第4話 こんな場所でもいかないと 二

 ドブ川や模型の川ではない。本物の川で、少なくとも水はきれいそうだ。正確にはドーム状の一回り大きな部屋があって、床の中心を斜めに横切るように川が流れている。両岸は通路を除いて本物の土でできていた。部屋の壁には見たこともない野鳥や獣が描かれ、割れて中身のなくなったガラスケースがいくつか置いてあった。


 『約十万年前のネルキッド市とワニアシザメ


 約十万年前、この辺りはいくつもの川が海に注ぐ場所で三角洲が点在していました。川には、現代では見られなくなった魚や爬虫類が生活していました。特に大きな動物としてはワニアシザメがあり、最大で人間五人分ほどの体長がありました。ワニアシザメは肉食性で、口に入る動物ならなんでも食べたとされます。ワニアシザメは約八万年前に絶滅しましたが、爬虫類が魚類へと『逆行進化』していくのを証明することへの重大な手がかりとして有名です』


 などと書かれた看板がこちら側……つまり、出入口に近い方の岸辺にたててある。ワニアシザメのイラストが説明文の下に添えてあった。なるほど、ワニのような足が生えたサメだ。


 川には石橋がかかっており、向こう岸を経て新しい部屋へと続いている。 通路にも石橋にも等間隔に柵が設けてあり、『危険なので柵からでないでください』と注意する別の看板もあった。だが、柵は木製であちこち腐ってくしぬけになっている。


 なぜ川がきれいなまま流れているのかは知らない。ワニアシザメなる生き物は絶滅しているのだから構わないだろう。


 右足の爪先が再び動きかけたとき、様々なことが同時に起きた。


 まずチェザンヌが泥に足をとられ、転んで両手を床につけた。その直後、ナイフを振りかざした女……黄色い髪の一部が焼け縮れ、牙が下唇から突きでている……がたたらを踏んで慌てて柵にもたれかかった。腐った柵は無慈悲にも彼女を通路から弾き出すように即座に折れた。ナイフを持ったまま、彼女は顔から土にめりこんだ。


 チェザンヌが起きあがる間に、ナイフの女も態勢をたて直した。


「やっと追いついたよ。あたいになめた真似しやがって!」


 毒づく彼女の背後で、巨大な牙をならべた口があんぐりと開いている。


「危ない!」


 思わず大声をだした瞬間、口はぱちんと閉じてナイフの女の上半身を下半身から噛みちぎった。絶滅したはずのワニアシザメが二度三度と口にしたばかりの獲物を咀嚼そしゃくし、力を失った女の右手からナイフが落ちた。たったままだった下半身も前のめりに倒れた。


 ごくんと喉を鳴らして食事を飲みこむワニアシザメに対し、今さらながら『原初の炎』を思いだした。


 いざ決戦かと思いきや、ワニアシザメは不器用に膝を折って床に腹をつけた。かすかに頭を垂れているようにも思える。少なくとも襲いかかったりはしない。


 あまりにも理解しにくい状況に、チェザンヌは言葉を失った。どうやら殺生はしなくてすみそうではあるが。


 いつまでもたったままなにもしないわけにはいかない。それに、あくまで目的はカボだ。


 ワニアシザメを放っておいて、チェザンヌは橋を越えた。そこで、床にしたたるおびただしい量の血に気づいた。乾いてはいるがまだ新しい。察するに、ワニアシザメの襲撃を受け辛うじて部屋をぬけたのだろう。


 一本道なので、血痕は矢印と同じように続いた。部屋を抜けて通路がしばらく続くが、血痕の主はすぐに判明した。人間が一人、うつ伏せに倒れている。軽装備というほどではない反面、盾や槍はない。魔法使いとも思えない。カボではない。矢印はその体を越えてさらに向こうへと続いている。


 ゆっくり近づき、いき倒れの脇に右膝をついて慎重に手で起こした。若い男性だが、赤の他人だ。城門で門番ともめていた人物とはまた体格が違う。左腕がちぎれかけていて、噛み傷なのは一目でわかった。結局はそれが致命的な出血をもたらしたのだろう。


