第9話 手がかりは次の謎 一

 本棚に閲覧用とおぼしき机と椅子、それらとは別個のガラス戸棚で室内の二割は塞がっていた。机や椅子は人間からすれば子供用と思えるほど小ぶりだ。そのくせ本棚は人間用と変わらず、様々な本がびっしり詰めてある。


「クナムさん、デリグって……あ、さっきまで私達を拘束していた人ですけど……人間でございましたの?」

「いえ、ドワーフでした」


 ナプタもドワーフだった。なにかつながりがあるのだろうか。


「ナプタ氏の『海を山にした英雄』がありますわ」


 かたっぱしから本の背表紙を読みとり続けたチェザンヌが、首尾よく成果をあげた。図書館用の整理番号が、小さな四角い紙で背表紙に張りつけてある。


「じゃあ、デリグが借りていたんですね」


 メスやハサミの他、得体の知れない様々な器具が収まるガラス戸棚の数々をクナムは眺めていた。


 残り八割のうち、半分は奇怪な液体に漬かった標本だった。どれもが大人の胴体ほどもある頑丈なガラスビンを容器にしていて、全てにラベルが貼ってあった。一つあげると、去年の日づけで『ワニアシザメ幼体 ワニの『逆行進化』実験に初成功』などというものがある。白濁した目玉と黄ばんだ肌の小さなサメから、まちがいなくワニの脚が生えている。


 あとの半分が、チェザンヌ達を拘束していたベッドや水道つきの流し台、車輪つきの台座にゴミ箱といった数々だった。休息のために使うものではなく、被験体を作業のしやすい高さに横たえて固定しておくためのものだ。もっとも、ベッドはデリグに合わせてか人間の感覚からすればごく低い位置にあった。


「君が見つけた本は、この部屋から動かさない方がいいな。俺が複製するから、みんなで手わけして読まないか?」


 カボの提案に、一人を除く全員がうなずいた。


「デリグとやらが邪悪な実験にふけっていたのは明白だ。一刻もはやく報告せねばならん。その書物も、読む前に封印して届ける必要がある」


 自称騎士は石頭な人格のようだ。


「我々が読んだあとでもいいだろう」


 カボは辛抱強く表情を消していた。


「それだと証拠としての完全さが損なわれるかもしれん」

「本を傷つけたり汚したりはしない。だいいち複製を読むんだ」


 いっそ自分が独占して読みたい。その言葉を、チェザンヌはどうにか飲みこんだ。


「どんな魔法を使うかしらんが、デリグがそれを見越した対策をたてていたらどうする」

「だからといって……」


 カボと自称騎士の口論が深刻化しかけたとき、部屋全体がぐらぐら揺れた。床の中央が左右に開き、漆黒の雄牛の頭部が床下からぬっと現れる。生き物ではなく造り物なのは、金属製の質感からして明白だ。さらに、一人のドワーフの男性が肩車の要領で雄牛の首にまたがっている。白いヒゲを伸ばし、髪のない老人だ。


 雄牛の首から下も、雄牛自体は動かないまますーっと真上にせりあがってきた。雄牛なのは頭だけで、それ以外は筋骨たくましい人間をしている。体長はカボの倍近くあった。半ズボンをはいている以外は裸で、全身が黒く鈍い光を放っている。そして、両手で巨大な戦斧を持っていた。柄の長さは人間一人の身長ほどで、刃の部分は人間の頭の倍はある。牛頭人身の魔物、ミノタウロス。しかも金属製。


「デリグ! さっき死んだはずじゃ……」


 クナムは質問するのがせいいっぱいなほど驚いていた。


「ふんっ。からくり人形の分身じゃ。わしの研究を邪魔しおって。今度はお前を細切れにしてやる!」


 ミノタウロスが斧を振りあげた。体格に似合わず素早い動作だ。クナムはようやく魔法を使ったが、ミノタウロスの胸の辺りにごく小さなヒビがいくつか生まれただけだった。


「ま、魔法が効かない!?」

「危ない!」


 自称騎士が割って入り、戦斧の刃を自らの剣で食いとめた。両者から火花が散り、図らずも自称騎士の膝ががくんと沈む。いくら剣技の達人でも、相手の筋力は常識をこえていた。


