第2話 袋の中は針 二

 チェザンヌからすれば、いくら変装しているとはいえこんな大都市で師匠と離れてしまうのは少々心もとない。


「もし図書館が閉まる時刻になっても俺が戻ってこなかったら、矢印の羅針盤を使って俺を探してくれ。ただし、危険そうな場所には近づくなよ。その場合はまずクナムを助けろ」


 クナムを助ける、すなわち『さざ波の淑女』号の船主につてができる。本格的な危険に当たるのならその方が妥当だろう。


「把握しましたわ」

「よし。では頼む」


 カボは進路を変更し、チェザンヌ達は維持した。


 ネルキッド公立図書館へは、たいして苦労せずにいきつけた。カボが選んだだけあって、少なくとも十階建てはあろうかという高さがそびえている。横幅も考えるとちょっとした宮殿くらいの大きさだ。なおかつ石造で、のっぺりした灰色がかえって頼もしい。少しくらいの火事にはびくともしないだろう。その連想と、これから調べる内容……正確にはその結果……への想像で不覚にもチェザンヌは身ぶるいした。そこへ、時間さえあれば浴びるほど本が読めるはずだという解決のしようもない気持ちが混ざってなんとも複雑になる。


「どうしました?」

「なんでもありませんわ。さ、入りましょう」


 正面玄関を手で開けたチェザンヌは、ほんの少しだけ懐かしい気持ちになった。書物の香り……乾いたインクや紙の香りが、かつての王宮を思いださせた。そして、カボの小屋も。表情にはださず、無言のまま館内に至った。そこから短い通路をぬけると急に視野が明るく広くなり、本棚に囲まれた長机と椅子がずらりとならんでいる。ゆうに百人は超す利用者達は……それでも精々この階の座席を二割満たすかどうかだが……、人間もいればドワーフやエルフもいて一言も発しない。


 書籍の検索は、壁際にある石板が果たしてくれるようだ。平均的な人間の男性と同じくらいの大きさをしていて、何十枚とある。石板の手前にたって、読みたい本の題名を指で石板になぞればどこにあるのかを文字や映像で空中に浮かべて教えてくれる。題名がはっきりしなくとも、内容にかかわる言葉をいくつかだせば候補が現れる。


 空いている石板の前にたち、チェザンヌはカボから指示された言葉をなぞった。


『海を山にした英雄 ソロランツ王国の始祖神話 ナプタ』


 ナプタ! 一気に跳ねあがった脈拍は、『貸出中』であっという間に落ちた。他にでてきた書名はない。


 ここまできて手ぶらなのは、さすがのチェザンヌもしゃくにさわる。改めて、ナプタで検索し直すと何冊かが示された。いずれも、事実を取材して書いたものらしい。チェザンヌ達に役だちそうなものはない。海賊に殺害された、ドワーフで発明家のナプタと同一人物かどうかもわからない。


 手づまりかと途方にくれかけたとき、カボの最後の指示を思いだした。クナムを助けるのが次善策だろう。それには、せっかく図書館にいるのだから『さざ波の淑女』号について調べておくのがいい。


 豪華客船だけあって、こちらはすぐに手応えがあった。そうなれば善は急げだ。


 書籍一覧を手持ちの紙に書き写し、チェザンヌとクナムは手わけして一人一冊ずつ借りては館内で閲覧した。役にたちそうな箇所を見つけてはひたすら紙に記す。無言で。


 昼食もとらず、夢中になって読み漁った。お陰で様々な事実を手に入れられた。とりわけ重要なのは、船主の名前だ。


 デリグ。ドワーフの男性で五十三歳。ネルキッド市在住の実業家。海運業だけでなく、様々な事業を手がけている。事務所がどこにあるかも記録できた。金持ちなのは間違いないが、当人にかかわる寛大で愛想がいいといった類の人物評は建前だろう。


 と、ここで柔らかな鈴の音がどこからともなく館内全体に響いた。閉館時刻が近づきつつある。


 ついにカボは現れないままだった。ならば、捜索せねばならないだろう。決意を新たに図書館をでて、羅針盤を使った。矢印がカボの居場所を指し示す。


 夕陽を浴びながら矢印を追う内に、チェザンヌ達は人間が二人もならんだら塞がりそうな小道に至った。たしかに市内は市内だ。むしろ中心地に近い。にもかかわらず、まっとうななりゆきでできた場所とはチェザンヌでさえ思えなかった。


 朽ちてうらぶれた三階建ての木造建築が無秩序にならび、それらが背中合わせになって結果論的に生まれた路地だ。これから暗くなり始めるが、大通りのような街灯はない。気のせいか、異様なハミング音すら聞こえる。そして、矢印は小道の奥を指している。


「衛兵に相談するのがいいと思います」


 クナムが、小道の出入口から三歩あとずさった。


「呪いや怨念の気配がするよ」


 ルンはチェザンヌの首筋にしがみついた。


 二人の不安は当たり前だ。自分達の安全についてだけ考えるなら、衛兵に訴えたあと宿でもとってじっくり対策を練ればいい。


 しかし、その間にカボがどうなるかは全く予測がつかない。いや、自分達のせいでよけいにカボが危ない目に合う可能性すらある。


「クナムさん、あなたは手近な宿をとってくださいませ。ルン様は私かクナムさんか、好きな方について構いませんわ。私はカボさんを探しに参ります」

「危険すぎます!」

「でも、先生がどうなっているかははっきりさせねばなりませんわ」

「だからって……」

「あたし、怖いからクナムと待ってる」


 ルンはクナムの肩に飛び移った。妖精の、いつもは陽気な緑色の瞳が申し訳なさそうに伏せられている。対照的に、クナムの黒い瞳は心配そうに大きく見開かれていた。


「どうぞ。クナムさん、私のと同じ羅針盤をあずけておきますわね。明日になっても音沙汰がなければ、衛兵に相談なさって。必要ならご自身で今日調べたところを当たってもよろしゅうございますわ」

「はい……それがお望みでしたら」


 実のところ、クナムはあくまで客分である。巻きこむわけにいかない。ルンの決断にもなんら敵意はない。宿泊代や食費の類は、カボからクナムに道中の協力の見返りとしてあらかじめある程度は渡してあった。


「それでは」

「待って!」


 ルンは、慣れないクナムの肩でぎこちなく座り直した。


「なにか……?」

「せめて、男に変身し直しなよ」

「そうですわね……ご助言ありがとうございます」


 カボのように、右手から小さな薬ビンをだしたチェザンヌはその場で中身を飲んだ。たちまち身体つきが変わる。誰が見ても二十代の青年だ。


「では、ご機嫌よう」


 チェザンヌは一人で踏みこんだ。振りむかないまま。

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