第5話 錬金術師の家 一
室内は、食事も睡眠も仕事も全て一部屋でまかなっているのが一目で理解できた。ほどほどに整頓され、それなりに清潔ではある一方で金のかかった調度品はない。かといって貧相でもない。必要な品を必要な場所に配置したことからくる洗練さが、初見でも伝わってきた。
「適当に、空いている椅子に座ってくれ」
「はい」
目の前の四角く大きなテーブルには、三脚の椅子がある。いずれも手造りで、丁寧にヤスリがけをしたうえでニスを塗ってあった。席次がきまっているのでもなし、手近な椅子を引いて腰を降ろす。ルンはチェザンヌの左肩に腰を降ろした。重くはないが図々しい。
「あのう、私の肩は椅子ではございません」
「いいのいいの、減るもんじゃなし。妖精が憑くと運が上むくよ」
さっきは……チェザンヌにも責任があるとはいえ……見捨てようとしたくせに、少しも悪びれた様子がない。
「だからと申しまして……」
「お待たせ」
いつの間にか、盆を両手で持つカボがテーブル越しの真向かいにいた。盆にはガラスのコップが二つと小指くらいの四角い計量スプーンが一つ、それに大きめのポットが一つ。
カボは盆をテーブルに置き、コップに茶をついでからチェザンヌの前にだした。ルンには計量スプーンがコップ代わりとなる。最後に自分の飲むコップを満たしてから席についた。
「さ、どうぞ」
「ありがとうございます」
「頂きまーす」
ルンはチェザンヌの肩から降り、テーブルの上に座ってスプーンを手にした。
茶は様々な薬草を煮だしてあり、甘くも辛くも苦くもあった。そのせいか、みるみる内に手足の傷が塞がり疲労がぬけていく。
「とても美味ですわ」
チェザンヌは、素直に感想を述べた。
「それは嬉しいな。食事まではすぐには作れない。まずはお茶で時間をつないでくれ」
「お菓子は?」
「無作法ですよ、ルン様」
「あいにくと持ち合わせがない」
チェザンヌがたしなめるのに合わせ、カボは気分を害した風でもなく事実を述べた。
「それより、いきさつを教えてくれ」
「はい」
チェザンヌがかいつまんで説明するあいだ、カボは自分の茶にほとんど手をつけないまま黙って彼女の言葉を頭に入れていた。チェザンヌとしても、あれほど酷い仕打ちを受けた割には思ったよりすらすらと伝えることができた。茶が頭をすっきりさせたこともあろうが、カボが真剣に自分の事情を知ろうとする意識を示しているのも大きい。
宮殿での会話は……特にチェザンヌのような令嬢にとっては……社交が一番大きな目的だった。実務は各自の召使いがする。つまり、にこにこしながら相手に調子を合わせ、おおっぴらに自分の立場を不利にするようなことは絶対しない。そのくせ、貴族によっては『専門家』を雇って相手の弱味を握るのに腐心した。むろん、チェザンヌはそこまでやったことはない。
そうした日常からすると、一文の得にもならない……むしろ立場が危うくなりかねないにもかかわらず熱心に親身になるカボの姿はありがたくもあり不安でもあった。
「ふむ。よくわかった。君としてはこれからどうしたいんだ?」
「それは……」
なかなかに答えにくい質問ではあった。こんなときは時間が欲しい。しかし、時間をかけて手にした決断が正しいかというとはっきりしない。
「まあ、君にばかり喋らせてもなんだから俺のことも話そう」
困った表情になってうつむくチェザンヌに、カボは先ほどの質問とはまた違った角度の材料をもたらした。
「はい、お願い致します」
「俺も君と同じ追放者だ。いや、厳密には王都バンドンからの被追放者か」
わざわざつけ加えたカボの目鼻には、なにかを悟ったような苦笑が浮かんでいた。
「どうして……」
「禁忌の錬金術に手をだしたからな」
かちゃんと軽い音がした。ルンが、テーブルの上で計量スプーンの柄を枕代わりにして眠り始めた。一服盛られたのではない。単に眠いから寝たのは、チェザンヌ自身の体調からもすぐに理解できた。チェザンヌ自身も、よく考えればメイドがベッドの支度ができたと告げにくる時間帯ではある。
「俺の話が退屈なのは承知しているから、いつ寝ても構わないぞ」
「そ、そんな……はしたなくございますわ……」
貴族の令嬢が、追放者とやらいう男性と一つ屋根の下で寝るのはさすがにはばかる。もっとも、野宿はさらにはばかられる。その意味でも決断せねばならない。
「それはあとで決めるとして、続けよう」
「はい」
「自慢じゃないが、俺は宮殿で研究室をあてがわれたいっぱしの錬金術師だった。主に、若々しい見映えをたもったり老化をやわらげたりする研究をしていた」
そうした類は、たしかに聞いたことがある。チェザンヌにはいずれも無用なので話半分だった。
「仕事は順調だったが、その内に俺は退屈し始めた。皮肉にも、ひたすら若返り薬の調合を続けることで俺は自分の若さを潰していた」
今のままでもカボは青年といって通じる外見だが、こうなるとわからない。そんな疑念を相手に悟られないよう、チェザンヌはテーブルの下に両手を降ろして膝のうえで組み合わせた。
「俺は、仕事の合間を縫って先人の記録を調べた。商売柄、図書室は自由に出入りできた。なにか熱意をこめて研究できるような題材があるかもしれないと考えたんだ」
淡々と打ち明けるカボの手つきに、力んだ様子はまったくなかった。
「それで俺は、よりにもよって死者の復活に手をだした」
「……」
チェザンヌの両目が大きく見開かれ、我知らず背もたれがきしんだ。
死体の蘇生は厳しく禁じられている。倫理的な問題もそうだが、他にも山ほどある。たとえば、誰も彼もが復活を目論むようになると人口が増えすぎて食糧政策が破綻する。
「最初は、小鳥や小魚で試した。それらはある程度うまくいった。死体が生前に近い様子をたもっていればいるほど確実によみがえった」
「ま、まさか……」
「ああ、いや、わざわざ俺が殺したんじゃない。事故や病気ですでに死んだものを取り寄せた」
さすがに、そこまでは道を外してないようだ。
「それから少しずつ大きな生き物で実験した。犬に猫、猿」
やっぱり道を外しつつあるようだ。
「最後に人間」
言葉をきって、カボは茶を飲んだ。場違いにも、また、意外にも優雅な手つきだった。太ってはいないが痩せすぎでもない、きれいに毛を沿った白い肌が滑らかに動いた。
「はっきり告白しよう。当時の俺は、自分の実力が増していくことに酔いしれていた。いや、うぬぼれきっていた。そして、とある貴族の令嬢が病気にかかって亡くなったという話が入ってきた。それをチャンスだと思ったのが転落だった」
今度はチェザンヌが茶を飲んだ。細部まで叩きこまれたはずの作法が頭から抜けそうになり、カップが小刻みに震えた。その傍らで、ルンがすーすー寝息をたてている。
「慎重に、かつ速やかに……俺は自分の身元がばれないように日時や場所を遺族と打ち合わせ、その上で実行した。一世一代の俺の術は、たしかに成功した」
苦い記憶が茶の残り香と混じりあってか、カボは唇を歪めた。
「どういうわけでか、それからすぐに俺は追放処分となった。問答無用だった。どこから情報が漏れたのかはわからない。ただ、本来なら即座に処刑されてもおかしくない重罪なのに追放ですんだ。社会的には死んだも同然だが」
最後の一節はチェザンヌも同じだ。他人事ではない。
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