第23話 美雲のきもち

 美雲みくもの組んだスケジュールの八割程を消化した所で時間切れとなった。

 入場ゲートの前まで来て、美雲は名残惜しそうに振り返る。

 両手に土産物を抱えた志人ゆきひとも、振り返ってその背中を見つめる。

「さ、帰ろうか」

 しばらくしてから、美雲がそう言って振り返った。彼女の悔いのない笑みを見て、志人も満足そうに頷く。

 帰る人達の波に揉まれながら、二人は言葉を交わす事なく駐車場へと向かう。

 朝も無言の二人だったが、来た時とは雰囲気が全く違っていた。

「ごめん、車で待ってて」

 振り返ってそう言う美雲の声は、まだ明るいままだった。

 志人はトイレに向かう美雲についていくか少し迷ったが、車がさほど遠くないのでお土産の束を載せにいく事にした。

 荷物を下ろすと、志人も念の為トイレに向かう。

 祭りの後のような穏やかな騒めきが、一瞬だけ止まった。

 志人の方に歩いていた人達が、トイレの方を振り返っている。

 嫌な予感がした彼は、早足になった。

 

 トイレから出た所で、美雲は不機嫌そうに眉を寄せた。

 気分を害されたくないので、見なかった事にして足早に立ち去ろうとしたが向こうも気が付いたようだ。

「昼間のガキじゃねぇか」

 昼食後にトラブルを起こしていた男が、忌々しげに美雲を睨みつけている。

「相手してる気分じゃないの」

 低い声でそう言うと、美雲は彼の横をすり抜けた。

「待てよ!」

 追ってくる男に振り返る。

 美雲の発する威圧感に気が付いたのか、距離を少し空けた所で男は立ち止まった。

「てめぇのせいで無駄に時間食っちまった」

「は? 時間無駄にしたのはこっちなんだけど」

 苛立ちを隠さずに美雲が返す。

 彼女の刺すような視線は、見慣れた背中に遮られた。

「何だよ、てめぇは。エンコー相手か?」

 下品な笑みに、志人は苛立った。

「ちょっと」

 背後で美雲が抗議の声を上げるが、志人は取り合わない。

「俺の事はいいけど、この子を侮辱したのは許せない」

 以前なら絶対に関わりたくない相手だったが、クオンとの特訓で技術と度胸をつけた志人は怯まなかった。

 志人の言葉に、男は笑うと不意に距離を詰めてきた。

 半身になって構える志人。

 男の拳に対応しようとしたところで、腰に衝撃を受けて仰け反った。

 姿勢を崩した彼の顔面を、男の拳が捉える。

 バランスを崩していた志人は、その一撃で倒れてしまった。

 すぐ横で男の連れていた女が志人を見下ろしている。

(さっきの背後からの一撃は、こいつか)

 それに気が付いた時には、彼女の靴裏が志人の顔面に迫っていた。

 寸前で交わして身を起こす。

 その隙をついて男の蹴りが志人の腹に刺さった。

 再び倒れる志人に、男が迫る。

 そこに小さな影が入り込んだ。

 一瞬で男の姿が視界から消える。

 彼の悲鳴は、少し遠くから聞こえた。

 立ち上がった志人は二メートル程先で倒れる男と、そこに向かう美雲の背中を見た。

 美雲は素早く男の背に跨ると、右手を捻り上げる。

 男の悲鳴が駐車場に響き渡った。

「今日のあなたの行い、腕一本じゃ足りないかな」

 そう言って掴んだ腕を折りにいく。

 骨の軋む感覚に、男は更に悲鳴を上げた。

「そこまでにしとけ」

 志人の声に美雲は顔を上げたが、力は緩めない。

 そのまま志人の顔を見ていた美雲は、不意に手を離した。

 半泣きになって手を抱えながら、男が身を起こす。

 その鼻面を、美雲のつま先が襲った。

 鼻血を撒き散らしながら倒れる男に、美雲は冷徹な視線を送る。

「これは私の気分を害した分」

 それだけ言って美雲は志人の元に向かうと、その手を取って車に急いだ。

 静観していた人達が騒ぎ出す中、志人はすぐに車を出した。

 

