第9話 宴

 その日の夜、志人ゆきひと達は蘆屋家あしやけの屋敷に招かれた。滋岡家しげおかけの再興を祝って宴を開くそうだ。

 最初は遠慮をしたが、

「二人が来なくてもやる。主役にはいてほしい」

 と幸子に半ば強引に推し進められてしまった。

 今回の件で、志人は幸子の世話になった。

 三日目の朝、滋岡家に様子を見にきた彼女は大きな籠に山菜を山盛りに持ってきた。

 どれも見覚えのないものだったが、陰陽師の力を引き出す薬草の類なのだと言う。

 それからが地獄だった。

 一日三食、青臭い葉や苦い茎などを食べさせられる事になったからだ。

 休憩時にクオンが入れてくれるお茶も、酷く渋いものだった。それは彼女の無表情を打ち崩す程の破壊力があった。

 効果が出始めたのが五日目。

 放課後ののぞみの指導を受けていた志人が、大きく変わった。

 途中で陥っていたスランプが簡単に越えられたのだ。

 これには希も驚愕し志人と同じお茶を飲みたがったが、一口含んだところで断念していた。

 初めて訪れる蘆屋家は、大きかった。

 安倍家ほどではないが、屋敷といって過言ではないレベルだ。

 声をかけて玄関を開けると、廊下の奥から割烹着姿の幸子が顔を覗かせた。

「いらっしゃい。右手の奥の部屋だよ」

 それだけ言うと、すぐに顔を引っ込める。

「お邪魔します」

 聞こえるように大きめの声で言うと、二人は言われた通り右手に進む。

 十五畳ほどの広間には、既に先客がいた。

「クオン先輩!」

 その声には聞き覚えがある。

 図書室でクオンを囲っていた女生徒だ。

 隣に座っているのはその両親だろうか。和装の礼服に身を包んだ彼らは、志人と目が合うと立ち上がって深々と頭を下げた。

日下部拓也くさかべたくやと申します。こちらは妻の雪江ゆきえと娘の雪菜ゆきなです」

 紹介された二人も深々と頭を下げた。

「滋岡志人です。よろしくお願いします」

 突然の敬意に戸惑いながら、志人も頭を下げた。

 他にも三家族十二人が立て続けに自己紹介を始めた。

 慣れない敬意にどうしていいかわからなくなる志人。

 社会人になってから会話する相手は上司か先輩、得意先くらいで常に敬意を払う側だった。

 急に逆の立場になるのは、かなり落ち着かない。

「ほらほら、そんなに畏まらない。志人も困ってるじゃないか」

 いつも通りの砕けた口調で幸子が入ってきた。両手に抱えられたお盆には、出来立ての料理が並んでいた。

 彼女に続いて女中達も料理を運んでくる。

 上座に座らされた志人とクオンは、慣れない歓迎ムードにソワソワしていた。

 二人の前に和洋取り揃えられた御馳走が並べられた。

 どれもいい匂いで、すぐに手を伸ばしたくなる。

 クオンがビール瓶を両手で持って志人を待っていた。

 女中に渡された少し大きめのグラスを差し出すと、クオンが注いでくれる。

 彼らの準備が整うのを待ってから、幸子が立ち上がった。

「今日は十年ぶりに滋岡家の当主が任命されためでたい日だ。私も志人も堅苦しいのは嫌いだからね。遠慮しないでじゃんじゃん食べて呑んでおくれよ!」

 そう言って手にした大ジョッキを天に掲げる。

「おめでとう!」

 集まった人達も同じようにコップやジョッキを掲げた。

(なんだろう。この海賊感)

