第18話 恋とはそういうもの

「そうか、わかった、信じよう」


 ヴィンセントはトレサの言葉に頷く。


 マドカは布団を被ったまま、今の会話を必死に理解しようとする。マデリーンを快く思っている者など、今の王宮にいないような気がしていた。

 しかしトレサは、王であるヴィンセントに相対するくらい、マデリーンのことを案じていた。


「トレサと言ったな、支度を手伝ってやってくれ、望むように」

「はい!」


 トレサの声が嬉しそうに弾んだのがマドカにも聞こえた。布団を捲ってそっと見ると、ヴィンセントは此方を見て優しく笑っている。

 そして心配そうにしているトレサと目が合いそうになり、慌ててまた布団の中に隠れる。


「それからこの部屋に朝食を二人分手配してくれ」

「承知いたしました」


 ヴィンセントは大股でベッドまで戻ってくると、ベッドの端に腰掛けた。そうして布団の上からぽんぽんと優しく叩く。


「俺に直接訴えてまで心配したくらいだ、覚悟を持った良い侍女だ、信じてやれ」


 その言葉に、マドカは布団を被ったまま大きく首を縦に動かして頷いた。



 断ったはずの食事の手配もしれっとされてしまったので、昨夜と同じように長椅子に二人で腰掛けて朝食を食べる。


 トレサは今まで干渉してこなかったのが嘘のように、マドカの希望を聞き気の利いた腹心の侍女のように動いた。誰一人として部屋に入れる様子はなく、出入りのたびに鍵をかける念の入りようである。


 食事が終わると、マドカは支度を始めた。

 慌ててマデリーンにならなくともいいとは思うが、念のためだ。

 ヴィンセントはすっかり部屋に居座っているし、彼と侍女であるマドカとトレサがいるのに、部屋の主であるマデリーンがいないというのはおかしい。なにより昨日不在を不審がられたばかりだ。

 化粧は慣れているのでマドカ一人ですることにしたが、髪と着替えの支度はトレサの手を借りることにした。トレサは楽しそうな表情で、甲斐甲斐しく働いている。


「お嬢様はいつだってご自分でされていたので、こうしてお手伝いすることが夢だったんです」

「トレサ、そのお嬢様っていうのは」

「はい、ひと知れずそう呼んでおりました」


 そんなふうに呼ばれたことはないのでなんだか恥ずかしく、マドカはやんわり訴えたが聞き入れられなかった。

 着替えてしっかりと化粧もすると、マドカの意識は自然にマデリーンへと切り替わる。


 まずは、長椅子に座って優雅に茶を飲んでいるヴィンセントをじろりと見下ろす。


「陛下は、いつまでこの部屋に居座るおつもり?」

「切り替えが激しいな」

「そうよ、おままごとはおしまい、早くお帰りなさい!」


 こうしてヴィンセントと一緒にいる時間は、マドカとしては楽しかった。しかしそうも言っていられない。

 トレサは余計なことを漏らしていないようだが、おそらくこの部屋にヴィンセントが訪れているという噂は、おそらく立っているだろう。


「まあそうだな、うるさいのが来る前に戻るか」

「うるさいの?」


 マデリーンが扇をはらりとかざし、怪訝な表情を浮かべる。

 そうは言っても長椅子からヴィンセントが動く様子はない。

 その時だった、部屋の扉が強く数回叩かれ、すぐに扉越しに声が聞こえてきた。


「失礼致します、こちらに陛下がお越しだと伺いましたが」

「まあさすがに、早いという時間でもないしな」


 声からしてローレンスらしい。ヴィンセントは仕方ないと言わんばかりの表情を浮かべ、トレサへ開けるように扉を示した。

 扉が開くなり、険しい表情のローレンスが入ってくる。


「どういうことか説明してもらうぞ」


 マデリーンは思わずその場から一歩下がった。


 なんというか表情があまりにも怖い。


 ヴィンセントは視線を逸らすように首を傾けた。答えを考えているようにも、なにも考えず目を逸らしているだけのようにも見える。


「ヴィンス」


 静かだがよく通るローレンスの声が響く。

 ヴィンセントは、ようやく視線をローレンスへと戻した。


「すまない、ついうっかりこうなった」


「え?」

「は?」


 あまりに軽い答えだ。マデリーンはぽかんと開いた口元を慌てて扇で隠したし、ローレンスは眉間がきつく寄った。


「ローレンス、どうしたらいいと思う?」


「ふ、ざ、け、る、な」


 ヴィンセントの表情は、どこか楽しそうで口角が引き上がっている。

 ローレンスはゆっくりと一音ずつ区切りながら、ヴィンセントを睨む。


 そこから睨み合いがしばらく続いた。マデリーンとしては、矛先が向くまでなにも言わずにいたほうがいいとは思うが、このままヴィンセントに任せて大丈夫なのかとも思う。


「大方、あの侍女目当てでやって来て、なにか巻き込まれたといったところだろう」


 ローレンスの読みはやはり鋭い。


「ああ、王を惑わすとびきりいい女がいてな」

「まさかそれで惑わされたわけではあるまい」

「さあな、しかし恋とはそういうものらしい」


 そこまで話すとヴィンセントはゆっくりと立ち上がった。どうやらようやく帰る気になったらしい。


「名残惜しいが、戻らなければな」


 これでやっと静かになる。扇の影でほっと息を吐いていると、ヴィンセントが大股で戻って来た。


「そうだ、マデリーン、後で執務室に出向いてくれないか?」

「嫌、という答えはなさそうね、わかりました」


 執務室、ということは昨夜のような話とは別なのだろう。渋々頷くと、ヴィンセントは頷き、そしてさらに近付いてきた。

 髪に指が触れそうなくらいまで寄ってこられ、緊張して動きが止まる。


「ありがとうマデリーン、良い夜だった、また来る」


 マデリーンだけではなく、その場にいる二人にも聞こえるように告げたのは絶対わざとに違いない。


「なっ! もう、さっさと帰りなさいよ!」


 気を抜くとマドカの地声が出てしまいそうになりながら、マデリーンは追い払うように扇を動かす。

 ヴィンセントはどこか満足そうに笑うと、ローレンスを連れて部屋から出て行った。


「はあ、やっと静かになった」

「お疲れ様ですお嬢様、もう少しお休みになりますか?」

「いいわ、お化粧しちゃったし」

「ではお茶に致しましょう」


 トレサは和やかに笑うと、お茶の準備をしに向かった。




「後で来いって、いつ頃なのか聞き忘れたのよね」


 確かめなかったのは迂闊だった。そう思いながらマデリーンは執務室に向かっていた。

 やはり今朝のことは王宮でも噂になっているらしく、さっきから興味深げな視線が多く向けられているのがわかる。


「厄介な用件じゃなければいいけれど」


 マデリーンと添えたところに、面倒そうな予感がしてならない。

 早いところ話を聞いて、あとはゆっくり過ごしたい。

 そう思って東の庭園に面した廊下を曲がる。庭園に用事はないが、まだ綺麗に咲いているラガラの花でも眺めながら向かおうと思い歩いていた。


「あら、陛下?」


 庭園の向こうに、ヴィンセントが見える。綺麗に咲いているラガラの花の向こうを歩いている。


「あんなところでどうしたのかしら」


 よく見ると一人ではないようだ。目を凝らしたところで、マデリーンは立ち止まった。

 一緒にいて話しているのは女性だ。その装いや佇まいからして相応の身分のある令嬢のようにも見える。


 二人でゆっくりと庭園を歩く姿は、なんだか和やかでとても自然に見えた。

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