第33話 実験の成果

 志人ゆきひとは、全く動けずにいた。

 九尾きゅうびの威圧感。

 熟練の陰陽師の戦い。

 全てに圧倒されていた。

「いやはや、思った以上ですねぇ」

 しげるが困ったように笑って言う。

「あれ、勝てるのか?」

 絞り出すように志人が問う。

「遠距離からの呪符は無効。接近してからの術は展開可能。反応速度はそこそこ」

 志人の問いには答えず、ぶつぶつと独り言を続ける茂。

「残るは四人か」

 九尾がゆっくりと志人の方に歩いてくる。

「志人様。参ります」

 クオンが宣言すると、九尾に向けて地を蹴った。

 繰り出される渾身の拳を、九尾は軽く受け止めた。

「半人半妖の娘とは、珍しい」

 興味深げに見つめると、その身を掴もうと手を伸ばした。

 クオンは素早く距離を取りつつ、呪符を投げつける。

 爆発は、伸ばされた手に防がれた。

 だが、その炎は目眩しにすぎない。

 一気に距離を詰めていた志人は、術で強化したナイフを振るう。

 後ろに下がった九尾の肌に、ギリギリ届かない。

 志人は更に一歩踏み込んで、左手に持っていた呪符を発動させる。

 現れた氷の刃は、至近距離から九尾の全身を襲った。

 幾つかは直撃したが、それも浅い傷しか残さない。

 九尾は志人に向けて両手を伸ばす。

 全身に鳥肌が立ち、志人に死を予告する。

 伸ばされたしなやかな指は、彼に届く前に視界から消えた。

 九尾の脇腹を、ロングコートの男が殴りつけていたからだ。

 衝撃で二メートル程、宙を舞う九尾。

 体勢を立て直す隙を与えず、ロングコートの男が九尾に迫る。

 着地前を狙った渾身の右ストレートは、九尾の細い二本の腕で防がれた。

 だが、殴られた衝撃でそのまま壁に叩きつけられる。

「っく」

 九尾の顔が苦痛に歪む。

 その顔面に向け、ロングコートの男が拳を叩きつける。

 首を捻って交わすと、手首まで壁にめり込ませた男の動きが一瞬止まった。

 その腹にそっと九尾が触れる。

 男は大きく吹き飛ばされると、茂の足元まで転がった。

 九尾は気怠そうに立ち上がるが、その目が驚きに見開かれた。

 男がすっと立ち上がり、ボロ布となったロングコートを脱ぎ捨てる。

 九尾の攻撃は、その身に響いていないようだった。

 ボディビルダーを思わせる隆々とした筋肉を、鎖帷子くさりかたびらで覆っていた。

 それ自体にも術が織り込まれているのか、九尾の攻撃を受けた箇所が赤く変色していたが、みるみる鉄の色に戻っていった。

「確かに手応えがあったが、どういった仕組みか」

 一歩踏み出す九尾に、四人が身構える。

「ガイ、装備B。パターンC」

 茂が命令を下す。

 ガイと呼ばれた巨漢は、捨てたコートのポケットから一枚の呪符を取り出した。

 力を込めると、その手に二メートルを越す長さの黒い棒が現れる。

「滋岡さん、合わせて下さい」

 茂の言葉が終わると同時に、ガイが地を蹴った。

 一拍遅れて志人とクオンが動く。

 志人には視認できない速度で放たれる連続突きを、九尾は華麗に受け流す。

 その横に回り込んだクオンが、雷撃の呪符を放つ。

 直撃を受けた九尾は僅かに反応が鈍るが、それだけでも効果はあった。

 ガイの攻撃を受ける動作に余裕がなくなる。

 志人はガイの背に隠れる位置で、呪符を地面に貼り付けた。

 ガイの攻撃を避けた九尾の足元が少し陥没し、バランスを崩す。

 その機を逃さず、ガイの棒の先端が九尾の鳩尾を捉えた。

 痛みに息を呑む九尾に、構わず連撃を叩き込むガイ。

