第17話 朝は王とともに
マデリーンの朝は早い。化粧や身支度に時間がかかることもあって、早く起きるのがマドカの習慣だ。
その日も身体に染み付いた時間に眠りが浅くなり、意識が浮上してきた。
「うん、ねむ、ちょっとねぼう、かも」
小さく呟いてベッドの中で身動きし、布団を引き寄せようとしたところで、布団がなにかに引っかかる。もう一度引いてみたが、やはり引っかかってしまう。
なんだとうと、うっすら目を開けたところで、マドカの視界目一杯にそれは入り込んできた。
すぐ目の前にとても整った寝顔がある。
普段印象的な瞳は閉じられているがすっとした鼻筋と呼吸のために僅かに開いた唇は独特の魅力を感じさせる。枕に乗る銀の髪はさらりとして綺麗だ。
「はい?」
そこで一気に目が覚めた。
「どどどどど」
いや、どういうことかと考えるよりまずはベッドから出よう、とにかくここから離れよう。そう思ってゆっくりともがく。
引き寄せた布団を放棄して、体を後ろにずらした時だった。
「まだ寝坊には早いだろう、もう少し寝ていろ」
「えっ?」
少し掠れた声が聞こえ、ヴィンセントの瞼はゆっくりと開き蒼い瞳がこちらを見た。
どういう状況なのか全くわからない。
必死に思い出そうとするが、長椅子に座り二人で喋っていたところあたりからマドカの記憶は曖昧だった。
しかも開いた蒼い瞳は、もうまたすぐに閉じられようとしている。
「ちょっ、待ってくださいっ!」
「んー」
「こらー! 寝るなっ」
マドカは泣きそうになりながら、どんどんと拳を打ち付ける。
何度目かにそうしたところで、手が伸びて来て打ち付ける拳を包んだ。
「わかった、わーかった、起きるから」
とんでもないことになった。
そう思って涙目でヴィンセントを睨むと、ヴィンセントはすぐにベッドから出た。
「そんな顔をしないでくれ、誓ってなにもしていない」
「だったらなんで一緒に、ベッドッ、ここっ」
「どういう反応をするか、少し揶揄うつもりだっただけだ」
服はマドカもヴィンセントも昨日二人で話をした時のまま、おかしな様子はない。
揶揄うにしたって、許可もなく隣で寝るなんてあんまりだ。
「信じないか?」
「はよー、ございます」
「おはよう」
どちらとも言えなくて、代わりにそっと上目で見て朝の挨拶をした。ヴィンセントはすぐに笑顔になり同じように返してくれる。
「昨日ふらふら歩いて、そこのベッドの手前の床で寝そうになったんだ」
「寝ようとしたところまでは、なんとなく」
ヴィンセントが確実に部屋に帰る前に眠ってしまったのは、なんとも迂闊だった。
今からでも遅くない、とばかりにマドカは部屋の戸を指差す。
「もう、揶揄って満足したならお帰りください」
「朝食を一緒に食べないか?」
「食べません!」
昨日はやむを得なく一緒に食べたが、まさか王であるヴィンセントと一緒には食べられない。だいたいここはマデリーンの部屋ということになっている。
誰か入ってくることはないが、見つかるわけにはいかない。
そう、見つかるわけにはいかないのだが、なんだか外がおかしい。
「あの、ヴィンセント陛下」
「……やはり呼んではくれないか」
「部屋の外、なんだか騒がしくありません?」
さっきから人の気配と足音が微かに聞こえている気がする。会話などは聞こえないが、王宮でもかなり奥にあるこの部屋の周囲でこんなに賑やかなことはない。
「なにかあったのか?」
「そうかもしれません」
しかしすぐに確かめようにも、今は素顔のマドカのままだ。化粧をするか侍女として様子を窺いに行くかどちらにしよう。
そのとき、部屋の扉が控えめだがしっかりと叩かれる音がした。
「こんな朝から誰だろう」
先に動いたのは、ベッド脇に立っていたヴィンセントだ。マドカに布団をさっと被せて、軽い足取りで部屋の入口へと向かった。
「ちょっ、へいかっ!」
慌てて声を掛けたが、ヴィンセントは部屋の扉を開けてしまったのでマドカは慌てて口を閉じる。
「一体朝から何事だ」
「まあっ、陛下!」
叫んだ声はどうやらトレサのようだ。
「よかった、こちらにいらしたのですね」
扉の影になってトレサの姿はよく見えないが、マドカは念のため布団を被り聞き耳を立てる。
「朝からヴィンセント陛下のお姿が見えないと」
「俺を探していたのか、昨夜からずっとここにいる」
聞こえてきた二人の会話に、マドカは目を見開いて焦った。なにせここの部屋の主はマドカではなくマデリーンだ。一晩中いたなどと答えれば、ややこしいことになる。
マドカは布団の陰から、身動きで必死にヴィンセントに合図するが、声も出せない状況で彼が気付くわけない。
トレサもマデリーンの部屋に王であるヴィンセントがいるという状況を怪訝に思ったのだろう。
「しかしこちらの部屋の、マデリーン様は?」
「寝たのが遅かった、もう少し休ませたい」
そうじゃない! マドカはそう大声で叫びたかった。
真っ直ぐ扉に向かったから、うまく誤魔化すのかと思ったのに、あれでは絶対誤解される。
しばらく場が静かになり、扉が閉まる音が聞こえてきた。
トレサが部屋から立ち去ったのだろう。マドカはそっと布団の陰から顔を覗かせて、またすぐに引っ込めた。
部屋の扉は閉まっていたが、トレサは部屋の中に残りヴィンセントを見据えている。
「不敬を承知でお伺いします、罰も覚悟しております」
「なんだ?」
トレサはマデリーンに対しては普段から言葉は少なく、余計なことは言わない。それなのに、王であるヴィンセントにわざわざ話を切り出す。
「お嬢様を、どのようにお思いで、この部屋にいらっしゃったのでしょうか」
「どういうことだ」
「もしや、お立場を翳して、無理強いされたのではないかと」
声を震わせながらも、トレサはヴィンセントを見据えたまま訊ねた。
布団を被ったマドカへもその声はしっかりと聞こえている。
「そんなことはしていない」
ヴィンセントはゆっくりと首を振った。
「昨夜は彼女から父上の話を聞いていた。話に夢中になり気がついたら、随分と遅い時刻だった、それだけだ」
しかしトレサはまだ疑っているのか、その視線は動かない。
さらにヴィンセントは続ける。
「どう思っているかと訊ねたな、俺は彼女を好ましく思っている、例え他の誰かがどう思おうと気にはしない。この目で確かめ、己で判断した上でここに立っている」
もう一度ヴィンセントがはっきりと否定を含めて言い切ると、トレサはようやく納得した。胸元に手を当て大きく息を吐く。
マドカも布団の中でほっと息を吐いた。ヴィンセントがトレサを罰するということはないと思っているが、それでも緊張感のある二人が心配だったのだ。
しかし不思議だった。今までトレサは余計なこと言わず部屋にも立ち入らなかった。それなのにどうして今回は、部屋に入り話をしたのだろうか。
「お前こそなにを知りどう考えている?」
「私は、マデリーン様……マドカお嬢様が望むようにお側に在るべきと考え、お仕えしております」
「えっ」
トレサの言葉に、マドカは固まる。
てっきりなにも言わないから、気付かれていないと思っていた。しかしトレサの言葉からしてかなり前から知っていたようだ。
「お優しいお嬢様を、よく知っております」
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