第16話 王を惑わす悪い魔女です

「少なくとも俺は、そう見えている上でこうして手を取っている」


 ヴィンセントは、あのマデリーンを肯定するというのか。


「陛下っ、あの」


 マドカの頭の中は真っ白だった。

 なにか言わなければ、伝えなければ後悔する。そう思うから必死に呼びかけ言葉を探した。


「ヴィンスでいい」

「え?」

「俺は諦めない、だからこれからはそう呼べ」


 呼んでもいいのだろうか。

 ただ、今そう呼んでしまったら、マデリーンの時にうまく呼び分けられないかもしれない。そんな妙に冷静な心配も頭をよぎる。


 マドカが黙っていると、ヴィンセントの瞳が曇った。

 そう、辛そうな感情がさっき垣間見えたとマドカが感じたそれだ。


「あいつのことは、名で呼んでいたのだろう?」

「あいつって、ディアンですか?」


 昼間のことを考えてマドカが聞き返すと、すぐに違うと否定される。

 だったら誰のことだろうと思っていると、ヴィンセントは髪の中に片手を入れてかき回すように頭を抱えた。


「実の父親なのに、嫉妬で狂いそうだ」


「えっ」


 いったいなんのことを言っているのだろう。


「ああ、そういうことか、うん」


 マデリーンは先代国王であるヴィクトルの妃だ。それは動かせない事実だが、少し違う。

 マドカはヴィンセントの手を両手で抱えるように取り、そっと握り返す。


「ヴィクトル叔父様とは、なにもなかったです」

「なにも、なかった?」

「はい、叔父様が愛してらっしゃったのは、リファナ叔母様だけですから」


 いつかヴィンセントに話してあげたい。そう思っていたことがこんな流れで叶うとは思っていなかった。

 惚気話をたくさん聞いてよく知っているから、それは自信を持って告げる。


 どれだけ聞いてもらえるかわからないけれど、マドカは話し始めた。


「えーと、わたし両親と離れて、ひとりぼっちになっちゃったんです」


 話は突然飛んだが、ヴィンセントは黙って耳を傾けている。

 思い出をなんとかまとめながら、喋る。


「それはわたしのせいでそうなったんですけど、王宮の隅っこでこっそり泣いていたら、叔父様に見つかっちゃって」

「父上のことは、そう呼んでいたのか」

「はい、叔父様も寂しいから、一緒にいようかって」


 それは、告白ではなく家族の約束や契約のようなものだ。


「この部屋や王の寝室で過ごすことはありましたが、なにもなかったです」


 信じられないと言われたらそれまでだが、ヴィンセントなら分かってくれる。そうだったらいいなと願いを込めて、マドカは部屋をゆっくり眺めた。


「ただこの部屋に二人でいて、勉強や歴史、それから物語、あとお母さんが手紙を書いていて」

「確か、異国の出身だったな、マドカ宛のものか」

「違います、故郷に宛てたものでした、お母さんずっと帰りたがっていたから」


 ヴィンセントの表情がわずかに怪訝になったのを、マドカは見てしまった。マドカが今両親と離れて過ごしていることに矛盾を感じているからだろう、

 全てを説明することが怖くて、マドカはさり気なく話題を変える。


「マデリーンって名前は、ヴィクトル叔父様が考えました」

「輿入れした時に偽名を周知させたのか」


 その辺りの細かい事情は、実はマドカも知らない。

 マデリーンはしばらく部屋から出てこない存在だった。

 ただ、言われたことははっきり覚えている。


「マドカには、いつか本当に好きで想い合う相手が出来るから」


 部屋を見ていた視線が、ヴィンセントへと戻る。


「だからその時の幸せのために、今はマデリーンでいなさいって」


 どれだけ優しい言葉だったかわかるから、マドカは笑顔を浮かべた。

 ヴィンセントの瞳が揺れ動き、あの辛そうな感情が引くように消えていく。


「それからずっと、マデリーンはマドカを守ってくれています」


 残ったのは温かく優しい眼差しだ。蒼い色をしているのに、熱く見えるなんて不思議な瞳だとマドカは思う。


「憎しみや羨みとか悪いことばかりでも、マデリーンはわたしを庇って立っている」