 こういうとき、身ぐるみはいで懐を肥やすのが冒険者だ。それは別に悪いと思わない。むしろ合理的ですらある。ただ、チェザンヌはそこまでこだわらない。金品や平凡な道具なら錬金術で作ればいいから。


 それらとは別に、彼の正体はもう少し調べた方がいいだろう。


 鎧をはがして下に着ている衣服を改めた。なにも不審な点はない。ベルトポーチを開けると、何枚かの金貨や日用品がでてきた。それらに混じって楕円形のロケットペンダントが一つでてくる。台座のついた小さな絵や彫刻に、傷まないようふたをつけてあるものだ。鎖はなく、真鍮でこしらえてあった。


 ロケットペンダントは簡単に開いた。金色の地に、青い双頭の竜を描いたエッチングが現れる。かなり簡略化された図柄でも、本物に間違いない。何故なら、無関係な人間はこの紋章を所持しているだけで処罰の対象になりえる。ソロランツ王家の紋章として、品格を維持するために当然の法律だった。


 この意匠からすれば、関係者は関係者でもずば抜けて位が高いというのではない。さりとて一兵卒ではむろんない。騎士階級だろう。


 埋葬したり弔ったりする余裕はない。装備品を元どおりにして、どうにか胸のうえで両手を組み合わせるくらいはした。心の中で祈りをあげ、先を急ぐことにした。


 通路が次の部屋でとぎれている。がらんどうの四角い室内にはチェザンヌがやってきたものも含めて三つの出入口があり、ドアはない。床が五枚のパネルでしきられていた。


 『ネルキッド市の基礎を作った土砂の堆積


 ネルキッド市の中心を流れるメトゼ川は、十万年前から六万年前まで、約四万年の歳月を経て河口に土砂を堆積させました。その結果、河口が現在の位置にずれ、堆積された土砂が四万年かけて凝結しました』


 五枚の内の一枚だけ長細いパネルになっている。説明文の下には簡単な図があった。山から川に流れでた岩石が河口にたどりつく様子をえがいている。


 残る四枚は同じ大きさの長方形に区切ってあった。チェザンヌのいる出入口から見て左上のパネルには山が彩色されていた。右むきの矢印もある。その真下のパネルは河口で、矢印はなかった。残る二枚は空白になっている。


 羅針盤の矢印は、正面の壁を指定していた。ただの壁としか思えない。つまり、壁を壊すかなにか仕かけでも解くかしないと手づまりとなる。


 壁の厚さやむこう側の様子が明らかにならないので、いたずらに『原初の炎』は使えない。ならば、残る二つの出入口をあたるほかない。どちらを先にしても似たようなものだ。まず右を選んだ。


 四、五分で、ドアを経ないまま新しい展示室にきた。きたくなかった。


 『かつてネルキッド市のある場所に棲息していた昆虫


 メトゼ川河口は、豊かな生物相に恵まれた湿地帯も抱えていました。とくに十万年前は多種多様な昆虫類が爆発的に増加し、その一部は巨大化を果たした末に絶滅したことでも知られます。ここでは、そんな巨大昆虫類とその捕食者・被捕食者をまとめました』


 案内板の立札には正確な説明が記載してあった。なにかの嫌がらせとしか思えない。


 チェザンヌは、『まともな』サイズの昆虫ならそれほど騒がない。ゴキブリは苦手だが。


 この部屋に飾られているのは、人間の頭ほどもあるガや馬と同じ体格を備えたカブトムシの類だ。それらが樹液に群がったり似たような大きさの昆虫と格闘したりしている。


 極めつけは、部屋の中央に鎮座する物体だ。牛の三倍くらいはあるまっ黒なクモが、自分の半分ほどの大きさをバッタに噛みついている。ぐったりと横たわるバッタはうしろ脚が力なく投げだされていた。


 ナンセンスなほどリアルな模型に、危うく恐怖が裏返って笑いだすところだった。しかし、バッタの前脚が一枚のプレートを押さえているのに気づいた。遠目ながら、プレートには転がる岩の絵が刻んである。

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