第5話 道づれ靴ずれ 一

 旅行にいこうとするとき、人は二つに別れる。山ほど荷物を抱える者と手ぶらに近い者だ。カボの即断は明らかに後者である。荷物が重くなると、それ自体が足かせになって疲れがたまる。いざというときに身軽に動けない危険もあれば、荷物を惜しんで時間を無駄にする可能性もある。


「簡単に説明しておこう。方角はこの小屋から真北を保てればいい。少しは修正が必要になるかもしれないが、術を使えば大した問題じゃない。森を抜けたらすぐ、街道に合流できる。二日ほどでネルキッド市にいける」


 カボは、テーブルに浮かべたままの地図をじっと見つめた。


「つまり、少なくとも十日くらいは森の中なのですね」

「そうだ。道のりそのものは心配ないが、小屋からでて三日も歩くとなにが待ちうけているか把握していない地域になる」


 カボといえども隅から隅まで森を知っているのではない。隠者めいた暮らしをしていたのだから当たりまえだ。


「それでも、いくしかありませんわ」


 チェザンヌに異存はない。安全な街道は森を迂回するように進んでいて、そこを通ると三週間はかかる。すぐに馬が調達できるような場所は近くにない。ネルキッドで思うように研究が進まないことまでふくむと、街道を中心にしたルートは捨てるしかない。


「なら、善は急げだ」


 チェザンヌ達は出発した。


 それから数日は、大した障害もなく進んだ。まだカボの把握している地域というのもあるし、三人とも内輪もめを起こすような愚か者ではない。


 五日目にして、少しばかり奇妙な代物を見つけた。


「なぜ……浮輪がこんな場所に……」


 木に囲まれた道のどまんなかにそれはあった。


「わからん」


 チェザンヌの疑問にはたいていすぐに明快な結論をくだすカボも、さすがにお手あげだ。


 海からはかなり隔たった森の中で、近くに大きな湖もない。わざわざ浮輪一つを捨てるためにここまでくるとも思えない。


「新品みたい」


 ルンが、チェザンヌの肩に乗ったままつぶやいた。彼女のいうとおり、青白まだらに塗られた浮輪は塗装といい形といいあせたり欠けたりした部分がない。となるとますます疑問が増した。


「ふむ……思いあたる節があるとすれば、チェザンヌが今朝作った品か」


 どうということのない、護身用の簡単な木の指輪。敵に向けて念じれば、炎が吹きあがって攻撃してくれる。一回だけの使い捨てながら、それなりに使える。サメも一匹増えた。


 訓練の一環として、カボが指導しながら形にしたそれはルンの右人差し指にはまっている。まだ未熟なチェザンヌは、ミニチュアサイズでしか作ることができなかったので妖精用となった。


「なんとなく似ているからでてきたのでございましょうか?」


 チェザンヌの推察もまるっきり的外れとは限らない。魔法や錬金術の研究はそのときどきの目的に似た品や現象を再現しようとするところから始まる。たとえば、本当に死体を蘇生させるのは無理でも眠ることで擬似的な死体を演じる人間を起こすなど。


「でも、浮輪なんて誰も興味なかったよね」


 ルンでさえ好奇心ではなく困惑を感じていた。


 とにかく、謎ではあるもののチェザンヌ達の目的とは関係ない……はずだ。


 先を急ごうとつま先を動かしかけたら、浮輪の真下にあたる地面がぐらぐら揺れ始めた。すぐに、一隻のボートが地面から浮かびあがってくる。浮輪はボートの中に入った。余りにもバカげた進行に、チェザンヌ達は開いた口が塞がらない。


 ボートは大人が三人、一列に乗ったら満杯になる程度の大きさだった。見た限りは木造で、上半分が白く下半分が赤く塗られている。ご丁寧にも一組のオールまでセットしてあった。


「わっ、乗ってみようよ! ねっねっ。呪いとか悪霊とかはなさそうだし」


 ルンが手足をバタつかせた。妖精として、その類には感覚が鋭い。


「ルン様、足が当たって痛いですわ」

「ごめんごめん」

「まるで俺たちを誘っているようだな」


 カボは、あやふやな可能性はなるべく避ける主義をとっている。特に、今回のような旅ならなおさらだ。それでいて、この異常な現象の数々は錬金術師としての好奇心を刺激するのに十分だった。