 クオンも立て続けに呪符を放ち、九尾の四肢を凍り付かせる。

 ガイの攻撃の七割程を食らっていた九尾が、不意に右手で棒を掴んだ。

 九尾の細腕一本とガイの太い両手で握られた棒が、完全に動きを止めた。

「残りは雑魚ばかりだと思うていたが、やりおるわ!」

 叫びと共に、空気が震えた。

 クオンは素早く後ろに飛ぶが、ガイは動けないままだった。

 不快な振動波が通り過ぎると、巨体がびくんと大きく跳ねた。

 一瞬の間を置いて、ガイの全身から血が吹き出る。

 飛び退いていたクオンも、ガードした両手から血を吹いていた。

 巨躯が、ゆっくりと地に倒れる。

 その背後にいて無事だった志人は、慌ててクオンに駆け寄った。

 九尾が荒い息を整えながら、二人を睨む。

 恐怖に駆られた志人は、一枚の呪符を取り出し祝詞を唱える。

 宗明ひろあきから借り受けた籠手が、僅かに輝く。

「あれは、四神手甲しじんてっこう? なぜ⁉︎」

 戦いを見守っていた華凛かりんが驚きの声をあげる。

「俺が貸した」

 宗明が母の方を見ずに答えた。

「あれがどれだけ大切な物か、分かってるの⁉︎」

 ヒステリックに叫ぶ華凛に、宗明はゆっくり向き直る。

「だからこそだ。あれにはこの里を、国を護りたいと強く願った父の思いが残っている」

 華凛は言葉を失くして息子を睨みつけた。

 志人の術が完成する。

玄武甲げんぶこう!」

 展開された結界に、その場にいた全員が驚いた。

「まさか」

 道真とうまが目を見張る。

「四神の力とはのう」

 九尾が忌々しげに呟いた。

 結界に守られた志人は、急いで治癒の呪符をクオンに貼り付ける。

「大丈夫か?」

「ゆき……ひと、さま」

 外傷は両手だけだが余波が全身をおそったのか、クオンは身体を動かせずにいた。

 その身を抱き起こすと、焦点が合わなかった目が、かろうじて志人を捉える。

「回復の呪符を貼った。すぐに動けるようになる」

 優しく告げる志人に、クオンは寂しげな笑みを浮かべた。

「すみません。また、足手纏いに」

「そんな事はない! クオンは十分頑張った!」

 力を失ったままの身体を揺さぶりながら、志人は叫んだ。

 クオンは、微笑んだまま答えない。

「そうじゃな。お主らは頑張った」

 九尾が一歩前に出た。

「ここまで追い詰められるとは、思いもしなかったわ」

 怒りにも愉悦にも見える笑みを浮かべて、九尾が近づく。

 震えて待つしかない志人の前を、人影が遮った。

「やれやれ、こういうの僕のキャラじゃあないんですが」

 苦笑いを浮かべ、後頭部を掻く茂だ。

「まだ未完成ですが、仕方ありません」

 いつもの軽薄な笑いを浮かべて言うと、茂は呪符を手に祝詞を唱える。

 投げられた五枚の呪符は五芒星の頂点の位置で止まり、複雑な魔法陣を描き出した。

「滋岡さん。無事に帰れたら、一緒に研究しましょうね」

 その言葉を残して、茂が魔法陣に向けて駆け出す。

 光の輪を抜けたその姿は、火の鳥に変わっていた。

 九尾の目が驚きに見開かれる。

 けたたましい叫びを上げて、火の鳥は九尾にその嘴を突き立てようと突進する。

 九尾はそれを両手で受け止めるが、勢いを殺せず弾き飛ばされた。

 立ちあがろうとする九尾の眼前に火の鳥が迫る。

 轟音と共に炎と土煙が舞い、その姿を隠した。

 全員が固唾を飲んで見守る中、立ち上がった人影は一つ。

 ゆっくりと歩みでるそれは、九尾のものだった。

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