第10話 クオン
酔いが回って熱った
月は西の山に沈もうとしてたが、電柱に設置された街路灯のおかげで視界は悪くなかった。
「クオンもちゃんと楽しめたか?」
「はい」
斜め後ろを歩く彼女が、小さく答えた。
慣れない宴席のせいか少し疲れているようにも見える。
二人はいつもより少し緩やかな歩調で家路についていた。
「志人様」
ずっと黙っていたクオンが口を開いたのは、家が小さく見えてきた頃だった。
いつもよりか細い声に、志人が振り向く。
立ち止まり俯くクオン。
志人は彼女の前に立つと、続く言葉を待った。
冷たい風が、彼女の長い銀髪を揺らす。
「私は、謝らなければなりません」
意を決したように、クオンが口を開いた。
彼女の前に立ち、志人は不思議そうにその姿を見つめた。
「
突然の告白に、志人は言葉に詰まる。
「秋人様が御健在であれば、志人様がここに来ることはありませんでした。申し訳ありません」
そう言って深々と頭を下げる。
「とりあえず顔をあげて」
いつもと違う様子に動揺が隠せない志人。
主人の言葉に、彼女は戸惑いがちに顔を上げる。
その赤い瞳には、うっすらと涙が溜められていた。
更に動揺する志人は、必死に言葉を探す。
「陰陽師が危険な仕事なのはわかったけど、嫌ならここまで頑張らなかったし。何よりクオンが助けてくれなかったら、あの時死んでるし」
早口で捲し立てるが、クオンの表情は変わらない。
「俺は大丈夫だから」
その言葉に、クオンは再び顔を伏せる。
「ありがとう、ございます」
彼女は絞り出すような声で、主人の優しさに感謝を伝えた。
屋敷に戻り浴衣に着替えると、居間のちゃぶ台の前に腰を下ろす。
電気ケトルから急須に湯を注ぐ姿は、いつものクオンに戻っていた。
ちゃぶ台に湯呑みを二つ置くと、彼女は深々と頭を下げた。
「先程は取り乱してしまい、申し訳ありません」
「いや、大丈夫だから顔上げて」
言われてクオンは志人に向き直る。
その赤い瞳からは、涙の跡は消えていた。
「十年前の事になります」
俯きそうになるのを堪えながら、彼女は口を開いた。
「秋人様と、その使い魔だった私の母は妖退治の依頼を受けました」
「ちょっと待って」
初出しの情報に、志人が口を挟む。
「クオンのお母さんって、人間じゃなかったの?」
「はい。犬の
淡々と事実を告げられる。
混乱した状況で最初に会ったのがクオンだったのでその姿の異様さを受け入れてしまっていたが、他の村人達は皆、普通の日本人だ。
銀髪に赤い瞳は普通とは明らかに違っている事を、ここで初めて認識した。
「父が誰なのかは告げられていませんが、私が半人半妖なので里の誰かが父親なのだと思います」
クオンの言葉に、
「話を戻します。秋人様と母が受けた依頼は、危険度の低いものでした。当時の私は早く一人前に認めてもらいたくて、同行を申し出たのです」
後悔の念が、彼女を俯かせる。
「母は反対しましたが、見学という名目で秋人様の許可を得られました。渓谷に潜む小鬼退治でした」
視線を落としたまま、身を固くして続ける。
「私は小鬼を切り捨てながら進む二人の後をついていきましたが、狭い崖で挟撃を受けたのです」
当時の恐怖を思い出したせいか、僅かに身を震わせていた。
「背後の小鬼には対応し切り捨てることができたのですが、崖の上からの落石には対処できませんでした。私を庇った母は足を負傷しました」
言葉を詰まらせるクオンに、志人はかける言葉を知らなかった。
重苦しい沈黙が二人を包んだ。
「それでも小鬼退治なら問題ないと判断した秋人様は、母を私の護衛に専念させて先に進みました。問題がおきたのは、洞窟に小鬼達を追い詰めたときでした」
緊張が志人にも伝わってくる。
彼は一口だけ茶を啜ると、クオンにも勧めた。口の中が乾いていた彼女は、素直に従って喉を潤す。
