第2話 ひょうたんからサメ 二

 チェザンヌの背丈の半分くらいな大きさをした、トカゲに似た化け物がうずくまっている。その両目は縫いあわせたかのようにぴたっと閉じられていた。


「バジリスクと出会い頭とは運が悪かったな」


 自動的に相手の攻撃を反射する魔法を、ルンはふだんから自分にかけている。バジリスクは一にらみで犠牲者をそっくりそのまま石にしてしまう。その強烈な呪力と、ルンの魔法が相殺されてこうなったに違いない。


 かがんだカボは、ルンを右手で包むように拾った。彼女を手の中でじたばたさせたまま、左手のひらに銀色のジョッキをだす。ジョッキといっても彼の親指くらいの大きさで、それをルンの頭にぽとりと落とした。ジョッキは音もなく消え、ルンの上半身は生身に回復した。


「きゃあああぁぁぁ! 食べられる! 食べられる!」

「いい加減にしろ」


 カボがほんの少し右手に力を入れると、ルンは口を閉じた。まじまじと彼を見あげ、いきなりげらげら笑いだした。


「カボ? カボでしょ? ぶっさーい……」


 再びカボはルンを握りなおした。今度は少し力が強くなり、彼女は痛そうに身体をよじった。


「まず、バジリスクを処理する。チェザンヌ、学びを活かす機会だ」


 ルンを握ったまま、カボは告げた。


「はい」


 バジリスクは、本来なら未熟な錬金術師にどうにかできる化け物ではない。しかし、なんらかの手段で眼力を無効化されるとたちまち無気力なトカゲになってしまう。血液や吐息に猛毒を持っているものの、ずっと扱いやすい。


 問題はむしろ、チェザンヌの側にあった。座学で何度も念押しされ、覚悟も決めていたつもりではあったが……ためらいなくといえば嘘になる。だがやらねばならない。


 チェザンヌは、腰からベルトを外して右手に持った。バジリスクのうしろに回りこみ、背中にまたがってからベルト喉の下に通した。しかるのちに、後頭部を右足で踏みつけながらベルトを両手で絞める。石化眼力も猛毒の血液も、こうすれば全く意味をなさない。


 バタバタ暴れるバジリスクに対し、チェザンヌは歯を食いしばってベルトを絞め続けた。その内ぐったりして動かなくなる。


 植物はともかく、生きている動物を自分の手で殺した。もっと激しい嫌悪感や迫力があるのかと思ったら、なんの感情も湧かなかった。


「よし、いいだろう。あとは俺がやる」

「はい、ありがとうございます」


 バジリスクから身体をどけたチェザンヌは、ベルトを元どおりにした。不潔だの気色悪いだのといった感覚はなく、ただ必要だからそうした。


 錬金術というほどのことではない。いつもいつも派手な爆発や光が生まれるのでもない。達人になればなるほど安直に術を使わない。手元にある品だけで必要最小限の解決を果たすのは生存術として基本中の基本である。


 チェザンヌの内心がどうあれ、カボはルンを地面にそっと置いた。次に、自分の右手の平を空にむけた。ひとりでに、音も光もなくゴーグルが現れる。錬金術の基本技術の一つ、『引出』だ。座学で知った。さらにマスクと手袋をだして自らに装着した。チェザンヌとルンは、安全な距離まで離れた。


 二人が十分に安全なのを確かめてから、カボはナイフと広口ビンとロープをだした。バジリスクの尻尾のつけ根にロープを巻きつけ、手近な木の枝を使って逆さ吊りにする。それから、バジリスクの喉を切って広口瓶に血を流し入れる。それがすむと、瓶の蓋を固く締めてから脇に置いた。ついで、股に切りこみを入れて皮をはぐ。流れるような手さばきに応じてピンク色の筋肉が露わになった。


 かれこれ数時間ほどで、バジリスクは皮と肉と骨に解体された。血液も含めて、いずれも非常に貴重な薬品の材料になる。血液以外の部分はぶつ切りにして、新しくだした箱にしまった。箱も広口瓶も全て、カボが左手をかざすだけで消えた。これも錬金術の基本技術の一つ、『収納』である。やろうと思えばいつでも『引出』できるのはいうまでもない。


「さて」


 一段落ついてから、カボはルンを見下ろした。ルンは無意識にあとずさり、チェザンヌの爪先にぶつかって止まった。


「まず、元の顔にしてもらおうか」

「はい……」


 ルンが返事をするが早いか、カボの顔が回復した。彼がチェザンヌを見てうなずいたことから、彼女も元に戻ったと理解できた。


「それで、どうしてこんないたずらをしたんだ?」


 背景で地鳴りが響きそうな迫力だった。


「二日酔いにかかって、酔いざましの魔法を唱えようとしたら失敗しちゃった」

「それはまだいいが、危うくバジリスクにやられたかもしれないだろう」

「うん、助けてくれてありがとう」

「これからはつまらない心配をかけるなよ」

「はい」


 意外にあっさりと、カボはルンを許した。彼が優秀で誠実な教師なのは知っているつもりだが、寛大すぎる気がしなくもない。


「では、帰ろう」


 カボの意見に異存はなかった。ルンは当たり前のようにチェザンヌの肩に座り、一同は家路についた。


 帰宅してから、必然的に朝食の話になる。これも、作り方をカボがチェザンヌに教えた。簡単な献立ばかりながら、錬金術の次くらいに彼女の知的好奇心を刺激していた。授業の一環として毎朝チェザンヌが作っている。


 バジリスクをつついたあとでもあるし、まずは洗面所で順に手を洗った。


「チェザンヌは座っていてくれ」


 カボは一番最後にタオルで手をふいた。


「かしこまりました」

「ルン、これからいたずらの罰を与える。まずはチェザンヌの肩から降りろ」

「はーい」


 チェザンヌが席につきルンがテーブルに着地した瞬間、じっとひそんでいたハエトリグモが背後から忍びよってルンの首筋に噛みついた。クモはその場で消え、ルンは手足をけいれんさせながら天井をむいて倒れてしまう。ルンの防護魔法は、物理攻撃やそれにともなう毒には無力だ。食虫植物に捕まっていた話を聞いていたので、カボはとうに見抜いていた。


「身体が動かないだけで意識はあるだろう? こんな程度ですむと思ったら大間違いだ。償いはこれからだぞ」

「先生、庶民の言葉で申しますところのえげつないやり方ですわ」

「じゃあやめるか?」

「いいえ」


 チェザンヌとしても、ぼつぼつルンに灸をすえたいところだ。それに、まさか殺しはするまい。


「よし。ルン、チェザンヌの錬金術師としての潜在能力をお前が可能な限り引きだしてもらおう」


 本来、それはかなりまとまった謝礼を渡さねばならない。身からでた錆とはいえ、ルンからすれば大損だ。


「よもや断りはすまいな? 口だけ動くようにしてやるからこの場で誓え」


 カボが、右小指で軽くルンの口をつついた。


「わかった、わかったからしびれをどうにかしてぇ~!」

「いいだろう」


 カボの右小指がルンの腹をつついた。


「やっと治った。じゃあ約束を守るね」


 ルンが羽ばたき、チェザンヌの頭上を飛びながら一週した。

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