第11話 道づれ靴ずれ 七

 室内に破片や肉片が飛び散り、カニは甲羅だけでなく右ハサミのあった断面からも煙をふいて床に伏せた。


 これら一連は、文字通りまばたきを一回する内に始まって終わった。


「な……なに……これ……」

「聞きたいのは俺の方だ。とはいえよくやったな」

「せ、先生……」


 負傷こそしなかったが、チェザンヌはとばっちりを食ってカボに背中から体当たりしていた。カボはたまらず倒れ、文字通りチェザンヌの尻の下に敷かれている。そこからどうにか顔だけをだし、クソ真面目な顔でカボはクナムをねぎらっていた。


「いやあああ! 申し訳ございません! 申し訳ございません!」


 慌てて飛びのくチェザンヌ。


「いや、かまわん」


 至って冷静にたちあがったカボは、ぴくりともしなくなったカニに背後から近よった。脚の一つを軽く爪先で小づいたが、もはや反応はない。


「クナムさんも……錬金術師なのですか?」

「いや、これは魔法だ」


 錬金術はあくまで道具を作ったり物質を変性させたりするための力だ。魔法はある種のエネルギーそのものを産みだす。チェザンヌが『原初の炎』を用いるのは、その意味でも例外中の例外である。


「わ、私……魔法なんて……」

「素養はあっても開花や自覚する機会がなかったということだ」


 たとえば冒険者なら、組合に登録するさい有料でそうした素養を鑑定してもらえる。逆に、ただの庶民はせっかく才能があっても訓練どころかそれを知らないまま一生を終えることもあった。なまじ魔法が使えると自他に広まったせいで、犯罪やもめごとに巻きこまれることも多々ある。だから、一概に本人が知ればいいというものでもない。もっとも、生死をかけた窮地でとつぜん目覚めることもまたまれにはあった。


「それはいいけど、結局ナプタってドワーフはどうなっちゃったの?」


 ルンは妖精であるから生まれつき魔法が使える。自分にかかったカニの泡を、空中のまま自ら発した水玉で洗い流したところだ。


「こうなると、可能性は二つ。蟹に食べられたか、さもなくば……」

「カニそのものに、なったということでしょうか?」


 あえて言葉を切ったカボに、チェザンヌはつけ加えるように質問した。カボは黙ってうなずいた。


「そんなことできるの?」


 ルンはチェザンヌの肩に座った。


「一応、錬金術ならできる。もちろん禁忌だがな」

「先生……」


 その禁忌とやらの存在については、チェザンヌも学んでいる。さすがに、人権のある生物を……種族は違えどドワーフにももちろん存在する……タコだかカニだかにする技までは知らない。ただし、それを元にもどす方法は学んだ。


「やるか。『反転』を」


 『反転』を使えば、仮にナプタがカニになっていたなら元の姿にできる。もっとも、死体は死体のままだ。それを蘇生させるとなると、まさにカボが追放された理由と同じ行為をすることになる。だいいち死者の復活は非常に多大な時間と労力と各種の素材がいる。


 つまり、仮にナプタだと特定できたらチェザンヌ達は彼を殺したことにもなる。正当防衛なのは明白だし選択の余地はなかったが、ルンでさえそれなりの良心はある。


「そのときですわ」


 チェザンヌとしても、そうした一つ一つは百も承知していた。


 『反転』は対象となる術に比例して難しくなる。にもかかわらず、チェザンヌには自信があった。正確には、『原初の炎』を何度か用いることで使える術はなんでも使いたくなる衝動を感じていた。それは初めて乗馬を覚えた若者がやたらに馬に乗りたがるようなものでもあり、なおかつもっと根元的な欲求でもあった。まるで、自分自身が原初の炎になっていくような。それが自分本来のあり方のような。


「では始めよう。一人で大丈夫か?」

「問題ございませんわ」


 チェザンヌは、右手でじかにカニの甲羅に触れた。まだかすかに余熱を含むそれを裏返したらどうなるか、頭の中で想像する。


 宮廷でカニ料理を食べたことはある。あれは、最初から食べやすいように調理してあった。それでも少しは仕組みがわかる。甲羅を外したら、うす赤い筋肉組織がある。食べてみると中身は白かった。ほとんどそんなものだった。中腸腺とやらいう黒みがかった黄色い部分も食べた。どちらかというと筋肉組織より美味だった。


 カードのようにカニの甲羅がめくれていき、脚や残った方のハサミもそれに準じた。じゅうたんに肉汁がしたたってシミをつけていく。完全に裏表が逆になったとき、カニは鈍く輝いて一人のドワーフになった。『原初の炎』のせいで全身が炭化しかかり、ハサミが爆発したのに合わせて右手が欠けている。どうにか肉体的な特徴はそれとわかるし、なにより首筋に刀傷があった。


「ナプタ様……」


 クナムが頭を垂れた。異常なことばかり続いているときに、ナプタの死を確認することで初めて人なみな感情が広がったのは皮肉だった。クナムの黒い瞳に少しだけ涙がにじんだ。


 チェザンヌとしては、理不尽としかいいようのない形で家族を奪われ葬式すらできていない。それを踏まえると、故人をいたむ気持ちもある一方で彼にも家族がいたのか気になった。


「チェザンヌ、よくやった」

「ありがとうございます」


 いつの間にか自分の顔にふきでていた汗を、チェザンヌは無意識にぬぐった。


「少なくとも故人の顔形は把握できた。手がかりがまだあればいいが……」


 実務家らしく、カボはくどくど愁嘆場を造ったりしないで遺体の脇に右膝をついた。


「焼け残った衣服や靴からすれば、資産相応の身なりにお気を遣われていたようですわ」


 そういうことは、宮廷での生活からある程度察しがついていた。


「問題は二つある。一つはどんな手段でカニにされたのかということ。もう一つは、誰がそれをやったかだ」


 カボは、両目で遺体を端から端まで眺め渡した。


「海賊が、そんな手だてを持っているのでしょうか?」


 クナムの質問には、本人にも意図しない嫌悪感がこもっていた。


「今はまだ、あるともないとも決められないな。ただ、よほど優秀な術者か道具がなければできない」

「他の乗員や乗客も同じようにされたのでしょうか?」


 クナムもまた、遺体をじっと見つめている。


「それこそいちいち検証しなければならないだろう。だが、俺達……俺とチェザンヌにはそこまでの時間がない」


 目的は、あくまでネルキッド市でチェザンヌの素質をはっきりさせることにある。


「そうですか……」

「とはいえ、逆にこれだけ強力な術なら……」


 カボは、姿勢はそのままに右手から小さな広口ビンをだした。赤い液体で満たされている。

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