第11話 手がかりは次の謎 三
そのまま兄弟で力を合わせれば、ごく穏便で安定した人生を送られただろうに。自分が受けた過去を振り返っても、チェザンヌとしてはデリグの狂気じみた探究心に不快というより残念なものを感じてやまなかった。
「この二つのビンは、『さざ波の淑女』号の船長、そしてナプタの遺体から採取した煙が入っている」
カボが、両手に一つずつビンを持ってデリグにつきつけた。
「『逆行進化』の犠牲者からだけ、必ずこの煙がでるのか?」
「そのとおりだ」
「生きている状態からでも試せば同じ煙がでるか?」
「そうだ」
「煙を無色にするような薬品があれば『逆行進化』は解けるのか?」
「完全に元に戻るとは限らない。まちまちだ」
「ああ、よくわかったよ」
カボはチェザンヌに黙って目配せした。
「せめてクナムさんには謝ってくださいませ。あなたのおかげで仕事も人生も、命まで台なしになりかけたのですから」
チェザンヌとしては、それだけは絶対に譲れない。彼女の身の振りようはおいおい考えるにしても。
「も、も、申し訳……あり……ヒャハハハハハハッ! ゲラゲラゲラゲラ!」
「この期におよんで嘘ですか! どこまで……」
「ち、違う、本当に……アーハッハッハッハッ! ケケケケケケ……グワァーッ!」
いきりたつチェザンヌを前にして、デリグの口がグロテスクなほど大きく開いた。かと思ったら上下に顎がひきちぎれ、下顎は喉を道連れに腹まではがした。内臓が飛びでたデリグはがっくりとうなだれる。
「ルン様……」
「こ、ここまでひどい効きめはないよ! ただ笑いすぎて苦しくなるだけだって!」
「ひょっとしたら……このなかに魔王の手先が別にいて、デリグにとどめを刺したのかも」
クナムの疑念は、デリグの死以上にチェザンヌ達を凍りつかせた。
「たしかに、狂人の起こした単純な事件とはいえなくなったな」
自称騎士は腕を組んだ。
「では……私達一同、正体をはっきりさせ合いませんこと?」
チェザンヌとしては大胆極まる提案だった。
「そんなことをしてどうする? 君達の正体が事実だという保証は?」
自称騎士でなくともそう聞くのは当然だ。
「ことここに至った以上、俺も賛成だ。俺達の素顔を知れば納得がいくだろう」
「素顔……?」
自称騎士からすれば、仮面をかぶっているのは彼だけだ。
「先生、それでは……」
「うむ」
カボはビンを二つだした。両方とも透明な液体が入っている。一つはチェザンヌに渡す。カボとほぼ同時に栓を開けて中身を飲むと、元の姿に戻った。
「ややっ! これは!」
「騎士様も……仮面を外していただけませんか?」
チェザンヌの要望に、自称騎士は少しだけためらった。やがて、意を決して自ら仮面に手をかける。
「まさか……」
チェザンヌが絶句するのも当たり前だ。蜂蜜色の髪に空色の瞳。宮殿の女子という女子にため息をつかせた美貌、かつてはチェザンヌが一人占めするはずだったその五体。なにより愛しく思っていた……はずの……空色の瞳。
「マギルス殿下!」
「チェザンヌ!」
元婚約者同士としてこれほど衝撃の再会があるだろうか。
「そして、貴公はカボ! 追放された錬金術師の!」
「いかにも俺はカボだ、第五王子よ」
「チェザンヌがなぜ……」
「驚かせて……申し訳ございません、殿下」
チェザンヌからすれば、マギルスは濡れ衣を全くかばってくれなかった。善意に解釈するなら、事態の進展が急すぎて手の打ちようがなかったと考えられなくはない。それにしても、一方的な婚約破棄を押しつけられた彼女としてはなんの感情もない。ないはずだが……。
「二人で固まってても始まらないよ」
「ああ、ルン様。まだ私の肩にいらっしゃったのですね」
「むぎーっ!」
手足をバタつかせるルンの隣で、カボはわざとらしく咳ばらいした。
「事態の整理をしないと先に進めない。打ちあけ話の場としては、ここはいささかよろしくないと思うが」
「その点については同感だ、錬金術師」
「あの……それでしたら私がお宿を取りましたので、いかがでしょうか?」
控えめながらも絶妙のタイミングでクナムが妥当な方針をだした。代案をたてるには全員が疲れてもいた。
「いいだろう。案内しろ」
「かしこまりました」
メイドらしく簡潔に返事をして、クナムは先頭にたった。
「ワニアシザメが……」
「あたしが魔法で眠らせてるから大丈夫だよ」
ぶすっとルンが答えた。
廃墟にせよ暗黒街にせよ、これだけの面々がそろっていればなんの問題もなかった。難なく表通りに至り、クナムの手引きで戸口をくぐった宿屋……『竜の心眼』亭は屋号が皮肉に聞こえるのを除けば極めて無難な格式と設備だった。
「待て、まず私が自分の部屋をとる」
再び仮面をかぶったマギルスが……他の面々も城門をくぐったときと同じ姿になっているが……一人でフロントへいった。チェザンヌ達はロビーで待つことにする。チェザンヌとクナムとルンが相部屋で、カボだけは性別上違う部屋にしてあった。全員を個室にしなかったのは、ごく単純な事情にすぎない。
「申し訳ございませんが、あいにくと空き部屋がない状況でして」
フロントで、マギルスに応対した初老の男性が申し訳なさそうに説明するのが聞こえてくる。カボが、座ったばかりの椅子からでた。
「物置でも屋根裏でもよい、この宿屋でないと困る」
「まことに残念ですが、そのような場所は……」
「相部屋ならいいだろう? 追加料金を払えばいい」
カボが横からかぶせるように加わった。
「相部屋とは、貴公とか」
「むろんだ」
マギルスの両肩が露骨に盛りあがった。フロントの従業員は怯えてあとずさりした。チェザンヌもロビーの席をたった。
「貴公、まさか男にそのケがあるのか?」
「ない」
「いや、信用できん」
「君こそいい加減にしろ。俺にも同性愛者にも失礼だぞ」
「先生は、騎士様を自分のお部屋の客人としてもてなしたいとおっしゃっていられるのですわ」
チェザンヌがさりげなく二人の間に割って入った。
「そうだったのか」
マギルスの緊張感が大幅に減った。
「そうだ」
「では呼ばれよう」
「これでよろしゅうございますわね?」
チェザンヌはフロントに念押しした。
「はい、問題ございません」
「それでは、一度お部屋でお風呂にいたしとうございますわ。それからご飯にしませんこと? 大事なお話はそのあとがいいですわ。先生……殿方のお部屋にて」
カボもマギルスも異存なかった。この宿屋は部屋ごとに小さな蒸し風呂があり、ぼちぼち旅の垢をまとめて落としたいところだ。
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