第34話 四神の力

 奥歯を噛み締める志人の顔だけを見て、クオンは戦況を悟った。

 血に濡れた震える手を持ち上げ、志人の頬に触れる。

「クオン!」

 我に返った志人が、その手を握った。

「志人様」

 主人の顔を見つめる瞳には、強い決意が込められていた。

「私の全てを、捧げます」

 言葉の意味を理解する前に、志人の唇に温かいものが触れた。

 クオンの唇だった。

 それはほんの数秒のようにも、永遠のようにも感じられた。

 呆気に取られたままの志人から離れると、クオンは辛そうに目を閉じる。

「どうか、生きて」

「クオン!」

 志人が叫ぶが、クオンは目を覚さない。

 戦闘態勢が解けたのか、犬の耳と尻尾も消えていた。

「見せつけてくれるではないか」

 その声は、思ったよりも近くから聞こえた。

 九尾は、結界の手前まで来ていた。

 俯いたままで、その表情は窺えない。

 志人はゆっくりとクオンの身体を地に下ろすと、真っ直ぐに九尾の狐を見据えた。

 力が、全身に漲っている。

(今なら、やれるかもしれない)

 準備した中で、一番強力な身体強化の呪符を胸に貼る。

 呪符は光となり、志人の全身を包み込んだ。

 痺れるような痛みに耐えながら、青龍の呪符をナイフに巻き付ける。

 四神手甲しじんてっこうが、ナイフと共に青く輝く。

 水の刀身が現れると同時に、志人は地を蹴った。

 横凪に振った刃を、九尾の手が受ける。

 血飛沫と共に、半分程の長さで刃が砕けた。

 志人は構わず九尾の右側に回り込むと、短くなった刃を何度も振るう。

 剣術の心得などない彼の斬撃は、ことごとく避けられる。

 それでも何度も踏み込みながら繰り出される攻撃に、九尾は壁際まで追い込まれた。

「青龍刀、氷牙ひょうが!」

 無数の氷の牙が、吹雪のように九尾を襲う。

 瞬く間に、九尾は氷の棺に閉じ込められた。

「やったか⁉︎」

 道真が興奮気味に叫ぶ。

 何かが軋む音が結界内に響く。

 志人は大きく後ろに飛ぶと、ナイフを落とした。右手に力が入らない。

 九尾を覆い尽くしていた氷がひび割れる。

「四神の力を二度も使うとは。恐れ入った」

 九尾が、ゆっくりと志人に迫る。

 突き出された手を、ギリギリで躱す。

 度重なるダメージに九尾の動きも鈍くなっていたが、片腕が動かない志人は避けるのが精一杯だった。

 後退を続けた彼の背が、岩肌に触れる。

「よう頑張ったな」

 満足げに微笑みを浮かべると、九尾は両手で志人の首を絞めにかかった。

 間一髪で避け、その背後に回り込む。

 左手には、一枚の呪符。

白虎爪びゃっこそう!」

 大きく振りかぶった左手を振り下ろす。

 振り返った九尾が両手で受けるが、衝撃に耐えきれずその背を岩に叩きつけられる。

 追撃を考えた志人は、左手に力が入らないのを悟って大きく距離を取った。

(立ち上がるな!)

 強く願う。

 それは、その場にいる全ての者の願い。

 その願いは、踏み躙られた。

 九尾が、ゆっくりと身を起こす。

「此度の遊戯、見事であった」

 全身に殺意を纏い、身を屈める。

「妾の全力でもって、この宴を締めよう」

 九尾が走る。

 志人は両手が動かせないまま、それを待つ。

 立つのは舞台の中心。

 その足元には一枚の呪符が落ちていた。

 九尾が肉迫する。

 両手の四神手甲が輝き出す。

「四神相応」

 志人が俯いたまま小さく呟く。

 クオンを守る玄武の結界が。

 茂が放った朱雀の炎が。

 九尾を閉じ込めた青龍の氷が。

 志人の放った白虎の力が。

 四方から志人の元に集まる。

 九尾が異変に気付き、目を見開く。

きたれ! 黄龍こうりゅう!」

 志人の叫びが、光の柱を生み出した。

 それは九尾を捉えると、龍のあぎとと化す。

 光の龍は結界内を暴れ回り、九尾の体を天井に突き刺して消えた。

 数秒の間をおいて、九尾の身体が地に落ちる。

 自分の真横で動かなくなった九尾を確認すると、志人は意識を失った。

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