「それは、とびきりいい女だな」

「違いますよ、王を惑わす悪い魔女です」


 そう答えながらマドカは、光よ、我がもとに、と口の中で唱える。

 周囲へ光源をいくつも瞬かせていく。

 光は天井までふわふわと浮いていき、軽く弾けて星のように降らせる。

 ヴィンセントはその降る光を眺めながら、くすりと笑った。


「明かりの魔術しか使えない魔女だろう」

「そうですけど」


 たったそれだけでも、二人で笑顔になれるのなら、とびきりの魔術だ。


「それにしても、いつの間に部屋に入ったんですか」


 マデリーンを解放して執務室に戻ったとばかり思っていた。だからマドカも気を抜いていたのだが、まさか部屋に来ているとは思っていなかった。


「マドカに謝ろうと思ったんだ」

「謝るって言われても、わたしなにも怒っていません」


 マドカはきょとんと目を瞬かせた。ヴィンセントは椅子に凭れるようして、まだきらきらと輝く光を眺めている。


「はー、今思うと小さなことで、なにを悩んでいたのか」

「そうですよ」


 マドカはこほんと咳払いをしてから、声音を変えた。


「でも、恋とはそういうものでしてよ」


 普段マデリーンとして喋っているように装い、わざとらしく声を出す。ヴィンセントは一瞬驚きの表情を浮かべてから、目を細めてじーっとマドカを見た。


「なんですか」

「悪い女だな」


 ヴィンセントはしみじみとそう言ったが、マドカの隣から動こうとはしない。

 光がなくなり部屋が元に戻る、ヴィンセントはもう明かりのない天井を眺めながら、ふと呟いた。


「父上は、許してくださるだろうか」

「なにがですか? 叔父様はヴィンセント陛下のことも、好きでしたよ」


 確かにマドカがマデリーンとして見ている範囲でも、二人にあまり会話はなかったように記憶している。それでも許さないということはなかったはずだ。

 大切に思っていたから、同じようなことはして欲しくないと思っていたと思う。


 しかしヴィンセントはそうではない、と首を振って視線をマドカへと向けた。


「俺がマドカを幸せにしたいと言ったら、許し認めてくれるだろうかと」

「えっ! へ、陛下っ」

「ヴィンスだと言ったろう」


 蒼い瞳はとても優しくて、強く心惹かれる。マデリーンであることがばれてしまったら、こんなことはもうないと思っていたのに、実際は違っていた。


 ならばマドカはこの気持ちに名前を付けていいのだろうか。

 そう思いながら、マドカは聞こえないように小さな声で、その名を呼んだ。



 一体いつまでこの部屋にいる気だろう。

 話しているうちにずいぶんと時間が経ち、マドカはそろそろ眠気が我慢できなくなってきた。

 今日は昼過ぎから立て続けに騒ぎに巻き込まれたから、疲れも溜まっていてそろそろ限界に近い。

 かくんと頭が沈みそうなのをこらえ、閉じそうな瞼を必死に開いてヴィンセントを睨む。


「へーか、そろそろお部屋にかえってください」

「名で呼んで欲しいと言ったろう」

「そんなことより、わたし寝ますから、かえってー」


 服を掴んでなんとか押し出そうとするが、ヴィンセントはまったく動く気配がない。


 ええと、なんだっけ?


 マドカは眠りかけた頭で必死に考える。


「……ヴィンスぅ?」


 呼べば満足して帰ってくれるはず、そう思って呼ぶ。帰れと伝わるようにさらに押す。

 しかしヴィンセントはぴたりと動きを止めて頭を抱えた。


「いや、これは思った以上にくるな」

「なにが……?」


 ここで眠るわけにはいかない。

 それだけは強く思ったので、マドカはなんとか気力を振り絞って立ち上がり、寝室への扉へと向かった。なんとか開けて、ベッド目指して歩き出す。


「あっ、おい! ふらついているぞ」


 後ろから焦った声でそんなふうに言われた、気がする。

 そこから後のことをマドカはよく覚えていなかった。

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