第3話 ひょうたんからサメ 三

 チェザンヌの心の中に、渦巻く赤い炎の幻が浮かんだ。ほとんど無意識に、彼女は右手を軽く掲げていた。なにもしていないのに右手が炎に包まれ、彼女自身は少しも熱くない。


「いきなり『原初の炎』そのものか! 予想はしていたが、やはりなみの素質じゃない」


 腕を組ながら、カボは大きくうなずいた。


 チェザンヌとしても座学から知っていたことで、普通なら小石や棒きれがでてくるのがせいぜいだ。『原初の炎』は敵を攻撃するにも薪を燃やすにも、訓練によっては鍛冶仕事に使うことさえできる。


「炎を小さくしてみろ」


 カボの指示は、地味だが重要だった。どんな力も自分であやつれなければ意味がない。チェザンヌも承知している。彼女の手のひらで、炎は小枝ほどに縮んだ。


「大きくする方は、また別な機会だな。小屋が焼けては困る」


 冗談めかしたカボにつられて、チェザンヌも微笑んだ。


「あーっ、チェザンヌ、初めて笑った」

「え……?」


 笑いなら、今朝示したばかり……いや、あのときはルンはいなかった。そして気づいた。追放されてからこの方、心から楽しくて笑ったのはたしかに今日が初めてだ。


「あはははははは。……私と致しましたことが、はしたなくて申し訳ございません」


 炎がでたままなので、顔を焦がすわけにもいかずそのままチェザンヌは笑った。


「いや、ここは宮殿じゃないし気にすることはないだろう」

「そうそう! カボも見とれて……」


 カボがルンの前に手をかざした。ルンは静かになった。


「炎はそれくらいにして、朝食……いや、もう昼食か。それをすませてから午後の実技に移ろう」

「はーい! あたし、目玉焼きがいい!」

「お前が俺達に作るんだ! これからずっとそうだ!」


 椅子から少し腰を浮かせて、カボは右人差し指をルンにつきつけた。


「ええぇっ!? だ、だってチェザンヌの力を引きだしたでしょ?」

「ああ、いたずらの罰はそれで終わりだ。だが、お前も俺の家に寝泊まりするからには相応に働いてもらう。嫌ならでていけ」


 実は根に持つカボであった。


 ルンとしては、さっさとでていくわけにもいかない。妖精族は、一度好奇心を抱いた相手には執着する性質がある。


「わかったよ、作ればいいんでしょ作れば」


 ぶーっと頬を膨らませつつ、ルンがぱちんと右の親指と人差し指をならすとたちまち食事が現れた。


「刻みソーセージとキノコの炒め和え、トマトスープつき。パンはレーズン入り」


 ルンの説明そのままに、緑色の丸い平皿には、湯気をたてる赤茶色のソーセージと黒茶色のキノコが油を滴らせている。白いコーヒーカップ風の容器には薄赤色のスープが八割ほど入り、かすかな酸味のある香りを放っていた。黒紫色のレーズンが入ったパンは、くすんだ黄色をしたワラ籠にまとめてある。


「頂きます」


 唱和してから、三人は食事にかかった。籠からだしたパンをちぎりながら、チェザンヌはふと気づいた。顔も洗ってないし歯も磨いてない。もちろん化粧など影も形もない。髪もとかしてない。にもかかわらず、食事が最優先だった。なぜなら空腹だからだ。


 甘酸っぱいレーズンを噛みしめながら、自分がもはや宮殿にいた自分とはまるで違ってしまったのを自覚せざるを得なかった。ほんの数日で変わってしまった。いや、やろうと思えば……機会さえあれば元の伯爵令嬢に戻れる。それは、奇妙にも自信があった。


 カボさえ意識していないことだが、チェザンヌが学んだもっとも重要なこととは環境に合わせて自分自身をいかに素早く適応させるかに尽きた。チェザンヌがいつまでたっても貴族意識しか持てない人間なら、原初の炎など逆だちしてもでてこなかっただろう。


「ぶつぶつ言ってたわりには旨いな」


 カボは上機嫌でソーセージを頬張った。


「ご飯はちゃんと食べなきゃね」


 自分の体格に合わせた、人間からすればミニチュアサイズの食事を進めながらルンは自慢げにうなずいた。


「ご馳走さまでした」


 食べ物はきれいに平らげられた。食器はルンがまとめて消した。


「さて、午後の予定だ。せっかくバジリスクを解体したので、薬品の精製をする」

「はい」


 錬金術にとって欠かせない技能、『精製』。もちろん、いくらルンから才能を引きだされたといっても経験や材料もなしにいきなり複雑な物を作れはしない。


「最初の品目は解毒剤だ」


 これはそう難しくない代わりに意外に需要がない。そもそも、徳がある程度高い僧侶がいれば祈祷ですぐに治る。では僧侶がいなければどうなるかというと、応急手当てでもして時間を稼ぐか……それだけで回復することも当然にある……本人が死ぬかだ。


 さておき、さっきまで食卓だったテーブルが製造台になった。カボがバジリスクの血を満たしたビンをだし、チェザンヌは右手に原初の炎を小さくともす。このとき材料にした毒素が強ければ強いほど効果の高い解毒剤ができる。


 チェザンヌは、自分が呼びだした炎がビンごとバジリスクの血を燃やす場面を想像した。炎は彼女の意志に従い、細い筋を引くようにビンへと移った。ビンはそのまま炎に包まれ、テーブルは全くの無傷だ。


 ビンと炎が完全に一体化したとき、かすかな虹色の輝きがチェザンヌの顔を照らした。ビンと合体した炎は、まばたきを数回おこなうほどのあいだ輝き続けてから消えた。


 ビンは、施術前の半分くらいに縮んでいた。中身も、鮮血色そのものだったのが黒ずんだ茶色に近い赤色に変わっている。首尾よく数回分の解毒剤を作れたのはチェザンヌ自身が実感していた。


「よくやった。申し分な……うん?」


 カボの言葉がとぎれるのを待つまでもなく、チェザンヌからしても理解に苦しむ現象が起きている。


 鮫。サメ。肉食性の軟骨魚類。さすがに、人食い鮫のような大きさではない。ルンの半分くらいの体長しかない。三角形の尾ひれといい口の中の鋭い歯といい、サメはサメだ。


「なぜ……なぜサメなんだ……」


 放心したようにつぶやいてから、ハッとカボはルンを見た。


「あたしじゃない! あたしなにもしてない!」

「ルン様のせいではございません。なんの干渉も感じませんでしたもの」

「なら……」

「私、あくまで解毒剤にだけ集中しておりました」


 カボの疑念に、チェザンヌは礼儀正しく釘を刺した。


「副産物か……」


 カボがひねりだした言葉に、チェザンヌもルンも異論はなかった。たとえば、鉛を純金に変えるときに食塩や土砂といった品ができることはある。しかし、生き物が副産物として現れるのはさすがのカボも予想していなかった。


 チェザンヌとしても、サメなど考えてもいなかった。ということは、副産物の生成をあやつれない可能性がある。


 カボは、左手から新たな広口ビンをだした。ふたを開けてサメを入れると自動的に海水が満ちていく。それを改めて手の中へと消した。


「副産物について、もっとたしかめねばならない」

「はい」


 カボは、新しく箱を一つだした。彼がふたを開けると、解体したバジリスクの皮が収まっているのがわかった。


「好きなように『製造』してみろ」


 『精製』は液体を中心にした作成であり『製造』は固体である。そして、カボの指示は材料からなにができるのかをチェザンヌが正確に想像できているという前提があった。

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