廃校のバレリーナ
@zawa-ryu
廃校のバレリーナ
台風一過の朝にしては期待したほど快晴とはいかなかったが、まあ仕方ない。
予報に反して足早に過ぎ去ってくれただけでも御の字だ。
まだスマートフォンのファインダー越しに映る空には雲が残るが、それも昼には消えるだろう。
今から目指すのはW県K村のN集落。
村全体が山深い森の中にあるK村の中でも秘境中の秘境であり、十数年前に無人となった廃集落だ。
台風直後の山奥へ向かう林道は、ひどい有様だろうという事は想像に難くない。
落石、倒木、下手したら川に近い道路はまだ水が残っているかもしれない。
盛れる要素はたくさんある。
そう、私は新進気鋭の秘境系ユーチューバー。
日本全国津々浦々の秘境を求めて走り回っている。
本日の目的地であるN集落から見渡す山々は、昨年度の「一生に一度は見ておきたい日本の田舎名風景百選」において堂々の八位にランクインした絶景だ。
今はもう滅多に人の立ち入らない雄大な自然をカメラに収め配信する。
この動画は絶対に伸びるはず。私はそう確信していた。
「これは、さすがにちょっと無理じゃない?」
大げさに声をあげ、車外に出て道幅を確認する。
林道に入ると車一台分通れるかどうかの狭さになり、場所によってはガードレールも無い。
台風直後のぬかるむ泥と砂利の道は、少しでもハンドルを切り損ねると川に向かって真っ逆さまだ。
そんな悪路を突き進み、安全そうな場所を選んで、わざとギリギリを攻めてみる。
山肌から木の枝が飛び出していれば、もうちょっと引っ張ってフロントガラスに擦らせてみたり。秘境系ユーチューバーには臨場感とリアリティが大切なのだ。
林道に入って一時間が過ぎようとしたころ、ようやく道が開け、辺りにちらほらと民家が現れ始めた。車道の左側に大きな看板が見える。
「みなさん、見て下さい!とうとうK村に到着しました!」
所々錆びついた縦長の看板に「ようこそK村へ。山奥の何もない村」と書かれている。
文言の潔さに苦笑しながら、撮影のために声を張り上げ続けた私は、自動販売機を見つけると一息つく事にした。
「ふう。お疲れ様、私」
一旦カメラを止め、車から降りると、ストレッチして体を伸ばす。
自動販売機の隣にある民家は個人商店だったようだが、シャッターが閉じられ今は営業していないようだ。
ホットココアを啜りながら、散歩がてらお店の周りを歩いてみる。
角を曲がったその時、
「ひえっ!」
何の気配もなかったのに、ふいに目の前に老婆が現れた。
面食らって思い切り叫んでしまった、落ち着け私。
「こ、こんにちはー」
ややぎこちなくなってしまったが、精いっぱいの笑顔を作り挨拶しておく。
「はぁい、こんにちは」
そこにいたのは、肩ぐらいまでの白髪を一つに束ねた少し腰の曲がった、人の良さそうなお婆さんだった。
お婆さんはニコニコとやさしい声で応えてくれた。
「きょ、今日はお日柄も良く。あ、いや、私はH県から来たんです。あ、あ、えーと、N集落から見える景色が素晴らしいと。ええ聞きまして、はい」
これでは不審者丸出しだ。
「ほんまかいなぁ。H県から。そら大変やねぇ」
こんな不審な私の話を怪しみもせず、相変わらずニコニコとゆっくりした口調で話してくれる。やはり田舎の人はみんないい人なんだな。ちょっと感動してしまった。
「あのー、ここからN集落の方に行きたいんですが。N集落へは小学校まで行って、 そこから学校の脇道を登っていけばいいんですよね」
お婆さんの笑顔と声に癒され少しまともに話せるようになってきた。
「ああ、N集落のう。それやったらこの道をまっすぐ行けば廃校になった小学校があるから校庭横の道を進んでお行きなはれ。右に入る道があるからすぐわかりますわ」
「ご丁寧にありがとうございます。ではさっそく」
「せやけど」
勇んで飛び出そうとした私をお婆さんの声が止めた。
「はい?」
「せやけど、学校に立ち入ったらあかんよ。あすこは今は消防団や婦人会の寄合に使われとりますので。大雨の際にはわしらの避難所にもなりますよってな。ここらの者がいつでも入れるように鍵はかけておりません」
「はあ」
「よそもんのあんたが学校におったら、変に思われるかもしれんからねぇ」
なるほど合点がいった。空き巣か何かと思われてはたまったものじゃない。
「よくわかりました。何から何までありがとうございます。景色を眺めたらすぐに退散いたします」
「それがよろしいわ。ほんで暗くなる前にはお立ちなはれ。日が落ちると何が出てくるかわからんで。ここは山奥やからのぅ」
お婆さんの声は変わらず穏やかだったが、私は何か不安なものを覚えた。
車に乗り込むとミラーでお婆さんの方を見てみたが、もう姿は消えていた。
そういえば出てきたのも突然だった。まさか?いや、そんな事あるはずがない。
「不思議なお婆さんだったなぁ」
私は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
小学校が見えてくると教えられたとおり右の道を進む。集落への道はかろうじて舗装はされており、三十分程で到着すると十数軒ほどの廃屋が点在していた。完全に屋根が抜け落ちている家もあれば、まだ生活感の残っているような家屋もある。見晴らしの良さそうな丘を見つけ、景色を眺めてみた。
……何か、想像していたのと違うな。確かに眺めは良い。だが、そこまで感動するかと言われたら、どうだろう。ハイキングでちょっとした山の展望台から見渡している景色とさしてそう変わらない。
「なんなのよまったく。これだからメディアってヤツは」
ブツブツ言いながら映えるスポットを探すが、これという構図が決まらない。何回か粘ってカットにこだわってみたが、思い描いた映像には程遠かった。
しかし思いのほか時間をくってしまったようだ。気づけばいつの間にか日が落ちかけている。と思っていたらあっという間に辺りが暗闇に染まっていく。
「やばい。早く戻らないと」
さっきまで何とも思わなかったのに夜の廃屋ってどうしてこんなに怖いのだろう。
急に恐怖感に襲われ、鬱蒼とした森の中を、私は逃げるように車を走らせた。
ようやく小学校まで戻って来た時には辺り一面暗闇だった。周りには街灯一つない。
下ってくる途中に木々の間から月が出ているのが見えたが、今は校舎に隠れてしまっている。
闇の中で、月の光を背に受け佇む廃校。あまりの不気味さに思わず視線をずらす。
そして、そこに彼女はいた。
正確にはそこに「映って」いた。
校舎の斜め、やや低い位置に建つ体育館。
その側面に、
踊る少女の影が、映っていたのだ。
「ひぃっ」
思わず声をあげる。
少女、だろう。シルエットしかわからないが、背格好からは女の子に見える。
夜の廃校で、少女がくるくるとぎこちなく踊っている。
何度も、何度も、まるで狂ったように、くるくると踊り続けていた。
ドン!ドン!