そっと湯呑みを置く音が、やけに大きく聞こえた。
「洞窟の奥には、古い祠がありました。切羽詰まった小鬼は、その封印を解いたのです」
志人は固唾を飲んで続きを待つ。
「現れたのは四本の腕を持つ黒い妖でした。奴は腕の一振りで小鬼達を全滅させると、秋人様に襲いかかりました。秋人様はすぐに私達に撤退を命じました。母が怪我をしていなければ、戦えたかもしれないのに」
か細い声で吐き出すように言うと、クオンは膝の上の両手を固く握りしめた。
「私達は必死に逃げましたが足を痛めた母は走る事もできず、すぐに追いつかれてしまいました。母は私を背に庇って逃げるように言いましたが、私は足がすくんで動けずにいました」
後悔からか再び俯き、クオンは話を続けた。
「私を庇いながら戦う母、母を庇いながら戦う秋人様。攻防は長く続きましたが、妖の腕一本と引き換えに二人は倒れました。黒い妖は私に迫り、腕を振り下ろす時に大きくバランスを崩しました。おそらく秋人様が最後の一撃を放ったのだと思います。私の首を飛ばすはずの攻撃は頬をかすめて地面を大きく削り、私は崖下の川に落ちました」
志人はクオンの右頬についた傷跡を見たが、すぐに視線を逸らした。
(鏡を見るたびに思い出して、自分を責めているんじゃないのか)
小さく震える少女を見つめながら、志人は心を痛めた。
「気が付いたのは病院のベッドの上でした。すぐに里に助けを求めましたが、もう手遅れでした」
ぽたり、ぽたりと涙が握った拳に落ちる。
「私が同行を申し出なければ、ちゃんと戦えていれば、すぐに逃げ出していれば、死なずに済んだかもしれないのにっ! ごめんなさい」
絞り出した謝罪は、亡き家族に向けてのものだ。
(吐き出す相手もいなかったんだろうな)
志人はゆっくりと立ち上がると、クオンの隣に座って優しく銀色の髪を撫でる。
溜め込んでいたものが抑えきれなくなった少女は、彼の体に身を預けて声をあげて泣き続けた。
「おはようございます。志人様」
いつものように襖越しのクオンの声で目が覚めた。
体のあちこちが少し痛い。
昨夜、泣き疲れたクオンを布団に寝かせ、立ちあがろうとしたところで手を掴まれた。布団に潜っていた彼女の顔は見えなかったが、心中を察した志人は明け方までクオンの手を握っていた。
僅かでも動くと起こしてしまうのではないかと思うと、離れるわけにはいかなかった。
畳の上でも身動きできずにいるのは、思った以上に体に負担がかかったようだ。
携帯電話の時計を見ると九時を過ぎていた。
(よく眠れたみたいだな)
少し安心して障子を開ける。
涼しい空気が部屋に入り、志人の目を覚ます。今日もいい天気だ。
伸びを一つしてから洗面所に向かうために襖を開ける。
廊下に一歩踏み出そうとしたところで、銀色の何かに躓きそうになって足を止めた。
それは額を床に擦り付けたクオンだった。
「昨夜は本当に申し訳ありませんでした」
突然の事に言葉を失って立ちすくんでしまう志人。
数秒の間をおいて我に返ると、慌てて膝をついて彼女を起こそうとする。
「いいから顔上げて」
顔を上げたクオンと志人の視線が合う。
息遣いが感じ取れる程の距離で、二人とも動きを止めた。
泣き腫らした目元は、まだ少し腫れぼったい感じがした。
慌てて身支度をしたのか、前髪に少し寝癖が残っている。
宝石のような赤い瞳に見入っていると、彼女の白い肌がみるみる赤くなっていった。
「ごっ、ご飯の準備してきますっ」
上擦った声で言うと、クオンは慌てて台所へと消えていった。
(相当恥ずかしかったんだな)
志人は苦笑いして洗面所に向かった。
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