第4話 森で得た闇と光 二
今となっては、自分を伯爵家の人間と証明できるものはこれだけだ。
「これは……」
「しっ。伏せて!」
妖精が、さっきまでとはまるで違う厳しい表情になった。
「え?」
「早く!」
妖精のただならぬ表情と口調に押され、とにかくチェザンヌは姿勢を低くした。顔だけ少しあげて辺りをうかがうと、かすかに物音がする。それは緊張して意識を集中しているからわかったのであり、そうでなければ 確実に気づかないままだったろう。
やがて、木と木の間から人間のような形をした生き物が現れた。全体的な形がそうだというだけで、頭から爪先まで様々な植物の葉で覆われている。いや、一枚一枚の葉が集まって人間の型になったようにも思える。
「緑使いだよ。植物を家畜みたいに操って 獲物を捕らえたりさばいたりするんだ」
「人間なのですか?」
「違うよ。そういう化け物なんだ。あたしの魔法で気配を消してるから、叫んだり激しく動いたりは絶対にしないでね。そのうちどっかいくから」
「はい」
緑使いとやらいう化け物は、さっきまで妖精が捕まっていた食虫植物の蔓を手にして細かく眺めている。なまじ人間めいた動きをするだけに余計に不気味だ。とはいうものの、妖精が説明した通りチェザンヌ達には全く気づいていない。
と、そこで気まぐれにも一匹の大きなクモがチェザンヌの目の前を通りがかった。
「キャアアアァァァ!」
悲鳴をあげて飛びずさるチェザンヌ。
「バカっ、魔法が解けたじゃない!」
妖精が顔をしかめる暇もあればこそ、さっきの食虫植物の蔓が伸びてくる。妖精は素早く羽ばたいて上空に逃れたものの、チェザンヌはクモを間近にしたショックもあり動きが遅れた。
「ひいいっ!」
今度はチェザンヌが蔓に縛りつけられた。それも全身を。
「た、助けて下さい!」
「ごめん、あたしも魔力がほとんど残ってないんだ」
「ええっ?」
「さっきあんたの服を直して靴をだしたときと気配を消す魔法とに使っちゃった」
どうせなら服やら靴やらは安全が確保されてからにすればよかった。
「う……ぐううっ……」
蔓が身体に強く巻きつき、チェザンヌは胸が圧迫されて息ができなくなってきた。首をしめられずにすんでいるのだけがまだしもの救いだ。
「ごめんね。でもまあ、服と靴でお礼はしたし、叫んで魔法を駄目にしたのはそっちだし」
薄情な台詞を残し、妖精は空中に浮かんだまま回れ右しかけた。
その直後、突然辺りが明るくなった。緑使いがいきなり松明のように燃え始める。チェザンヌを痛めつけていた蔓は、力を失いだらしなく垂れさがった。
声もなく緑使いはもがき苦しみ、焼かれながら地面に倒れてのたうち回った。それも少しの間だけで、青臭い煙をくゆらせながら消し炭になった。
「大丈夫か?」
しっかりした男の声が、どこからともなく届けられた。
「はい。どなたか存じませんが、ありがとうございます」
「それはよかった」
チェザンヌに応じつつ、一人の男性が現れた。平凡な背格好で、桃色の髪が柔らかく両耳を半ばほど覆っている。動きやすくて頑丈そうな、ポケットの多い灰色の上着を身につけていて、長ズボンも同じ色。鎧や剣は影も形もない。にもかかわらず、奇妙にも親近感があった。そう。誰かに似ているかと思ったら、王子のマギルスに似ている。気品のある高い頬骨と細い鼻筋、平行四辺形の眉などは特にそっくりだ。年頃は、マギルスよりは上にしてもまだ若者といっていいだろう。
「俺はこの森で錬金術を研究している。名前はカボ。よろしく」
「錬金術師……」
本で読んだ限りでは、野暮ったい薬品のしみだらけの白衣をきて酒瓶の底のような厚さの眼鏡をかけて髪の毛が薄くなっていて無精髭を伸ばした老人の印象があった。目の前の現物は全然違う。
「ブルギータ伯爵家の長女、チェザンヌでございます。以後お見知りおき下さいませ」
スカートの両端をつまみ、チェザンヌは軽くお辞儀した。あえて『ソロランツ王国所属』と明らかにしなかったのは、もはやなんの未練も抱きようがないことからきていた。
「これはこれは。貴族様とは恐れ入った……頭上の妖精は?」
「チェザンヌの命の恩人でーす! 妖精のルンでーす! 錬金術師様! あたしの魔力を高めて! そうしたらファンになってあげるよ!」
妖精の名前がわかったのはいいが、事実はむしろ逆である。二重の意味で。
「ルン様、私は……」
「まあまあ、ここでたち話をしていても仕方ない。よければ俺の小屋までこないか?」
「ありがとうございます……ただ、助けていただいたとはいえ見知らぬ殿方のお住まいには……」
再びチェザンヌの胃が鳴った。彼女は月明かりでもそれとわかるほど赤面し、両手で顔を覆った。
「どうやらわけありのようだし、このまま森をうろついてさっきみたいなのにでくわしたら今度こそ一巻の終わりだぞ」
「はい……お情けをちょうだい致します」
それよりほかに言葉はなかった。
しばらくは、カボのあとをついて歩いた。皮肉なもので、希望があると足どりが信じられないほど軽くなった。
「ついた」
カボの言葉通り、森の一部を切り開いて作った広場に小屋があった。宮殿の中庭にあるあずまやと同じくらいの大きさで、外から目にする限り少なくとも数人はゆったりくつろげそうだ。窓もあり、中は暗い。
カボは、上着のポケットの一つからカードをだしてドアにかざした。それからノブを捻った。
「どうぞ」
ドアを開けると自然に屋内の明かりが灯り、カボは戸口でドアを開けた状態にしたまま手ぶりでチェザンヌを招いた。その所作は、マギルスや躾のいい貴族の若者を思いださせた。
「ありがとうございます」
チェザンヌは好意に甘えて入室し、ルンはなにもいわずに相変わらず空中を飛びながらチェザンヌに続いた。
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