第6話 錬金術師の家 二
よく、貴族の地位を失った人間が平民としてたくましく生き抜く物語がある。実際には、ほとんど九割九分が一ヶ月もたたずに野垂れ死にとなる。宮殿と自家の領地しか世間を知らず、他人に雇われて働く経験も知識もない状態で暮らしていけるはずがない。だからこそ、追放が決まった貴族の大半は自殺する。
「芸は身をたすくとはよくいったもので、錬金術のお陰で隠者めいた生活は続けられた。ただし、貧弱な設備しか作れないし素材もない。今の生活以上のことは無理だ」
「とてもよくわかりましたわ。ありがとうございます」
ひとまず、チェザンヌは丁寧に礼を述べた。そして、このままでは自分を取り巻く状況に大した違いはないのも。カボを頼って生きていく、などという選択肢には魅力を感じなかった。彼に感謝するのは当たり前だが……それすらできない貴族はごまんといるが……それとこれとは別だ。
「楽に死ねる毒ならすぐにでも調合できるが」
「え……」
チェザンヌの葛藤を見透かしたかのように、カボは無表情なまま明かした。
「実のところ俺もかつかつの生活だし、君がなにか俺の役にたつというのでもなし。ここをでてもさっきみたいな化け物にやられるのがおちだろうし」
「そ、それならどうしてお助けになられたのですか?」
「事情がはっきりしないまま見殺しにはできないだろう?」
なんとも合理的で、文句のつけようがない。カボの立場にたつならば。
「なら、いっそすぐに追いだしたらよかったじゃありませんか」
「こんな生活を続けていれば誰かと少しは話がしたくなるさ。毒はそのお礼でもある」
だからご遠慮なくといわんばかりである。実際、チェザンヌはそうした『決断』を考えねばならないところではあった。
ある種の心得として、自尊心を保った最期の迎え方も学んではいる。しかし、それはあくまでも自分の意志として選ぶ。今夜の一連は最初からほんのわずかでさえ納得できない。
「なんなら、そのネックレスと引き換えに少しの間……」
「死にます」
「そうか?」
「でも、復活させて頂きますわ!」
我知らず声が上ずった。カボは目に見えて困惑している。
「あなたは禁忌を追求したいのでしょう? まだ人間は一人しか試していないのでしょう? それなら、私が二人目になりますわ! その代わり、私の復讐に協力しなさい!」
チェザンヌの青い瞳とカボの藍色の瞳が、たがいの表情をくまなく映しだしている。
「ついには俺に命令か」
呆れたようでいて、予想だにしない展開をカボは楽しんでいるようだ。
「ええ命令ですとも! ブルギータ伯爵家最後の生き残りとして、追放者の錬金術師カボに再起復活の機会を与えます! 私の身体で! 私の復讐が成功すれば、晴れて正式に宮廷錬金術師最高顧問の称号とそれに応じた報酬を授けましょう!」
「……」
開き直ったチェザンヌの要求に、カボの方こそすっかり毒気をぬかれた。
「壮大な計画だが、難点が一つある」
「なんですの?」
「金がない。仮に、君のそのネックレスを売ったとしても。そこの妖精が持てる力を全て使ったとしても、はるかに足らない」
錬金術師のくせに金がないとは。本人が述べたように、まともな設備も資材もないからしかたない。
「なら持っている人から奪いましょう」
「はぁっ!?」
素でカボは驚いた。
「その……書物でそういうお話を読みましたの」
「プッ……アハハハハハハ! ワハハハハハハ!」
なんともユニークな種明かしに、カボは腹を抱えて笑った。
「わ、私は真剣に……」
「し、し、失礼、しかし……」
カボは右手でばんばんテーブルを叩いてつっぷした。
「そ、そんなに笑わなくとも……」
チェザンヌの抗議を受けて、顔をあげたカボは茶を一口飲んだ。
「いやー、数年ぶりに腹の底から笑った。申し訳なかった」
「い、いえ、ご理解下されば結構ですわ」
「君の想像通りには実行できないにしても」
「え……?」
「当たり前だろう。あっという間に捕まって、それこそ縛り首だ」
「それなら……」
「まるっきり使えない提案でもない」
そこで言葉を区切り、カボはカップに残った茶を全て飲み干した。
「ブルギータ伯爵家は滅亡した。なら、君が新しい家門を起こすんだ。元の立場を隠して。その上で、再び宮廷に乗りこみ復讐を果たす」
「つまり、私が個人的に死んで復活するのではなく一族が象徴的に復活するのですね?」
「そういうことだ。ネックレスはその元手にする。おっと待った」
首のうしろに手を回したチェザンヌを、カボは止めた。
「てっとりばやく変装して今すぐ巻き返し、といきたいのは山々だが不可能だ。向こうも馬鹿じゃない。下手な小細工はすぐ見抜かれる」
「では、どうするんですの?」
「いちいち確かめなくとも自由に宮殿を出入りできるような地位なり力なりを新しく得ないといけない」
「ネックレスはその旅費ということですの?」
「いいや。授業料だ」
「授業料?」
「これから、俺が君を鍛える。まずはこの森で自活できるくらいにな。話はそれからだ」
カボの言葉は、昨日までなら扇で口元を隠してくすくす笑う類だったろう。そのとき、憎々しげに勝ち誇ったスイシァの顔が脳裏に浮かんだ。
「やります! 私、志を果たすからにはなんでも! いやがることなどありませんわ!」
「なら決まりだ。ルンを起こせ」
「はい」
チェザンヌが左の小指で妖精の背中をそっとなでた。
「うーん……カップケーキお代わり~」
「起きて下さい、ルン様」
「ふわあ~ぁ。朝ご飯?」
「違う。立会人になってもらう」
カボが、至って真面目に告げた。
「立会人?」
「俺達の約束をこの場で見聞きし、『たしかに見聞きした』と宣言するだけだ」
「面倒くさいし眠いよ」
「カップケーキをやるぞ」
「本当!?」
あっさりとカボに釣られたルンであった。
「本当だ。その代わり、ちゃんと約束を果たせよ」
「うんっ!」
「では、ネックレスを外して俺と自分のまん中くらいに置け」
「はい」
指示に応じるチェザンヌの手つきに迷いはない。
「次に、ネックレスの上に右手をかぶせろ」
「はい」
それを実行すると、カボが自分の右手を重ねてきた。
「あ……」
正直なところ、こうした形で他人の男性に触られたことはない。
「なに赤くなってる。これから俺が口にした台詞をそのまま続けろ」
「は、はい」
「私、チェザンヌ・ブルギータは錬金術師カボの弟子となり、師匠の命令にすべて応じ、かたときも欠かさず学び精進します」
一言ずつ区切って口にされた誓いはむろん、魔法や呪いではない。
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