第四章 いよいよ対決!

第1話 サメと魔王と竜 一 (スイシァ視点→チェザンヌ視点)

 スイシァの部屋は、彼女が王太子タニアンと面会してからも変わらないままだった。


 変わりつつあるのは部屋の内装と主本人だ。


 シミだらけのじゅうたんに、割れた鏡、口紅かなにかで壁に落書きされた罵詈雑言。無事な備品といったらカレンダーくらいだ。


 六月二十日。本来なら婚約者同士がそろって誕生パーティーを開いているはずだ。マギルスがいないまま虚しく日々がすぎ、この日になってしまった。宮廷生活に欠かせない社交にも、病気と称して断ち切っている。事情をあやふやに想像して建前だけ同情する者もいたが、婚約者が不在なだけではない。


 左脇の下にへばりつく、呪わしいアザ。青い鎌が、じわじわと彼女の心に切れめを入れている。今日中に『行為』を果たさねば時間切れかもしれない。はっきりした知識がなに一つえられない。そもそも自分を復活させた錬金術は、専門家が追放されている。


 とうに陽は沈み、星が高く昇っていた。部屋つきの侍女が、自分の目を盗んでちらちらと窓の外を見ているのも気にくわない。だからといって暴力や暴言はふるっていない。


 物と違って人間には頭も舌もある。個人的な気分で侍女をいびるような人間だと告げ口でもされたら、それこそ婚約破棄になりかねない。物に当たり散らすのは構わない。それを迂闊に口外すると口の軽い侍女とされ、いく先々で信用を失うからだ。そうした計算……というよりは中途半端な理性……がまた、スイシァの内情を間接的に物語っていた。


 ドアがノックされた。侍女が対応する。よほどのことがない限り、侍女はドアを半分くらいしか開けないよう命じてある。その角度からは、いつもの清潔でいき届いた部屋と思えるようにしてある。


「お嬢様。国王陛下がお呼びです」


 侍女はドアを閉めてから用件を告げた。


「はい、すぐ伺います」


 正直なところ、間が悪い。マギルスや自分の身体の件が片づいたあとなら別だが。


 部屋をでてすぐ、案内役が丁重にお辞儀した。作法通りに返礼し、硬く冷たい廊下を歩き始める。


 これからなにが待ち受けているのか、見当もつかない。まさか、禁忌で復活したのがバレたから処刑ではないだろう。それならわざわざ謁見したりはしない。マギルスとの婚約に支障ができた可能性ならなくはないが、突拍子がなさすぎる。ブルギータ伯爵の謀反捏造……。これこそが一番の急所だ。少なくとも先日の王太子からは、自分を疑う気配など微塵も感じられなかった。


 つらつら想定する間に、謁見室の扉までやってきた。両開きで、完全な翼を持つ双頭の竜が浮き彫りされてある。案内役が二人いる衛兵に仔細を告げ、うなずいた衛兵がゆっくりと二人がかりで扉を開けた。


「マギルス殿下のご婚約者・スイシァ嬢がお見えでございます!」


 扉のむこう側で、触れ役が声量を発揮した。いつ誰がくるかはあらかじめ一日の予定に組みこんで記録してあるので、いちいち衛兵や案内役から聞く必要はない。


「苦しゅうない」


 扉から数十歩へだたった玉座から、許可がくだった。


 謁見の間は、王太子の個室などとはまるで違う。れっきとした公の空間である。左右両側の壁には縦に細長い壁かけがいくつも吊るされ、歴代国王の肖像が簡潔に刺繍ししゅうされている。壁かけごとに、明かりとりの四角い窓があけられ後光がさしている。日光が交差する点の下に、玉座へと続く深紅のじゅうたんがまっすぐのびていた。


 じゅうたんを踏むごとに、スイシァの心は根拠もなく絶望と希望に揺れた。どうせ無残な運命が待っているのなら、いっそ国王の首でもしめてやろうかとすら思った。


 壁かけの間ごとと、玉座の両斜めうしろには武器を帯びた甲冑が飾られている。室内に衛兵はいないが、いざとなったら甲冑が人間のように動いて国王を守ると誰かから聞いたことがあった。


 じゅうたんは、玉座の手前十歩分でとぎれている。スイシァに限らず、誰もがそこで止まってお辞儀せねばならない。お辞儀をしたら、腰を落として顔を伏せて国王の言葉を待つ。