 自称騎士のすねが床につく前に、カボはビンをだしてミノタウロスの頭に投げつけた。ビンが割れて鼻を刺すような臭いの煙が広がり、デリグが咳こむ。ミノタウロスの動きが少しにぶった。その隙を見逃さず、自称騎士はミノタウロスの斧から逃れた。


 もうためらっている余裕はない。チェザンヌは『原初の炎』をデリグに放った。本来なら、デリグは炭化した無残な死体をさらすはずだ。ヒゲ一本焦げてもいない。しかし、ミノタウロスの首筋には小さな泡がたった。クナムの魔法でも、ミノタウロスにはかすかながらヒビが入ったままだ。


 斧を構えなおしたミノタウロスは、自称騎士に大上段からまっすぐ打ちおろした。自称騎士はすばやく横に避けるが間にあわない。


 あわや肩から左腕を切断されようかという直前、戦斧は弾かれミノタウロスは一歩さがった。


「あたしの結界だって捨てたもんじゃないでしょ?」


 ルンが、空中で得意げに宙返りをきめた。


「油断するな! まだ倒したわけじゃない」

「クナムさん! 私とあなたで力を合わせて、まず斧を壊しましょう!」

「はい!」

「そんな小細工がわしのミノタウロスに通用するものか! 死ね!」


 ミノタウロスが腰を落とし、戦斧を低く水平に握った。ひとなぎでチェザンヌもクナムもまっぷたつになるのは明らかだ。


 それでも、逃げるつもりはチェザンヌになかった。クナムも微動だにしない。


「いまです!」


 チェザンヌの合図で、戦斧に二種類の力が同時に加わった。刃が赤く光り、柄がミノタウロスの手の中でどろどろに溶けて飛び散っていく。それでも、完全に消滅する前に刃はチェザンヌの腹を薄く裂いた。衣服ごと皮膚が横一文字に切れる。内臓はおろか筋肉にすら達してないが、その灼熱した痛みは両手で腹を抑えてうずくまるには十分すぎた。


「うぐうううっ」

「ルン、結界だ!」

「させぬわっ!」


 戦斧を失ったミノタウロスの右拳が、ルンを狙った。ルンは急上昇でかわしたものの、残る左拳がクナムを襲う。


「ふんっ!」


 体勢をたて直した自称騎士が、ガーゴイルや骸骨をまとめて倒したのとおなじ技をミノタウロスの左拳に集中させた。ミノタウロスは、左腕を上下にざっくり割られクナムの攻撃どころではなくなった。


「これならどうだ!」


 カボは、いつの間にか自分の胴体ほどもある巨大な磁石を両手で持っていた。ミノタウロスの右拳が磁石にくっつき、にっちもさっちもいかなくなる。


「チェザンヌ、しっかりして!」


 ルンがチェザンヌに回復魔法をかけ、傷が塞がってようやくたちあがることができた。目の前に、自称騎士の剣技で裂けたままのミノタウロスの左腕がある。


「これなら!」


 チェザンヌの『原初の炎』が、ミノタウロスの左腕の裂け口から体内へと注ぎこまれた。ミノタウロスはぴたりととまり、鍋でシチューを煮こむような音が誰の耳にもはっきり聞こえる。


「熱いーっ!」


 デリグはたまらずミノタウロスから飛び降り、同時にミノタウロスは内側から溶かされ鉄くさい湯気を全身からふきだして横倒しになった。それも一瞬のことで、跡形もなく蒸発して消えた。


「うっ……」


 がくっと膝を落としかけたチェザンヌの腹を、カボが左手を回してとめた。右手にはいつもの小ビンをだしており、片手で器用に栓を外す。


「早く飲め!」


 感謝する余裕もなく、チェザンヌは身体をカボに起こしてもらってからすぐに小ビンを渡されて口をつけた。

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