第32話 九尾の狐

 土煙の奥に、人影が浮かび上がった。

 それはゆっくりと志人ゆきひと達に向かってきているようだ。

「随分と乱暴な起こし方をする」

 響くのは女性の声。

此度こたびはどれほどの猛者が集ったか」

 嘲りを滲ませる声。

 松明に照らされたのは、鳥肌が立つ程の妖艶な女性だった。

 長い金髪に切長の目。

 巫女服を纏った細身の身体。

 背後には九本の太い尻尾が揺れていた。

 志人の全身が震える。

 以前対峙した上級の妖などとは比べるまでもない威圧感。

 具現化した恐怖がそこに存在していた。

「ほう。中々に面白い」

 九尾きゅうびは全員を見渡すと、清春きよはるに向けてゆっくりと足を進める。

 全員が身構えたまま、動けなかった。

「憎き安倍の匂いがするのう」

 清春は九尾の視線を振り解くかのように大きく吠えた。

 稔が素早く動き、呪符を投げつける。

 それは九尾の狐に届く前に燃え尽きた。

 清春も立て続けに二枚の呪符を投げる。

 どちらも九尾の纏う結界に触れて燃え尽きた。

 背後に回り込んだ裕二が、深く踏み込んで居合斬りを放つ。

 九尾は舞うように身を捻ると、その細い指を稔に向けて鳴らした。

 ぱちんっという軽い音が響いた直後、彼が立っていた場所が爆発した。

 素早く身を躱すが、強烈な爆風に吹き飛ばされて裕二は岩肌に全身を叩きつけられた。

 その姿を見届けた九尾が振り返る。

 眼前には清春の髭面があった。

 繰り出した剛腕が九尾の頬を掠める。

 その背後には、両手に二本の短刀を手にした稔が迫っていた。

 二刀の連撃を優雅にも見える動作で躱す九尾に、清春の呪符が迫る。

 それは九尾の眼前で弾け、雷撃がその身を襲った。

 しかし九尾は僅かに眉を寄せただけだ。

 清春に向けて、ふっと吐息を投げる。

 寒気を感じた彼はすぐさま身を躱すが、距離を取った時にはその左腕は凍りついていた。

 稔が続けて刃を振るう。

 九尾は両手の指でそれを受け止めた。

 動きが止まった稔は、短刀を捨てて大きく後ろに飛ぶ。

 奪った短刀を稔に投げつける九尾。

 着地のタイミングを狙われたが、彼は器用にその二刀を籠手で弾いた。

 防御体制を解いた稔の目の前には、微笑みを浮かべた金髪の美女。

 気がついたときには、彼の腹を九尾の手が貫いていた。

 苦悶の表情で九尾を見下ろす稔は、彼女の背後に立つ人影を捉えていた。

 最後の力で印を組み、九尾の注意を引く。

「秘剣、雷神」

 小さく、しかし力強い声と共に裕二が刀を振り下ろす。

 九尾は振り返って左手で受け止めた。

 雷光が、手と刀の間で炸裂する。

「秘術、金剛!」

 清春が九尾の前に展開した五芒星に拳を叩き込む。

 後ろに飛んで直撃を免れるが、衝撃波だけで激しくその背を壁に叩きつけられる九尾。

 戦場に、僅かな沈黙が訪れた。

「仲間諸共とは、容赦ないのう」

 九尾はゆっくりと岩肌から身を剥がすと、優雅に地面に降り立った。

 稔の体に刺さったままの右手を引き抜くと、その血をぺろっと舐めた。

「思うように動けぬのは、これのせいかね」

 足元の魔法陣を睨みつける。

 そこに音もなく駆け寄る裕二。

神楽舞かぐらまい

 小さく力ある言葉と共に、無数の斬撃が九尾を襲う。

 彼女は表情一つ変えずに、両手でそれを受け止め続けている。

 裕二の背後では、清春が素早く印を結んでいた。

 初めて九尾の顔が嫌悪の色を宿す。

「秘術、大蛇おろち!」

 斬撃を縫って、蛇の顎が九尾に向かう。

 それは、片手で抑えるには強力すぎた。

 受けきれずに肘が曲がる。

「秘剣、雷神」

 その隙を突いて、裕二が刀を振り下ろす。

 刃から放たれた雷撃が九尾を捉えた。

 硬直したその身体に、大蛇が噛み付いく。その傷口から黒い梵字が広がる。

「がぁっ!」

 九尾が苦悶の叫びを上げた。

 怒りに任せた手刀で大蛇の首を切り落とす。

 傷口に手を当てて祝詞を唱えると、梵字はゆっくりと消えていった。

「奥義、破魔」

 休む間を与えず、裕二が刀を突き出す。

 その刃は九尾の腹を突き抜け、岩壁に突き刺さった。

 勝利を確信した裕二の顔を、九尾の細い手が掴む。

 卵を割るようにあっさりと、彼の頭は潰されてしまった。

 力を失った身体が地面に倒れる。

 九尾は刀を折って平然と立ち上がる。

 傷口は、すぐに塞がってしまっていた。

「化け物め」

 清春が歯軋りする。

「此度の勇士は、こんなものか」

 つまらなそうに言って、九尾は虚空に円を描く。

 祝詞と共に描かれていく五芒星を見て、清春は慌てて呪符を取り出し印を組む。

 九尾が展開した魔法陣に五芒星が完成し、複数の梵字が刻まれる。

 清春は防御結界を張り終え、気を込めた。

 五芒星から光が走る。

 眩しさに目を閉じる志人。

 結界に着弾し、轟音が洞窟全体を揺らした。

 光と音が止み、恐る恐る目を開ける。

 そこに、清春の姿はなかった。

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