカボを眺めた。クナムはまだ彼に密着している。自分はマギルスから離れたのに。


「城門と市街地と宮殿の門をどうやって突破する?」


 マギルスが、カボに首だけむけた。城門には一切の魔法や錬金術を無効化するようになっており、数百人の見張りが交代で厳しく監視している。


「一番てっとりばやいやり方と一番ヤバいやり方がある」


 カボは右手で顎をさすった。


「あまりお勧めされたくないが、まあ最初のやつから聞こう」

「ここで即席の投石器をつくる。ルンの魔法で一人一人身体を強化して投石器の発射台に乗り」

「ヤバい方にしてくれ」


 マギルスは腰に両手を当てた。ルンがくすくす笑いだし、マギルスに睨まれておとなしくなった。


「クナムが俺達を捕まえたことにする」

「それで?」

「城壁自体もまた一つの建物だ。内部には尋問室や牢獄がある。だが、実は内部からなら魔法や錬金術が使える」

「なに!?」

「どうせ城壁の外側で魔法や錬金術は無力化されるのだから、そういった手段を使えないようにしてから内部へ連れていけばいいという発想だ。極端な話、城壁の外側に面したある一定の範囲だけが術の使えない区域になっている」


 特に難しい話ではなく、両手を縛っておけば大抵の術者は無力化される。市街地や宮殿では、商売にも生活にもなにがしかの術を使う。だから、城壁以外でそれらを全面的に止めることはどのみち不可能だった。


「どうして知っている?」

「何回目かの改修工事で俺も設備の見直しにかかわった」

「……」

「クナムはどう見ても一般人だし面も割れてないだろう。追っ手でなくクナムが俺達を捕まえたいきさつをなにより早く知りたい焦りもでてくる」


 外部からの攻撃に強くとも、内部からは脆い。先入観の隙をついたカボの発案であった。


「我々が囮になって、クナムが内部から城壁を破壊し宮殿を目指すのか」

「そうだ」


 カボは大真面目だった。チェザンヌからすれば、いくらなんでもメチャクチャだ。それ以外に手がないのはもっとメチャクチャだ。


「他に策はなさそうだな。チェザンヌにクナム、それでいいか?」

「はい……」


 図らずも返事が重なってしまった。


 城壁までほどほどまでに近づいてから馬は捨てた。クナムを先頭に、チェザンヌ達は城門のすぐ前まで足を進めた。


「す……すみませーん……」


 腰が引けているのが、はためにも露骨なクナムだった。


 城門を背にした四人の衛兵達が、じろっといっせいにクナムを見おろした。


「城門は日の出まで開けられん。出直せ」


 四人の内の一人が素っ気なく告げた。


「いえ、あの……マギルス殿下達を捕まえたんですけど……」


 闇から湧いてきたように、両腕を身体のうしろで縛られ腰縄で数珠つなぎになったチェザンヌ達がクナムの右脇にでてきた。衛兵達はさすがに息を飲んだ。


 いまのところ計画は順調だが、カボの両手がチェザンヌの腹に当たりかけている。正確には、ぎりぎりでチェザンヌの胸の真下になるかならないかだ。腰縄が少し短いせいだが、一歩ごとに意識せねばならなかった。


「いたずらか? 同じ名前の違う奴か? 場合によっては重罪になるぞ」

「殿下の所持品に、双頭の竜を柄頭に刻んだ剣があります。まだ腰に帯びたままです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る