第28話 安倍家
この集落唯一のコンクリート造りである役場の会議室に、志人が顔合わせした時と同じメンバーが揃っている。
ホワイトボードにプロジェクター、長机にパイプ椅子という質素な会議室だった。
志人は
「今日集まってもらったのは、活発化する
プロジェクターが起動し、棒グラフが写し出される。
「年々妖の出現頻度は増え続け、危険を伴う依頼も増加傾向だ。その原因について調査を行った」
宗明はそこまで言って母に視線を送り、自分は席に着く。
華凛がパソコンを操作すると、別のグラフが表示される。
そこに現れた文字を見て、志人以外の全員が息を呑んだ。
「
事務的な口調で説明する華凛に、宗明を含めた全員が言葉を失う。
志人はここにきて事の重大さを理解した。
殺生石については授業で教わっている。
当時の陰陽師が集まって封印を解き、九尾の狐の討伐を試みたが惨敗に終わった。
負傷した九尾の狐は自ら結界を張って、消耗した力を回復させる為に閉じ籠った。
陰陽師達はこの結界を維持させないように度々戦いを挑んだが、
現在でも回復を遅らせるよう試みているが、成果は芳しくないようだ。
「このまま放っておけば各地での被害が広がる恐れもあり、九尾の狐が再臨する事も懸念されます」
華凛は淡々と言って、マウスを動かす。
次に表示されたのは人名リストだった。
表題は九尾の狐討伐メンバー。
その中には志人とクオンの名前があった。
「ちょっと待てよ!」
道真が叫んで立ち上がる。
「討伐メンバーはこの七人。皆、規律違反を犯した者達です」
華凛の言葉に、全員の視線が志人に向けられる。
「
華凛が事務的に告げて画面を切り替える。
志人が研究のために書きなぐったノートが写し出された。
「志人、あんた」
幸子が声を震わせて問う。
志人は黙って頷くと、
「事実です」
きっぱりと肯定した。
「でも、それで成果を上げているのも事実でしょう。
美陽が真剣な口調で進言した。
「
幸子がすかさず加勢する。
「彼の能力は認めます。ですが規則は守られなければなりません。呪符の改良をしたいのであれば、まず規則の改編から提言するべきでした」
華凛は引かなかった。
「あんたねぇ!」
机を叩いて幸子が立ち上がる。
「いい加減にしなさいよ!
激昂する幸子に、華凛は冷めた視線を送る。
「私情で決めたわけではないの。それに、彼を罰する為の作戦ではなく、九尾を討つための作戦です」
華凛はモニターに視線を戻し、動画ファイルを再生する。
写し出されたのは、一見するとゲーム画面のようだった。
七人のパラメーターと九尾の狐の体力バーが表示されている。
戦闘のシミュレーションのようだ。
「この七人は罪人であるものの、実力はトップクラス。多少の犠牲はあっても九尾を討てる者達を集めました」
雑なマネキンの様な人型がいくつか倒れるものの、最後には九尾の狐が倒れていた。
「そのシミュレーションが信頼に足るものだという確証はありますか?」
美陽の声は、いつになく低かった。
「日本をはじめ、先進国の妖討伐機関に依頼したものです」
次の動画が始まる。名前の表記がアルファベットになっていた。
「全ての国のスーパーコンピューターを駆使して出された勝率は、八十七パーセントでした」
犠牲になる人数は異なるが、九尾の狐の体力バーはゼロになった。続いて別の国のシミュレーションが始まる。
美陽が振りかえって後ろに座る幸子と言葉を交わす。志人には聞こえないが、二人の顔には焦りが見えた。
「その元となるデータの信憑性は?」
志人が華凛に問う。
「過去の依頼内容と実績から算出しています。九尾の力は毎日モニタリングしているので、それを利用しています」
あらかじめ質問内容を予想していたのか、華凛の言葉は淡々としていた。
誰も言葉を発しないまま、次の動画が流れ始める。
「俺も参加させろ」
道真が落ち着いた声で言った。
幸子が驚いた顔で隣の息子を見る。
覚悟を決めた男の顔だった。
「戦いの場は、九尾の力を弱める結界内で行われます。これ以上の人数では戦闘効率が落ち、結果は悪くなります。それにこの戦いの後も妖が壊滅するわけではありません。優秀な人材を無駄に失うわけにはいきません」
これも想定していたのか、華凛の答えは流暢だった。
