第9話 在と不在 二 (スイシァ視点→チェザンヌ視点)

 王族がオーラめいたものを放つとするなら、まさしくタニアンはそのものだった。


「よくぞおいでくださった、スイシァ嬢。入られよ」

「もったいない仰せ、ありがたく存じます」


 型通りの挨拶を踏まえて入室すると、タニアンは自分の真向かいに置かれた椅子を節くれだった右手で示した。


 スイシァが用いている……かつてはチェザンヌの……部屋の調度品も豪華ではある。ただし、折々の流行にそった豪華さでもある。一、二年もすれば次の流行に代わる。タニアンのそれは、椅子一つとっても世俗の流行をはるかにこえた気品があった。基本的な材質は桜の木で、金箔だの銀箔だのをべたべた貼ったりはしない。宝石をはめるようなこともしない。背もたれにこの部屋の扉と同じ紋章が彫られているくらいだ。にもかかわらず、王家の知遇を得られる喜悦と責任を同時に感じさせる滑らかな曲線でこしらえてあった。


「ありがとうございます。失礼致します」


 スイシァが腰をおろすと、タニアンは軽くうなずいてから部屋に控える侍女やメイドに目配せした。黙ってお辞儀し、部屋から出ていく彼女らとは反対にスイシァは一対一でタニアンと顔を合わせることになった。


「まずは茶をだそう」


 王太子は、スイシァとの間に挟まるテーブルの上で出番をまっていたティーポットに右手を伸ばした。


「ああ、そんな……もったいない。殿下御自らがなさるだなんて」


 さすがのスイシァも慌てた。


「そんなに意外か?」


 手を止めずにタニアンは尋ねた。


「いえ、とんでもございません。ただ、身に余る光栄で……不覚にも取り乱した次第でございます」

「そうかしこまらずともよい」


 白磁のカップに翡翠色の茶が注がれた。


「恐れ入りましてございます」


 スイシァからの謝礼を聞きながら、タニアンは自分のカップに同じように茶を注いだ。


「さあ」

「いただきます」


 まずは作法通りにカップを手にし、香りを楽しんだ。少しほろ苦く、重厚な湯気の塊が鼻を通る。それから一口飲んだ。紅茶というより薬草茶のようだが、独自にブレンドされている。


「大変おいしゅうございます」


 カップを受け皿に戻しながら、スイシァは本心を述べた。


「喜んでもらえてなによりだ」


 タニアンもまた一口飲んだ。


「それで」


 スイシァと同じようにカップを受け皿に戻しつつ、タニアンはおもむろに切りだした。


「単刀直入に伝えよう」

「はい」

「弟である第五王子ことマギルスが行方不明になった」


 タニアンに備わった青葉色の瞳はまばたき一つしなかった。スイシァは、藤色の瞳をなんどもまぶたの内にしまわねばならなかった。次の瞬間、彼女の頭の中で様々な可能性やそれに基づく警告が一気にうねりを上げた。それは頭蓋骨ごと彼女の理性を吹きとばしそうになった。


           ☆


 ほぼ同じころ、チェザンヌが受けている授業は一区切りがつこうとしていた。彼女の恰好からして、追放以前には想像もしなかった姿に変わった。ドレスはとうに捨てられ、何着かある同じ作業服を洗濯しながら使いまわしている。それらはネックレスの代金の一部としてカボがだしてくれた。靴だけはルンにもらったものをずっと使っている。洗濯といえば、一間しかない小屋でカボとチェザンヌの生活圏がかち合うのは当たり前だ。カボは、チェザンヌからすれば人目に触れられたくない様々な細かい配慮……たとえば洗濯物を干す順番……に最初からよく気がついた。独身なのだろうが、姉か妹でもいるのではないのかと思えるくらいだ。


「というわけで、錬金術師になれるのは精々一万人に一人くらいだ。それに、金銀財宝を無限大にだせるのでもない」


 カボの講義も大詰めにさしかかっている。教室は相変わらず彼の小屋だが、テーブルにはチェザンヌが学習に使っているノートやカボが説明に用いる小さな白板が乗っている。インクつぼは空になるたびに自動的に満杯になった。


 天井から吊るしたランタンと、卓上の深皿から放たれる光が昼間に近い明かりをもたらしている。ランタンはさておき、深皿の中には水に浸した黄色いコケがあった。それは、チェザンヌが助けられた次の日にカボと共に近所の洞窟で採集したものだ。この状態で数日は光り続ける。水からだすと光は消えるし、なかなか頑丈にできているので水だけでも一週間は生きている。


 もっとも、野外実習はコケの採集で終わった。あとはひたすら座学だ。ルンは退屈をもて余してどこかに飛んでいき、気まぐれに戻ってきたかと思ったら適当に寝ている。


 カボはあらゆる点で理想的な教師だった。常にチェザンヌの心身に気を配り、精神的にも肉体的にも適度な距離を保っている。だからこそ、チェザンヌも勉学に集中できた。


 チェザンヌにとって、錬金術の座学は刺激と知的好奇心に満ちていた。追放されるまでにもとぎれとぎれに読んだり聞いたりしたことはある。それらはいい加減に歪められたり脚色されたりで、正直なところあいまいにうなずくくらいですませていた。

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