「私があんなのに負けると思った?」

 高速道路に乗ってしばらくしてから、美雲が不機嫌そうに言った。

「冷静に考えれば、手を出す必要はなかったけどさ」

 志人は前を向いたまま、申し訳なさそうに呟く。

「あの時は美雲を守る事しか考えてなかった」

 その答えに不機嫌そうに鼻を鳴らす美雲。

 視線を外に向けた彼女の顔が少し赤くなっていたが、運転に集中している志人は気が付かない。

 沈黙が鬱陶しくなった美雲は、カーステレオに手を伸ばす。

 再生されたディスクは、美雲が好きな映画のサウンドトラックだった。

 出来過ぎたチョイスに、美雲は眉を寄せる。

「薄々気づいてたけど、今日の事って美陽に言われたから?」

 痛い所を突かれて、志人は言葉に詰まる。

 その態度だけで、美雲は確信した。

 機嫌が悪くなる彼女に、志人は困ったように笑いながら真意を伝える。

「確かにきっかけは美陽さんだけど、美雲と仲良くなりたかったのは俺の本心だよ」

 疑いの視線を向ける美雲に、志人は言葉を続ける。

「六大家の面倒な風習は聞いた。それを利用しようとも思ってないし、圧力かけてくるのはどうせ安倍家の人だろう? 聞いてやる義理もないね」

 美雲は真偽を確かめるように志人の顔を見ていたが、口の端にできた青痣を目にして視線を戻した。

「安倍家に逆らったら、村にいられないかもしれない」

 それは志人に言ったのか、美雲自身を縛る鎖に対して言ったのか。

「別にいいんじゃない?」

 志人の軽い答えに、美雲は思考が追いつかない。

「追い出されたら普通に働けばいいさ」

「そうもいかないでしょ。あやかしを放っておいたら大変な事になるし」

 自分の人生を否定されたようで、美雲は不愉快そうに声を上げた。

「それを考えた上で追放って結論なら、残った人達で対応できるって事にならないか?」

「そんなっ……、そうなのかな」

 美雲はそこまで考えた事もなかった。魅力的な意見に納得したくなる気持ちと、陰陽師を目指して努力してきた自負がせめぎ合う。

「幸子さんから聞いた感じだと、陰陽師は人手不足だ。簡単に切られはしないと思う。結婚する二人が拒否しているのをゴリ押しできるような状況にないんじゃないかな」

 その言葉に、美雲は黙り込んでしまった。

 志人は何か言葉をかけようかと思ったが、真剣に考え込む横顔を見てやめた。

 カーステレオからは、志人にも聞き馴染みのある雪の女王の歌声が流れていた。

 

 玄関の引き戸が勢い良く開かれた音を聞いて、美陽は妹の帰りに気が付いた。

 不機嫌そうな足音が近づいて、居間の襖が音を立てて開かれる。

美陽みはる、余計な事しないで」

 美陽はイタズラがバレた子供のように笑いながら妹を迎える。

「でも、楽しかったんでしょ?」

 両手に抱えたお土産の束を見ながら言われると、美雲も返す言葉がない。

 黙ってその内の一つを差し出すと、美陽は嬉しそうに受け取った。

 隣でそのやり取りを見ていた美月みつきにも、一つの袋が差し出される。

「ありがと」

 僅かに微笑んで礼を言う姉に黙って頷くと、美雲は乱暴に襖を閉めて自分の部屋に戻って行った。

 美陽と美月は顔を見合わせると、嬉しそうに微笑んでそれぞれの袋に手を入れた。

 

 美雲は自分の部屋に戻ると、お土産を机の上に置いてすぐに布団に寝転がった。

 楽しい事だけ反芻しようと、スマホで写真を見始める。

(なんか、ぎこちないな)

 朝一番に撮った自分の笑顔を見て、苦笑いを浮かべる。

 そこから時間が経つごとに、自然に笑えるようになっているのが客観的に分かった。

 夕方に撮った一枚で手が止まる。

 メインキャラクターの着ぐるみと一緒に、美雲と志人が写ったものだ。

(こいつもぎこちない)

 志人の笑顔は、あまり見られたものではなかった。そこに少し違和感を覚える。

 今日一日、美雲に向けられていたのは自然な笑顔だった。

 テーマパークを楽しんでいた自分と、自分といる事を楽しんでいた志人。美雲は、その違いに思い至った。

『美雲と仲良くなりたかったのは俺の本心だよ』

 帰りの車で言われた言葉が、彼の本音だった事が分かる。

 美雲は自然に微笑むと、画面をスライドさせる。

 園内の写真が何枚か続き、ナイトパレードのものになった。

 逆光であまり綺麗には撮れていなかったが、今日一番の笑顔なのは一目で分かる。

 写真を撮り終えた後の志人の顔がやけに嬉しそうだったのを思い出し、美雲はくすりと笑った。

 アプリを起動し、志人に今日のお礼と共に数枚の写真を送る。

 返事はすぐに返ってきた。

 

 楽しんでもらえてよかった。

 またどこか遊びにいこうか。

 

 気が向いたらね、と返して美雲はスマートフォンを置く。

 狭い天井を見つめながら、車の中で言われた言葉を思い出す。

(自由に、なれるのかな)

 閉鎖的な村で育った美雲には、どうしても理解が追いつかなかった。

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