「どなたかが、私達に促しているのでございましょうか」


 チェザンヌは、あえて『ボートに入るように』とは言わなかった。口にしたら、なにかとてつもないことに巻きこまれそうな気がする。


「よし。こうしよう」


 カボは、ルンを探すときに使った小さな羅針盤を手にだした。


「まず、俺がボートに乗る。なにかの弾みで俺が消えたら、それを頼りに探せ。ただし、三日以上かかるようなら自力でネルキッドを目指せ」


 これまでは、カボやルンが一緒なだけあって比較的楽な道のりだった。だが、チェザンヌ達が実行しているのは旅でもあり冒険でもある。ボートに呪いや悪霊がいないからといって油断していいことにはならない。


「かしこまりました」


 余計なことは言わず、チェザンヌはカボから羅針盤を預かった。カボはうなずき、チェザンヌとルンに背をむけてボートの縁をまたいだ。思わずチェザンヌは自分の胸の前で両手を握りあわせた。


 ボートの底を注意深く見回しながら、カボはゆっくり座った。なにも起こらない。魔力が発動したり何者かが襲ってきたりする気配は全くない。


「ほら、ね。あたし達も早く早く!」


 じれったくなったルンは、チェザンヌの肩の真上にあたる空中でくるんと一回転した。


「ま、まあ、実害はなさそうですし……先生、よろしいでしょうか?」

「そうだな。いいだろう」

「ありがとうございます」


 カボで大丈夫だったのだし、ルンではないがどうせなら自分も体験してみたい。そんな気持ちもあった。


「失礼致します」


 礼儀正しくカボに断って、チェザンヌはルンごとボートに乗った。そうすると、自然にカボとむかいあうようになった。


「わーっ。なんだかカップルみたい!」

「ルン!」

「ルン様!」


 図らずも、チェザンヌとカボは同時に叫んだ。


「いや、俺からすればチェザンヌはあくまでも生徒で……」


 なぜか顔をそらすカボ。


「わ、私もそのつもりですわ」


 両手で自分の顔を覆うチェザンヌ。


 二人がしばらく相手から目をそむけ合っていると、ボートが上下左右にがたがた動きだした。


「きゃあっ!」

「チェザンヌ!」


 カボが慌てて手を伸ばそうとする間もあればこそ、ボートは三人がいるまま見えない手ですくいとられるように空中へと至った。その原因は、三人が無意識に船ばたから下を覗いてすぐに理解できた。


「漁船だ……」


 地面からボートが湧いてきたように、ボートの下から漁船が現れた。小ぶりな帆船で、これも木造のようだ。小ぶりとはいえボートの三倍くらいはある。舵を備えた質素な船橋がマスト越しに見えた。ボートの周りには、網だのロープだのが積まれている。


 漁船は、甲板にボートを鎮座させたまま完全に姿を現すまで上昇した。もっとも、止まった時点でカボの身長くらいの高さでしかなかった。


「先生……これはどんな魔法ですの?」

「わからん。そもそも魔法かどうかすら把握できない」

「仕かけだよ。バネとか歯車とかのからくりと同じ。あたし、知りあいのドワーフからこういうの聞いたことがあるもん」

「早く言えよ」


 カボでなくとも文句を言いたくなる。


「ごめーん。でもさ、呪いや悪霊じゃなかったでしょ?」


 ルンの主張も嘘ではなかった。これまでのところ、なんの損失もない。


「でも……誰がなんのためにこんな物を……」

「ひとまずボートからでよう。いざとなったら地面に飛び降りればいい」

「先生……」

「なんだ」

「私……高いところから飛び降りるのは苦手ですの……」

「ケガをするほどじゃない。何事も最初の一回目はある」


 いかにも教師らしく、カボは冷静にさとした。必ずしも完全には同意しきられないものの、一応チェザンヌはうなずいた。

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