 そんな事を考えながら志人もグラスを掲げ、一口飲んだ。

 沸き起こった拍手が収まる頃、クオンが料理を小皿に取り分けて差し出してくれた。

「今日は薬草抜きだから安心しな」

 冗談めいた声で幸子が言うと、親世代が豪快に笑う。子供達が苦笑いなのは、彼らも被害者なのだと想像させる。

 最初から和気藹々な空気になるのは、普段からこのメンバーでの交流がある事の証だ。

「しかし、一週間で折り鶴とはヒロ坊も無茶を言ったもんだよな」

 早くも二杯目のジョッキを手にした日下部が、一同に問いかけるように言った。

 ヒロ坊、とは宗明ひろあきの事かと理解するのに数秒かかった。

「それを乗り越えるたぁ、さすが六大家だ」

 改めて起こる拍手に、志人は照れ笑いを浮かべる。

「幸子さんの薬草と希ちゃんの指導のおかげですよ」

 志人の発言に、会場は再び笑いに包まれた。

「あれ、本当に効果あったんだ」

 海老と青菜の炒め物を食べていた雪菜が、信じられないといった目で志人を見た。

「ずっと行き詰まってた所を突破できたのは、薬草食べるようになってからでしたよ」

 志人が答えると、

「今度は雪菜の分も摘んでこないとね」

 二杯目のジョッキを空けた幸子がいたずらっぽく続けた。

「いや、もういいから!」

 慌てて断る彼女に、一同は三度笑った。

「ほら、志人も食べな。クオンがおあずけくらってるだろ」

 言われて横を見ると、クオンは箸も持たずに静かに座っていた。

「先に食べてていいのに」

 そう言って志人も箸を持つ。

 彼が鳥の唐揚げを頬張るのを見ると、彼女も箸を手に取った。

 思い返してみれば今まで二人で食事をする時も、クオンが先に手をつけたことはなかった。

「そういう子なんだよ。気をつけてあげな」

 幸子が言って三杯目のジョッキを空ける。

 志人は遠慮しないで食べる事にした。

 和洋中が入り混じったテーブルは、ビュッフェスタイルのレストランのようだ。

 クオンが取り分けてくれた酢豚を口に入れる。先程の唐揚げ同様、しっかり下味がつけられていて美味しい。

「酒が進んでないねぇ」

 すでに赤ら顔になりつつある日下部が、ビール瓶を片手に近づいてきた。

 志人はグラスを半分ほど空けると、それを申し訳なさそうに差し出す。

 ビールを注いで満足そうに笑うと、そのまま彼の隣に腰を下ろした。

「村にはもう慣れたかい?」

「はい。まだ全体を見て回ってないですが」

 クオンの手元にあったビール瓶を受け取って、志人も拓也のジョッキに注ぐ。

「あんな無茶を言われちゃあ仕方ねぇわな。わかんねぇ事があれば何でも聞いてくれ」

 親しげな笑みを浮かべる拓也に、志人は気になっていたことを口にした。

「滋岡の屋敷だけ小さくないですか?」

「ああ、それはな」

 拓也はビールを一口飲んでから答える。

「去年雷が落ちてよ。半分以上が焼けちまったんだ」

「ずっとクオンが一人で住んでたからね。広い屋敷じゃ管理も大変だから、あの大きさに改築したんだよ」

 幸子が続けて解説した。

 隣に座るクオンを見る。

 唐揚げを噛み締めていた彼女は、持っていた皿と箸を置いて志人の方に向き直る。

 彼女の性格からして、毎日掃除は欠かさずしていただろう。蘆屋家と同等の広さと考えても、その苦労は容易に想像できた。

「大変だったね」

「いえ。それがお役目ですので」

 相変わらずのクールな返答だった。

 自分が見ていると食事がしにくいのだろうと察した志人は、拓也の方を向く。

「先代の滋岡家の当主はどんな人でした?」

 彼の言葉に、部屋が少し静かになった。

(まずい事聞いたかな)

 少し後悔した志人に答えたのは幸子だった。

「あんたにとっては叔父さんにあたるのかね、秋人あきひとは。雰囲気はあんたとよく似てるね」

 一度言葉を切って、手にしたジョッキを置く。

「あたしらの代では、政明まさあきと同じくらいの実力者だったね」

「政明ってのはヒロ坊の親父な」

 拓也が補足してくれる。

(先代の安倍家当主と互角だったのか。疎まれている理由はそこか?)

 志人は箸を置いて考える。

「物静かないい男だったよ。女を見る目はなかったけどね」

 その言葉に、親世代が一斉に吹き出す。

「幸子さんの猛アタックを軽く受け流してたっけなぁ」

「むしろ見る目があったからでは?」

「言ってくれるじゃないか」

 軽口に、少し場が和んだ。

「結局、嫁をもらわずにあやかしの討伐中に死んじまってね」

 幸子の視線が、一瞬だけクオンの様子を伺った。彼女は身を固くして、俯いたまま話を聞いていた。

「敵討ちにいった政明とうちの旦那が相打ちになって、先代達は全滅さ」

 そう言って女中から受け取ったジョッキを一気に飲み干す幸子。

「すみません。変な事聞いて」

 沈んだ声で謝る志人に、幸子は真剣な眼差しを向ける。

「どんなに強くてもね、勝てない時ってのはあるもんだ。引き際だけは間違えちゃいけないよ」

「はい」

 真顔で答える志人に満足そうに頷く幸子。

「湿っぽいのは終わりだ。仕切り直すよ!」

 立ち上がって彼女が宣言すると、男達がそれに答えて雄叫びを上げる。

 再開された宴は、日付が変わるまで続けられた。


 ちょうどその頃、自室で布団に入ろうとしてた宗明のスマホが鳴った。

 名前を確認して通話をタップする。

「もう寝てた?」

 女性の声がスピーカーから聞こえる。

「いや、大丈夫だ」

 宗明が静かに答えた。

「あれで良かったの?」

「出した課題をクリアされてしまっては仕方あるまい」

「それはそうだけど」

 女性は少し不満そうな声で言った。

「次の手は考えてある」

「そう? ならいいけど」

 遅い時間の電話を詫びてから、彼女は通話を終えた。

 宗明はスマホを充電器に刺すと、布団に入る。

(これで、いいんだよな)

 自問しながら、彼は目を閉じた。

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