「規律違反という事ですが、クオンは呪符の改良には加担していません」
志人の言葉を受けて、華凛はクオンを睨みつけた。
クオンが耐えきれずに下を向く。
「改造呪符が使われている事を報告しなかった事と、依頼の虚偽報告が違反となります」
志人が改造呪符を使った時の報告は、妖の能力を過小報告していた。事後調査でそれが明るみになっていた。
「罪状自体は大きなものではないので、本人が申し出ればメンバーの変更も検討する価値はあります。しかし再編成とシミュレーションのやり直しを考えると、あまり得策ではありません」
志人は華凛の答えを聞き、クオンだけでも助かる道はないかと考える。
「私は志人様と共に戦います」
クオンが宣言した。
「ではこのまま作戦を進めます」
志人が口を開く間も与えず、華凛が話を進めた。
「戦うための結界の設置等の関係で、作戦決行は
華凛はそう言うと宗明に視線を送る。
厳しい顔をしていた彼は立ち上がり、会議の終了を宣言する。
黙って聞いていた美雲は大きな音を立てて立ち上がると、華凛を睨みつけて退出した。
その後を美月が静かについていく。
美陽は宗明と幸子に視線を送ったが、硬い表情で俯く二人を見て辛そうに目を瞑った。
道真が乱暴に机を蹴り倒して出ていく。
幸子はそれを窘める事もなく、美陽の肩に優しく手を乗せた。
二人は志人とクオンに申し訳なさそうにして会議室を後にする。
志人は眉間を押さえて考え込んでいたが、ゆっくりと目を開けて華凛を見据えた。
「七人の詳細データと九尾の観察データ、それとシミュレーション結果のデータをもらえますか?」
「日程表も含めて後で送ります」
最後まで華凛の対応は事務的だった。
志人はそれに頷くと、クオンを連れて席を立つ。
足音が遠ざかっていくのを聞いて、華凛は立ち上がった。
ブラインドを開けて、役所から出た志人達の背中を見送る。
「事前に相談がなかったのはなぜだ?」
母親の背中に、宗明が問いかける。
「あなたと美陽さんが連絡を取り合っているのは知っています。美陽さんが滋岡と繋がっていることも。事前に知らせれば逃亡される事も考えられたわ」
息子の方を見る事もなく、華凛が呟くように答えた。
「私情がないと言っていたのは信じていいんだろうな?」
宗明の苛立ちを感じ取り、華凛は黙った。
「全くない、と言えば嘘になるわね。あなたは悔しくないの? あの半端者がいなければ、あの人は死なずにすんだ。それなのに一人生き残っているなんて」
「母さん」
顔を伏せた華凛に、宗明はゆっくりと歩み寄る。
「陰陽師である以上、死と隣り合わせなのは分かっているはずだ。父も、最後までクオンを責めていなかった。むしろ心配してたじゃないか。俺はそれを誇りに思っている」
宗明の父である政明は、一命を取り留めていた。里の近くの病院で医療と呪符による治療を受けていたが、日々衰弱していった。
「里の子は、みんな俺の子みたいなもんだ。家族を亡くしたクオンの事、気にかけてやってくれ」
入院中、華凛と宗明に託された願い。
自分が助からない事を察知していたのだろう。宗明は悲しかったが、その想いを引き継ぐ事を固く誓っていた。
今思えば、華凛はそれに返事をしていなかったように記憶している。
「あの人の覚悟も、分かってる。それでも、この憎しみを消すことはできなかった」
華凛は、ずっと仕舞い込んでいたものを吐き出した。
宗明は、かける言葉を持たなかった。
息子として同情する気持ちと、父との誓いを果たさない事への苛立ち。二つが混じり合い、俯く事しかできなかった。
「九尾の事は渡りに船だった。でもデータは本物。私情は関係なく、この作戦は実行しないといけない」
母の言葉に疑いが消えたわけではなかったが、宗明はそれ以上言及する事をやめた。
昨今の妖の活性化には手を打たなければならない。他に方法がないか、作戦の成功率を上げる事はできないか。考える事はいくらでもあった。
「俺は、父さんとの約束を果たす」
それだけ言って、宗明は会議室を出ていった。
華凛は一人、静かになった会議室で窓の外を眺めていた。
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