第15話 美陽
翌日の放課後。
今日もみっちり三時間走り続けた志人は、クオンに持たされた疲労回復の呪符を貼るとスーツに着替えて校舎を出た。
足に力が入らないが体育の授業がなかった分、昨日よりはマシだった。
よたよたと歩く志人の前に、一つの人影があった。
スマホをいじっていた女性は、志人に気がつくと小さく手を振った。
「
「こんばんは」
美陽は愛嬌たっぷりの笑顔で志人を迎える。
「ちょっと話したい事があって。いいかな?」
志人が頷くと、彼女は志人の隣に並んで歩き始めた。
「酷い目にあってるみたいだね」
足を引き摺りながら歩く志人に、美陽は苦笑いを向ける。
志人も疲れた笑みを向ける事で返した。
「この前美月に傘貸してくれたんだって? ありがとね。あの子、ちゃんとお礼した?」
「ええ。翌日の昼休みに」
「よかった。美月はコミュ障だから心配してたんだ」
そう言って志人に笑顔を向ける。
(三姉妹でもここまで印象が変わるものか)
志人はその笑顔に見惚れながら思う。
美月も美雲も、彼に笑顔を見せた事はない。
同じクラスになった美雲は、友達と話している時は普通に笑っている。美月とは違い、志人が個人的に嫌われているようだった。
「一つ、聞いていもいいですか?」
志人の言葉に、美陽は小首を傾げて質問を待つ。
「美雲さんに嫌われている感じがするんですが、何かマズい事したんでしょうか?」
その問いに、美陽は小さく吹き出す。
今度は志人が首を傾げて彼女を見た。
「ごめんね。美雲に『さん付け』って違和感あったから」
ふふっと笑うと、美陽は前を向いて少しだけ黙った。
「色々と難しい年頃なのよ。別に志人さんが悪い訳じゃないから、気にしないで」
「隣の席に敵意剥き出しの子がいると、どうしても気になりますよ」
「まぁ、そうだろうけど」
美陽は困ったように笑う。
(事情は知ってるけど、アドバイスはないってとこかな)
志人はモヤモヤを残しながらも、追求は諦める事にした。
「それよりさ」
志人の内心を知る由もない美陽は、少し慌て気味に話題を逸らす。
「今度の日曜って予定あるかな?」
少し驚いて美陽の顔を見る志人。
月明かりに照らされた微笑みに、一瞬答えを忘れる。
「陰陽道の勉強してようかと思ってました」
「真面目だなぁ」
美陽はつまらなそうに唇を尖らせる。
「空いた時間を勉強に当ててるだけなので、時間はありますよ?」
志人の言葉に、美陽は再び笑顔になった。
「じゃあ、良ければ買い物付き合ってもらえませんか?」
少し顔を近付けながら、美陽が問いかける。
志人は顔が火照るのを感じて、少し視線を逸らした。
隣でクスッと笑うのが聞こえる。
思えば里に来てから二ヶ月程が経つが、一度も外に出る事はなかった。
早く中等部を抜けたいという気持ちはあったが、久しぶりに街に出たい気持ちもあった。
「いいですよ」
「やった」
喜ぶ美陽の笑顔を見て、志人も自然と笑みを浮かべていた。
「それじゃ、九時頃に迎えに来てね」
ウインクして見せると、美陽は手を振って家路についた。
手を振り返した志人の手が止まる。
「これってデートになるのか?」
小さく呟く彼の脳裏に、なぜかクオンの顔が浮かんでいた。
(別に付き合ってるわけじゃなし、気にする事ないよな)
少しバツが悪い感じがしながらも、志人は滋岡家に入っていった。
風呂で疲れを癒し、クオンが用意してくれた肉じゃがを食べる。
美陽との約束の話をしようかと考えながら、目の前の少女を見つめる。
クオンは箸で小さくしたじゃがいもを口に運びながら、志人を見つめ返した。
そのまま箸を置き、主人の言葉を待つ。
「あ、食べながらでいいんだけどさ」
中断させてしまった事を申し訳なく思い、彼女に食事を促す。
しかしクオンは膝に手を置いたまま、じっと彼の言葉を待っている。
(思えば不思議な関係だよな)
一般家庭で育った志人にとって、主従関係というのは慣れないものだった。
歳は少し離れているものの、成人女性と二人で暮らしているという事実に、今更ながら戸惑いを感じていた。
「お口に合いませんでしたか?」
言い出し辛そうにしている志人に、クオンが問いかける。
「あ、いや全然。いつも通り美味いよ」
無表情の下に安堵の色を感じ取り、志人は少し微笑んだ。
言葉を待つクオンの視線に耐えかねて、志人は美陽の事を切り出す事にした。
「さっき、美陽さんと会ってね。日曜日に一緒に買い物に行く事になった」
数秒の間。
クオンは無表情のまま志人を見つめていたが、視線を落として箸を手にした。
「わかりました」
短く答えて食事を再開する。
志人はその仮面の下の表情を見抜こうとしてみたが、クオンの心情を察する事はできなかった。
「何か必要な物があれば買ってくるよ」
「大丈夫です」
その答え方はいつも通りだが、志人は少し心が痛むのを感じていた。
食後、昨日に引き続き体術の訓練をする事にした二人は、庭に出て向き合う。
クオンの静かな構えは昨日と同じだったが、その身に纏う闘気が濃いように感じたのは、志人の気のせいだったのだろうか。
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