第12話 落ちつかねばならない場面 一

 森の道中では、着替えこそださない代わりに錬金術で洗浄用の薬品を作って使っていた。頭からかければ、衣服は洗いたてと変わらない状態になるし身体も清潔になる。そうはいってもやはり風呂に勝るくつろぎはない。


 食事については、どこの宿屋も一階は居酒屋とレストランを兼ねている。わざわざ外出しなくてもいいだろう。


 集合時間まで決めて話がまとまり、チェザンヌは女性陣をまとめて自分達の部屋に入った。


「お風呂は、どうぞお先に」


 クナムが気を遣った。実のところ、いくら変装しているからといって暗黒街に一人で潜入するのは想像以上に神経がすり減る仕事だった。


「ありがとう。ご好意に甘えますわ」

「どう致しまして」


 チェザンヌは蒸し風呂のドアを開けた。狭い脱衣場と洗面室があり、そこからさらにドアを隔てて浴室になる。


 下着一枚残さず脱衣籠にまとめ、チェザンヌは髪を紐で縛ってから浴室に至った。柵で囲んだ大きな石が中央にあり、すぐ横には水を満たした手桶とひしゃくが一本置いてある。それを挟んだむこうがわに雛壇ひなだん風の座席があった。石は魔法でいつでも灼熱しており、手桶の水をひしゃくですくって石にかけると勢いよく湯気がたちこめ始めた。


 壁にかかった砂時計をひっくり返し、チェザンヌは座席でじっくり汗を流した。


 背中を固くまっすぐな板にあずけ、小さくため息をつく。この数週間で、チェザンヌの人生は予想だにしない方向に変わってしまった。かと思ったら夢にも思わなかった再会がなされてしまった。


 家族の仇をとるならマギルスをどうにかしなければならない。錬金術を駆使すればそれほど難しくないだろう。いまさら濡れ衣を解かれたところでしかたないのだし。ただ、その場合でも宮殿までは同行させた方がいい。なんといっても王子なのだから顔が利く。


 マギルスがよりをもどしたがっていたらどうするのか。チェザンヌがうなずきさえすれば、国王から慰謝料が支払われるだろう。一族の名誉も復活する。もっとも、誰の告発でそうなったかはあやふやにされる可能性が高い。そして、またぞろ宮殿の魑魅魍魎ちみもうりょうどもに愛想笑いをする日々がやってくる。


 カボの指導で錬金術を学び、森で生き延びる訓練を積んだ結果。精神的な意味で、チェザンヌは自分自身を錬金してしまっていた。宮殿の贅沢で豪勢な食事も好きなままだが、自分が張った罠にかかったウサギを自分でさばいて食べる味は一度知ったら忘れられない。窮屈な作法などあるはずもない。


 それに、暗黒街ではカボの横顔やうしろ姿を思いだして勇気をふるいたたせた。誰だって怖いものは怖い。


 が……。が……。が……。だがしかし、マギルスは命がけでなにかを探索しようとしている。恐らくはお忍びで。偶然が重なったとは思いにくい。それは、チェザンヌ自身にもかかわっている可能性を捨てられなかった。


 宮殿では単に白く美しかっただけの彼女の肌が、野外の鍛練によって引きしまった野生を獲得している。全身から汗を吹き流すことでさらなる磨きがかかった。


 砂時計の砂はとうに尽きている。もう限界だ。


 浴室をでて、洗面所で髪を洗い流したチェザンヌはチェザンヌは備えつけのタオルで身体をふいた。衣服を錬金術の薬品で清めて身につける。


 そうして寝室に戻り、クナムに一言挨拶して交代した。食事は各自で勝手にとることになっており、宿屋の一階で適当にすませた。


 心身ともにさっぱりしたチェザンヌは、カボ達の部屋のドアをノックした。カボの声で返事があり、ノブを回す。ドアを開けると、すでにして一同はそろっていた。


「遅くなって申し訳ございません」

「いや、ちょうど時間だ。座ってくれ」


 空いている椅子を勧めたカボと、マギルスはベッドの縁にならんで腰かけている。クナムは椅子だった。三人に囲まれるように、質素な木製の丸テーブルともう一脚の椅子がある。


