第5話 こんな場所でもいかないと 三

 つまり、あのプレートを取りにいかねばならない。自分でも鏡で見たくないほど顔をしかめ、肩を怒らせて足を動かした。


 バッタはまだしも、クモは絶対に無理だ。幸い、プレートを引きぬくのには関係ない。


 哀れな……とはいいがたいか……バッタの脇にしゃがみ、現物を両手で掴んだ。案外簡単に終わった。それほど重くない。


 たちあがる前にふと顔をあげると、クモと正面からご対面した。プレートを両手で胸に抱え、無言で回れ右する。


 展示されていた昆虫どもが、元の場所から動いてぐるりとチェザンヌを囲んでいた。カチカチキチキチ、あごや脚の関節を鳴らして威嚇いかくしている。反射的にうしろをむくと、クモがゆっくりとバッタの身体をまたぎつつあるところだ。


「ぎゃあああぁぁぁ!」


 プレートを左手で持ちつつ、無傷なのに絶叫しながら『原初の炎』を辺り一面に巻き散らした。模型は片っぱしから燃えあがり、ひっくり返ったり脚や首がもげたりして声もなく壊れていった。


「はぁっ……はぁっ……」


 さっきの死体よりはるかにたちが悪い。


 胸が悪くなる臭いを放つ、ドス黒い煙が室内に充満した。模型がどんなカラクリで動き回るのかは想像するほかない。いや、多少なりとも手がかりめいたものはあった。


 こぼれ落ちた無数の歯車や、ネジにバネ。それこそ見たことも聞いたこともない 四角かったり丸かったりする部品。


 それらをまとめて素人なりに推察する限りでは、ドワーフの手になる品ではないかということだった。


 いずれにせよ長居は無用だ。山と河口のパネルがある部屋にもどり、昆虫の部屋での収穫をようやく吟味できた。山から川原に転がっていく岩が彫刻されていて、白黒ではなく色もついている。そして、下向きの矢印も刻んであった。


 つまるところ、この部屋の案内板の説明通りにパネルをはめていけということか。試しに、二つある空白のうち右上に転がる岩のパネルをはめた。大きさはぴったりだかなにも起こらない。もう一枚を右下にはめねばならないだろう。チェザンヌは残る左の出入口を通った。


 昆虫の部屋と同じくらいの距離感覚で、新しい部屋にいきついた。こちらもドアはなく、四角い部屋の壁という壁にぎっしりと長方形の石板がならんでいる。


 石板は全て人間と同じくらいの高さと横幅を備えていた。一つ一つに全身骨格の化石が入っている。『ゴブリン』だの『トロール』だのといった小さな説明板が各石板の真上につけてあった。


 部屋の中央には、石板より二回りは大きい台座がある。そこには一体の、背中から翼を生やした筋肉質の悪魔めいた魔物……ガーゴイルが据えてあった。


 『約六万年前、メトゼ川の河口が現在とほぼ同じ位置になった時代は強大な人間型の魔物が出現し始めたことでも知られています。この当時、人間はまだ石器時代にさしかかったばかりで魔法や錬金術も初歩的な水準でした。しかし、仲間割ればかりして自滅していく魔物に比べて、私達人間は互いを助け合うことで文化や文明を育み、やがて逆転していくのでした』


 ガーゴイルの足元近くに置いてある案内板は、チェザンヌとしては少々ほろ苦い気分を味わった。


 仲間割ればかりして自滅。宮殿はまさにそのものだった。貴族ごとのサロンや好事家仲間などはいたものの、たとえばカボのように自力でなにかを造る人物はごく少数だった。結局はチェザンヌも、消極的な意味合いにせよこの案内板が語るところの『魔物』の一種だった。


 感傷に浸り続けていい状況ではない。ガーゴイルは、両手でパネルを捧げもっている。


 基本中の基本として、ガーゴイルは単なる彫像の場合もあるが宝物庫などの警備にもよく使われる。あらかじめ魔法で動くようになっており、不運な……あるいは大胆な泥棒がやってきたら追い払ったり殺したりする。もっとも、それほど強くはない。ガーゴイル自身は武器も魔法も普通は使わない。空は飛べるものが多いが室内では意味をなさない。知能も低い。


 問題は、大抵のガーゴイルは石に近い身体をしていることだ。『原初の炎』がいくら強力でも相性が悪い。剣や槍を振り回す訓練は受けてない。


 このガーゴイルがただの飾りとはとても思えない。昆虫の部屋を思いだせば十分だ。


 破壊せずとも無力化すればいい。チェザンヌとてロープや針金程度の品は合成できる。ただ、それをやるとサメができる。カボと違い、ビンのストックはない。別個にビンを作るとまたサメができる。一つのビンには一匹しかサメが入らないから解決にならない。


 放っておいて死なせるのは、チェザンヌとしては避けたかった。それで、ワニアシザメを思いだした。あそこには川が流れているし、ネルキッドは海に近いから室内で干からびるよりはチャンスがある。


 段取りがまとまり、チェザンヌはなるべく頑丈な針金をかなりの長さで作った。輪にして束ねてあるが、あくまで一本なのでサメも一匹だけでてくる。


 針金は置いておいて、サメを両手に持ったチェザンヌは急いでワニアシザメの部屋に進んだ。ワニアシザメはどこかに消えていたが、この際どうでもいい。橋から川に放すと元気に泳ぎ去った。


 ほっと一息ついてガーゴイルの処理にかかろうとしたとき、部屋の反対側から誰かがやってきた。城門で衛兵と口論していた仮面の男だ。仮面にも剣にも見覚えがある。カボより先に会ってしまったのは痛し痒しというほかなかった。


「むっ、何者!?」


 仮面の男は剣の柄に手をかけた。あい変わらず変にしゃがれた声だ。


「お、お待ちくださいませ! 怪しい者ではございませんわ」


 緊張のあまりつい素がでてしまった。


「なんだその喋り方は。どこかのご令嬢のようだな。見た目は男のようだが」

「あー……その……お芝居の練習中で……」

「お芝居? こんな廃墟でか」


 仮面の男はずかずか通路を進んだ。


「あっ、気をつけて!」

「なに?」


 一瞬、男の足が止まった。


「ワニアシザメがでます!」

「バカバカしい。とっくに絶滅しただろう」

「でも本当に!」

「ハッタリもそれくらいにしておけ」


 肩を怒らせて男は橋まできた。なにも起こらない。


「あ、あれ……?」

「さて、芝居はもういい。それより、お前と同じくらいの歳の男を見なかったか?」

「えーと……一人、いましたわ……いました」

「どこだ?」

「この先です。でも亡くなっていました」

「なに!?」


 ということは、仮面の男はなんらかの形で王家にかかわっている。


「案内しろ」

「はい」


 どうせ一本道だし、彼はこの界隈に居座る連中よりはましなようだ。いきなり背後から斬りつけたりはしないだろう。


 無言のまま、すぐに死体までやってこられた。


「お前が見つけたときからこんな格好だったのか?」


 仮面の男は、控えめにいってもある程度の知力があるようだ。


「いえ、私がこのようにしました」

「最初はどうだったのだ?」


 チェザンヌはかいつまんで説明した。


「では、仮にお前の説明が事実とすればワニアシザメは実在するわけか。そして、私にもお前にも危害は加えなかったと」

「そうです」

「それはそれとして、チャード……。いき違いにさえならなければ」


 その口調からは、友人の死をいたむというより大事な部下の死を惜しむ気配が強く感じられた。


「あのう……もう、よろしいでしょうか」

「待て。お前はどうしてここにいる?」


 聞かれたが最後、言い逃れはできそうになかった。

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