第8話 吸血鬼の怪人①

「おやおや、お嬢さん。ご機嫌よう。早速だが、私は美しいかね?」

「は? 何を言って――」


 

 昨日現れた怪人による被害が癒えぬ街の一角。けれどそこには、以前と変わりない人の流れがあった。人混みの中、現代の日本では不釣り合いの格好の男が通勤途中の女性に話かけていた。

 その男は黒を基調とした貴族服をきっちりと着こなしており、羽織った赤いマントが優雅さに拍車をかけている。その様は中世ヨーロッパの貴族が、まるで現代日本に蘇ったようだ。

 そんな不審者極まりないない格好の男は、傍を通りかかった女性に話しかけていた。女性の返答を待たずに、男は女性に襲いかかっていた。男は女性を壊れ物を扱うように優しく抱きしめる。



「ああ……」

「やはり、年頃の女の生き血は最高の甘露だ」



 男の異常に発達した犬歯。それが女性の首に深々と刺さっていた。男は恍惚な表情に満ちていた。男が何かを飲み込み喉を鳴らす度に、女性の方は対象的に顔から生気が抜けていき青白くなっていく。女性の染みのない綺麗な肌を流れるのは、赤い液体――血であった。



 その様子はまるで、小説の中で語られるような有名な怪物――吸血鬼であった。



 男は満足したのか、女性の体から手を離し、自分の口を伝う血を上品に拭う。いきなり支えを失った女性の体が、雑に放り出される。アスファルトに横たわることになった女性は、白目を剥いたまま、だらしなく口から唾を垂れ流していた。



 一連の凶行を見ていた周りの通行人達が、ようやく異常事態を認識し始める。慌てたように、男を中心に人混みが離れていく。忙しなく歩を進めるサラリーマンや、友人との会話に楽しく興じる学生達。有り触れた営みに満ちていた街。そんな日常も一人の男によって、壊されしまった。今では人々の騒々しい悲鳴や怒号が響く惨劇の場に成り果ててしまった。



 男は人々が逃げ惑う姿を意に介した様子はなく、むしろ優越感を感じているようだった。



「さあ、逃げろ逃げろ。そうではなくては狩りというものは楽しめないからな。お前達の恐怖が我々を強くするのだからな――」



 ――地獄はまだ始まったばかりだ。





 白昼堂々と一体の怪人が出現した。私――柏崎理恵はその事実を認識するまでに、数十秒ほどの時間を要した。



 普段通っている通学路。友人と合流する地点に行くまでの道中、その日のニュースが気になり、立ち止まって、スカートのポケットからスマホを取り出そうと瞬間――。



 周りの人間達が出す生活音。それが一瞬にして、何十人という大人数が出す絶叫に上書きされた。突然の出来事で、手元からスマホを落としそうになる。



「え、何々! どうしたの――」

「リエ! あそこだ!」



 いつもであれば、不可視の状態になっているベルが突然現れる。その拍子に、言いかけていた言葉を途中で止める。私の視界の先に映ったのは、大勢の人達が逃げてきた方向。そこにいた、中世風の貴族服を綺麗に着込んだ男。

 男の時代錯誤な格好に、妖精であるベルが出現したタイミング。そして、私の魔法少女としての勘。



 ――怪人。それがこの一連の凶行の正体であった。



 男の正体を瞬時に察した私は、ベルに合図を送る。



「ベル! お願い!」

「ああ、わかった!」



 私の意図を察してくれたベルは、契約の際に通じた繋がりから魔力を送ってくれる。



 ――魔法少女の変身には、彼女達自身の魔力は用いない。契約した妖精の魔力を使用することで、魔法少女に変身できる。

 何故妖精と契約が可能なのが、年齢の若い少女達に限定されるのかは、肝心の妖精側も把握できていないが、一言で表すのであれば――魔法少女としての力は一個人が持つには「過剰」であった。



 ベルの魔力が私の体に流れ込み、魔法少女としての衣装が形成されていく。

 変身が完了するまでにかかった時間は、僅か数秒。その時間が経過した後、私の様子は一変していた。



 燃えるような、赤色を基調とした衣装。フリルが所々あしらわれたその服は、可愛らしい物でもあったが、魔法少女としての戦闘衣装である。

 衣装に合わせた赤い杖を構えて、怪人に眼下に捉える。変身の際に発生した魔力に気づいた怪人と、視線が交差する。



「――ほう、すぐに魔法少女が現れると思うとはな。これは幸先がいい」

「ご託はいいわ。この魔法少女ファイがさっさと倒してあげる」





「ほらほら、どうした! 魔法少女! 守るだけでは私を倒すことはできないぞ!」

「くっ……!」



 怪人との戦闘が始まって、数分間が経過した。状況は私が追い詰められて、怪人側が優勢であった。それもそのはず、怪人はわざと射線に一般人がいるように計算した上で、攻撃を仕掛けてくる。

 怪人が手刀で切り裂いた、自身の右腕。そこから溢れ出した血液が、鋭利な剣を空中に何本も形成する。



「次だ。上手く捌けよ」

「魔法発動『ファイヤー・ウォール』!」



 狙う対象を私にしないことに、この怪人の性格の悪さがよく出ている。逃げ遅れた人達に向かってくる剣を、魔法で生み出した炎の壁で相殺する。それでも、まだ背後に腰を抜かした人達の数は多く、飛んでくる剣は三分の一以上も残っている。

 手が足りないなら、妖精の手も使うのが魔法少女としての基本だ。



「――ベル! あの人達のこと、任せた!」

「――ああ、相変わらず妖精使いの荒い、契約者様だ! 魔法発動『プロテクション』!」



 ベルが発動したのは、妖精達が共通で使用できる簡易的な障壁を創り出す魔法だ。攻撃魔法を扱うことができない妖精が使用可能な、数少ない魔法。

 透明な壁が創り出されて、血の剣による弾幕を防ぐ。



「はあ……はあ……」

「おや、もう仕舞いか? 魔法少女」



 怪人からの煽りに、答える気力も残っていなかった。荒い呼吸が短い間隔でされる。



 先ほどから繰り返されている攻防。怪人はその場から動かずに、血で生成した剣群を飛ばすだけの攻撃しかしてこない。それに対して、私は逃げ遅れた人達を庇うために防御に専念するしかなく、討ち洩らしをベルに防御してもらって、何とか持ち堪えている状況だ。



 意識は目の前の怪人に集中したまま、頭を少しだけ背後に向ける。



(後……もうちょっとね……)



 混乱に陥っていた人達の避難が、もうすぐ終わりそうだった。それだけではなく、怪人の出現を探知した魔法庁から増援の魔法少女が間もなく到着する。

 後数分間、耐えるだけでいい。そう自分に言い聞かせて、杖を握る両手に力を込める。



「ベル、まだいける?」

「勿論だよ。このぐらいの窮地なら、何度もあっただろう?」

「それも、そうね――」



 ベルとの会話を遮るように、怪人が横槍を入れてくる。



「悠長に相談か? そんな余裕があるのなら、私をもっと楽しませてくれよ」



 再び怪人の血から、無数の剣が創り出される。その矛先は先ほどまで同様に、私の背後に向いていた。

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