どこからか太鼓のような音が聞こえる。
「今度は何?怖い怖い。もうやだ」
正面玄関の方から聞こえてくる。きっと風だ。風が扉に当たる音だ。そうに違いない。
早く、早く帰ろう。
何か嫌な予感がしたのだ。早くこんなところから脱出しないと。
カーナビを自宅に設定しなおす。
焦って指がもたつき、画面がうまく切り替わらない。
「ちょっと、早く表示してよ!」
画面を叩くように押して、ようやく出た自宅のアイコンを連打する。
表示された到着予想時刻は21時2分。
約四時間も、かかるのか……。
カーナビに示された到着予想時刻を見て、私はふっと冷静になった。
私はいったいここに何をしにきたのだろうという思いが頭をよぎる。
このまま帰っていいのだろうか?今回の動画の構想は約1週間。今朝は4時から支度して、苦労してたどり着いた結果、結局何の成果もなかった。
私は秘境系ユーチューバー。言うなれば秘境のプロだ。
その私が、このまま爪痕も残さず、おめおめと引き下がっていいのだろうか。
……いや、よくない。このままでは帰れない。
秘境系ユーチューバーのプライドがそれを許さない。
これはチャンスだ。視聴者数が伸び悩んでいた私のチャンネルに、降って湧いた最高の取れ高ゲットのチャンス。
廃校の教室で踊る少女。
恐怖に打ち勝ち、その不可解な現実をカメラに収めるのよ!
完全にユーチューバー魂に火がついた私は、頬を叩き、自分を奮い立たせると、 正面玄関の大きな扉をゆっくりと開いた。
「本当に施錠されて無いのね」
そう思った瞬間、ビュッと強い風が通り抜け、玄関が激しい音を立てて閉まった。さっきは強気なことを言ったが、もうすでに心臓が飛び出しそうだ。
どこからか吹く風は、まだ玄関の扉に当たってドンドンと音を立てている。隙間風がそこかしこから吹き込んで通り道を探して暴れているようだ。
あらためて正面を見据える。風以外は何の気配もしない闇の中。
そこに私は今立っている。ふと、お婆さんの言葉が脳裏によぎる。
「日が落ちると何が出てくるかわからんで」
……やはり引き返すべきだろうか。
カタタタタタタ……
ふいに風の音にまぎれて何かの音が聞こえた。
堅いものが何かに擦れているような音。
もう嫌。正直、生きた心地がしない。
耳をそばだてると、音は上階から聞こえてくる。
スマートフォンをライトモードにして階段を照らす。
ライトの照らせる範囲から外れると暗闇で何も見えない。
心臓の音がどんどん早くなるのがわかる。
足が恐怖で震え、なかなか前に出ない。
目を凝らし、手すりを頼りに一段、また一段と昇っていく。
カラカラ、カラカラ……
二階に着くと響いてくる音が、微妙に変化した。
階段から上階を見上げる。この廃校の最上階に彼女はいる。
なぜ?なぜ彼女はこんなところでたった一人で踊っているの?。
怖い。怖いけど確かめないと。恐怖心を抑え、階段を、また一段ずつ昇っていく。
少しずつ、聞こえてくる音が大きくなっていく。
カラカラ、カラカラ……
闇の廃校に、乾いた音が一定のリズムを刻んで響く。
階段を昇り切ると、暗闇の奥に不気味な青い光が見えた。
廊下の際端にある教室。
そこに月光が差し込み、教室は淡い光を放っていた。
思わずゾッとして身震いする。
間違いない。あそこだ、あそこにいる。
あの教室で、彼女は踊り続けている。
カラカラ、カラカラ……
教室の前まで来た。
だが、ドアにかける手の震えが止まらない。
ビビるな、ビビるんじゃない。そう自分に言い聞かす。
私は、秘境系ユーチューバー。
全てを、全てをこの目で確かめるまでは…帰れない!
意を決して恐れを払いのけ、渾身の力でドアを開いた。
勢いをつけたスライド式のドアは鈍い音を立てて跳ね返ると、また戻ってくる。
そして、ゆっくりと開きだす。
震える手を押さえつけるように両手でスマートフォンを握りしめ、
ライトを向けた。
月明かりに照らされ正面の体育館に映し出された踊り子。
カラカラ、カラカラ……
教室の上窓の隙間から入る風に吹かれて、それはいつまでも廻りつづけていた。
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