おもてをあげよ」


 深く響く声がスイシァの頭上に投げかけられた。無言のまま彼女は膝を伸ばして国王と顔を合わせた。


 特別な儀式ではないので冠はかぶっておらず、初夏なので簡素な仕たての半袖シャツに丸い肩パッドつきのチョッキを着ていた。腰から下は、丸みを帯びた半ズボンに長靴下をはいている。その先端には爪先が少し反りかえった金色の靴があった。


 国王……というより政治家としては、まだ五十代の半ばであるからそれほど年配というのでもない。背丈や体格は息子達より一回り小柄な反面、短く刈りこんだ顎ヒゲと長くまっすぐな鼻は今でも女性に騒がれそうなほど整っていた。


「我が息子マギルスの婚約者、スイシァよ。この度呼んだのはほかでもない、そのマギルスについてだ」


 国王が言葉を区切ると、玉座の背後に控える甲冑のうしろから見覚えのある男性が現れた。


「そこから先は、タニアンに説明させよう。心して聞くがよい」

「ご命令、つつしんでお受け致します」


 形式通りに答えるほかないのは、それとわかっていてももどかしい。なみなみならぬ衝撃を受けたあととあってはなおさらだ。


「結論から述べよう。第五王子マギルスには逮捕状がでている。容疑は謀反だ。その根拠は、先に追放されたブルギータ伯爵家の元令嬢チェザンヌと、さらに、チェザンヌとは別個に追放された元宮廷錬金術師のカボの二名と同じ宿に投宿していたからだ。その宿は自治都市ネルキッドにある。さらに、私が目つけ役として同行させた騎士がネルキッドで行方不明になっている」


 早口にならないよう、一言一言をゆっくり申し渡したタニアンの表情にはなんの感情も浮かんでなかった。


「いまのところ、これら三名の身柄はまだ確保できていない。だが、陛下の逮捕状を携えた執行官はすでに出発した。日づけが改まるまでには連行されてこよう」


 もはや言葉もない。マギルスが謀反人になれば、婚約どころではない。さりとて破棄すればスイシァにかけられた術の補完は完全に手だてがなくなる。にっちもさっちもいかないとはまさにこのことだ。


「なにか申しておくことはあるか?」


 タニアンから水をむけられ、スイシァは大急ぎで考えをまとめねばならなくなった。


 へたにかばうとどんなとばっちりがくるかわからない。一方で、仮にマギルスが無罪放免となったら非難するような発言を残すと関係がぎくしゃくする。どのみちマギルスが今夜中にくるなら二人きりになる機会が絶対にいる。


「恐れながら、マギルス殿下はなんのご不満があったのでしょう?」


 まずまず妥当な質問だ。


「君には失礼だが、手加減なしに率直に明かすことにする。マギルスは、どうやらチェザンヌにまだ元婚約者としての愛着があったようだ。チェザンヌからなんらかの形で個人的に訴えかけられたのかもしれぬ」

「そ、そんな……」

「いうまでもなく、君からすれば不本意極まりないだろう。恐れながら、陛下の威信にもかかわる」

「私には、難しいお話はよく存じあげません。もしマギルス……殿下が私の元にお見えになりましたら、ともに陛下の御元にお目どおり願いたく存じあげます」


 ないにひとしい時間の割には、我ながら冴えた回答だった。タニアンは、顔を国王にむけた。


「陛下、いかがでございましょうか」

「よきにはからえ」

「ありがたき幸せ」


 そのとき、国王と王太子の身体から汚ならしい赤紫色をした光がどんよりと流れでた。ような気がした。ごくわずかな間のことで、すぐに消えた。スイシァとしては礼儀正しく帰る以外にやれることはなかった。


            ☆


 スイシァが国王から謁見されていたころ。


 宮殿、つまりソロランツ王国の首都郊外では国家の命運を左右しかねない戦闘がり広げられていた。八対五で。


 八人はそろいの青いマントに青い鎖かたびらを身につけている。マントには竜の牙が染めてあった。頭には青い兜をかぶっている。剣まで同じ仕様にしてあるかと思えば、全員がまだ若い男性だった。五人はチェザンヌ達だ。


 入り乱れる敵味方十三人の近くには、横倒しになり半壊した馬車が空に面した片方の車輪を虚しく空回りさせている。馬車を引いていた二頭の馬は、馬車につながったままそろって胸に矢を受け口から血を吹きながら同じように横倒しになっていた。ぴくぴくとひきつる八本の足が断末魔の代わりだ。


 真意を打ち明けあった翌朝。宿をでたチェザンヌ達は馬だけを二頭、それぞれ馬具つきで買い徒歩でネルキッドをあとにした。馬はカボとマギルスがそれぞれ手綱を持って連れていった。

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