第16話 幕間 とある魔女の走馬灯
現実と冥界の狭間のようでいて、どこでもない空間。ボクは現在の飼い主である白の体の上に乗っていた。
直前まで怪人に襲われていた彼は、混乱しているようで状況を飲み込めていないようだった。首だけを動かして、周囲を確認しているようだ。
この空間での時間経過は現実と比べても、圧倒的にゆっくりとしている。けれど他者を招き、維持するのは大変厳しい。
そのため、白に用件を一秒でも伝えることにした。
「早い所戻らないと、出口は――」
「まあ、安心しなよ、白。ボクならここにいるよ」
ボクを探していたようなので、声をかけて存在を知らせる。白は驚いていたが、細かい部分にまで気を回している余裕がないため、話を無理やり進める。
「――今からボクの力と魔力を全て白に譲渡する」
ボクは白からたくさんの思い出をもらう前。ボクがまだ白の飼い猫になる前――ボクは白の命を奪った怪人と同類だった。
――魔女の怪人。そう呼ばれていた。
自分が殺した相手の尊厳を奪い、死後もその肉体が尽き果てるまで行使する、最低最悪な魔法。
それを使い、多くの魔法少女を、同族であった怪人を葬ってきた。何故自分は生きていて、他人の命を利用し続けるのか。
原初にあった思いはとうの昔に摩耗しており、当時のボクはただの殺戮機構でしかなかった。
だから、それは因果応報であったのだろう。あの男――悪魔の怪人に不意をつかれて、ボクは致命傷を負ってしまった。
それでも一命を取り留めたボクは、幼かった白に拾ってもらい、力を隠してただの黒猫のクロとして振る舞うことにした。
あの時に潔く良く死ななかったせいで、白には迷惑をかけることになってしまう。ボクがいなければ、あの怪人に襲われることはなかったかもしれないから。
体から力が抜けていき、ボク自身の意識が朦朧としていく。怪人として産まれ落ちて、飼い猫になった生涯は中々楽しい時間であった。
人間――主に白――の優しさにも触れることができ、怪人であった時には想像もつかなかった。
(――ああ、泣かないでくれ白。ボクの意識が蘇ることはないけれど、ボクの力は君といつまで一緒だから)
誤魔化しで形成された空間。作り手であるボクの魔力が消失したことにより、その空間が急速に崩壊していく。
薄れていき、溶けていく意識の中で、白の顔を刻みつけようとする。そんな時、白とは似ても似つかない少女との出会いを思い出した。
――あの日は、雨が強く最悪な一日であった。白と散歩していた際に、近くにあったスーパーに寄ろうとしたが、そこはペットの立ち入りを禁止していたため、暇つぶしを兼ねてボクは周囲の散策に出かけた。
それが失敗だった。普段利用しているスーパーよりも遠い場所だったせいか、ものの見事に迷ってしまった。どこを見渡しても、似たような風景。猫の体になっていても、困惑の感情は収まらない。
それだけではなく、途中で降ってきた雨のせいで、魔力を必要以上に押さえていた体では、体温が急激に下がり体力が低下してしまった。
他の怪人や魔法少女に捕捉される覚悟で、魔力を解放しようとした瞬間、一人の少女が現れた。
その少女は制服を着ており、見た目からして中学生であろうか。皺一つなく着こなされた制服が、少女の性格が真面目であったことを伺わせた。
しかし怪人の本能として、この少女が魔法少女であることを察する。
――正体がバレたのか。そんな思考が過り、毛を逆立てて警戒体勢を取る。その懸念は杞憂であったが。
『――大丈夫、猫さん!』
こちらに気づいた少女は差していた傘で、ボクの体を覆ってくれた。自分の体が傘からはみ出て、若干ではあるが濡れることを厭わずに。
『お家はどこなのかな? いや猫さんに聞いても、答えられないか……』
少女の善意に触れて、申し訳ない感情が込み上げてきた。少女の傍に妖精の気配も感知できるが、ボクの正体は判明していないようだ。
どうするべきか。普通の猫として振る舞うのであれば、当然言葉を少女と交わすことは不可能だ。時間が解決してくれることを祈りつつ、少女の真剣に悩んでいる様子を見て、それは無理そうだと悟る。
『――あ! いいこと思いついた! 飼い主さんが見つかるまで、私の家に――』
『――クロ! ここにいたのか!』
数分間考え続けた末の少女の言葉を遮るように、聞き覚えのある青年――白の声が強くボクの鼓膜を揺らした。
一時間も経過していないはずであったが、本気でボクを探していたのだろう。傘も差さずに走り回っていた白はずぶ濡れになり、相当に呼吸を乱していた。
そこからの出来事は特に語るようなことはなかった。ボクの無事を確認した白は少女に礼を言い、少女も年相応の無垢な笑顔でそれに応えた。
ただそれだけの話でしかない。けどボクにとっては、白以外の人間の善意を体感した日でもある。
――何故あの日のことを今思い出したのか。その理由はよく分からないが、所謂走馬灯というやつだろうか。
ボクの自我が消失すれば、記憶する者が一人としていなくなる、大多数にとって無価値なエピソード。
当事者であった白や、あの日一度だけ会った少女の記憶の中にも、残っていないだろう。
しかし、それでいいのかもしれない。彼らは今を生きる人間であり、この先も輝かしい未来を紡いでいくのだ。ボクのような化物とは違う。
「――ボクはいいんだ。白には多くの物を貰ったから。それに――ボクは君に、これからも生きていてほしいんだ」
「クロ、待って――」
「ボクの渡した力のせいで、さらに迷惑をかけるかもしれないけど、強く生きて」
僅かに残っていた力を振り絞り、強制的に白をこの空間から退出させる。誰もいなくなった空間に、ボクの体が放り出される。
「――もっと一緒に居たかったなぁ……」
ボクの口から出てきた言葉は、誰の耳に届くことなく虚しく辺りに響くだけであった。
その言葉を最後に、ボクの意識は完全に終わりを迎えた。
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