「かしこまりました」

「さて。城門で剣の長さが取り沙汰されたとき、チェザンヌが計り直しを要求したのを覚えているか?」


 カボがマギルスに顔をむけた。


「覚えている」

「あれは、チェザンヌが気づかれないように錬金術で衛兵の棒を細工した」

「そうか。おかげで大事な愛剣を持ったままでいられた。礼をいう」

「いえ……そんな……」


 図らずも赤くなってしまった。


「で、マギルス。まずは君の目的を知りたい」


 追放された身分で王子をずっと『君』呼ばわりし、マギルスも異議を唱えないままだ。二人には二人の、特別な秘密でもあるのだろうか。


「よかろう」


 マギルスは改めて背筋を伸ばした。


「まず、私はブルギータ伯爵家が謀反を企んだとはどうしても思えない」


 あっさりとマギルスは国家の決定をくつがえした。


 ならどうして見殺しに……と問いかけたいのを、チェザンヌは歯を食い縛って耐えねばならなかった。


「私は、チェザンヌが追放される直前に国王陛下に呼びだされた。そこで謀反と婚約破棄を告げられ、新たな相手としてスイシァを引きあわされた」


 王侯貴族の結婚は、本人の意志ではなく親同士で決まるのが通例だ。マギルスは序列の低い王子なので多少のわがままは叶えられたが、ああしたなりいきでは抗議のしようもない。


「そのときから違和感があった。いくらなんでもタイミングがよすぎる。謀反の処罰と同時に次の婚約者などと。それに、スイシァには最近になっておかしな噂が持ちあがっていた」


 マギルスは、じっとカボに注目した。カボも目をそらさなかった。


「彼女は一度死んで、禁忌の術で復活したという。施術した錬金術師は追放された。そこで問題が一つ残っていた」

「問題……?」


 このうえまだチェザンヌの眉はひそめられねばならないのか。


「禁忌は試作段階で、不完全な状態を残していた。正しい形にしあげねば、本人はまた死んでしまう。それに……」

「禁忌にかれた混沌の化け物を呼びだす苗床のような状態になる」


 カボがマギルスの台詞を引きとったのは、自分こそがスイシァを復活させた張本人だと宣言したようなものだった。


「先生……まさか……」

「そのまさかさ」

「ど、どうして……どうして……」

「スイシァはカボの妹だからだ」


 マギルスがカボより先に答えた。チェザンヌにとって、世界中のあらゆる山や建物が崩れ去って更地になったような打撃だった。


「禁忌を完成させるには、自分と同じ誕生日の高貴な血筋と肉体的に交わるしかない。スイシァと私は六月二十日生まれだ」

「……」


 スイシァからすれば不可抗力とはいえ、チェザンヌにいわせれば嫌悪感を覚えずにはいられない。


「ただし、それはブルギータ家が滅亡したあと私が独自に調査して知った。チェザンヌが、少なくとも危害を加えられないまま森に追いやられたのもほぼ同時に知った」

「そこまでわかってらっしゃるなら、いっそ陛下に全て打ち明けてご聖断をあおげばよかったのではございませんか?」

「最初はそう考えた。まず兄上……王太子殿下に相談した。他の兄上達は、どのみち遠い所領に散らばっている」

「王太子殿下はなんと……?」


 チェザンヌは無意識に椅子を傾け、食いいるようにマギルスに迫りつつあった。


「陛下には黙ったまま、私に独自の調査を命じられた。不在の理由は適当に取り繕っておくし、責任はご自分でとられるからと。なぜなら……」


 マギルスは言葉を切り、意識して唾を飲みこんだ。


「なぜなら、陛下は怪しげな秘術に没頭なさってらっしゃるからだと。カボやスイシァの禁忌も最初からご存知だったそうだ」

「な、なにが……陛下はなにをお望みなのですか?」


 チェザンヌでなくとも、理解できない。ソロランツは治安も外交も安定している。後継ぎも長男のタニアンですんなり固まっている。


「それはわからぬ。一つ浮かんだ可能性は、私をスイシァの『安定剤』として配置したうえで、スイシァをご自分の探求する秘術の土台に……」


 ベキィッ!


「きゃあっ!」


 チェザンヌとクナムとルンが席から腰を浮かせた。

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