第5話 これからについて
「はあ、上手く撒けたか……」
先ほどの魔法少女から逃走を開始して、数分後。適当な建物の陰に隠れると、ようやく一息がつけた。
変身を解除すると、サイズが絶望的に合っていない男物の服に戻る。
「くそ……やっぱり無理か……」
相変わらず俺の容姿は、少女のままだった。両手で頭を抱えて、思わず項垂れる。昨日降った雨が残していった水たまり。それが鏡代わりとなり、今の俺の姿が写し出される。
年齢は十歳ぐらいだろうか。肩にかかる程度の長さの黒髪。胸は年相応の膨らみがある。可愛らしい顔に反して、泥のように淀んだ目。僅かな風で発生する波紋によって、波立つ水たまり。ぐにゃぐにゃと形を一秒ごとに変化させる、少女の顔。けれど決して色の変わることのない二点の黒が、俺を射抜いてくる。
「俺……これからどうしよっか……」
今後の方針が、今の状態で定まる訳がない。俺が佐々木白という男性であったことを証明するのは、俺の記憶だけになってしまった。この姿では家族や知り合いを頼ることもできず、絶望的な状況だ。
佐々木白という人間は死んでしまった。その事実を受け入れるしかないのだろう。
問題は今後の進退についてだ。クロのお陰で蘇り、魔法少女としての力を行使できるようになった。だが見た目はどう取り繕っても、幼い少女に過ぎない。国の法律によって、様々な制限が課せられてしまう。
何故自分はこんな理不尽な目に合うのだろうか。その原因であった、豚面の怪人のことを想起する。しかしあの怪人は既に倒してしまい、クロの仇討ちや憂さ晴らしはもうできない。
(ならいっそのこと、別の怪人にでも当たるか……)
我ながら名案ではないだろうか。動機は不純かもしれないが、やろうとしていること自体は結果的に人助けだ。特有に問題はない。なりより元とはいえ男の自分が矢面に立てば、その分他の魔法少女の負担が減るだろう。それが微々たるものであったとしても。
(他の魔法少女か……)
脳裏に浮かぶのは、先ほどの赤い服が特徴的であった魔法少女。彼女の何の打算もない、こちらを気遣う表情が鮮明に思い出される。
「また会えるかな……って、魔法少女は他にも大勢いるんだ。煩悩退散!」
何故か、あの少女に心が惹かれてしまう。頭を激しく振り、意識を切り替える。
「取り敢えず、アパートに戻ってみるか!」
■
目立つことを避けるために、辺りが暗くなるまで待機する。今の容姿で服装がサイズの合っていない男物である限り、周囲の視線を集めることは不可避だろう。魔法少女に変身したとしても、魔法庁に登録されていない自分では余計な厄介事を引き寄せるだけだ。少々夜道は危険だが、大人しく時間を潰しておいた。
アパートまでの道のりを、すれ違う人間に怪訝そうな目つきで見られたが、幸い通報されずにすんだ。不審者の類にも遭遇することはなかった。
「今日だけで色々とあったな……」
自分が借りている部屋の前に立つ。ようやく非日常から日常に帰ってきた気がした。今朝より高い位置にあるドアノブを回して、住み慣れた部屋へと入る。
「ただいまー、クロいないのか――」
いつもの癖で、同居していた愛猫の名前を呼んでしまう。今だに自分のものとは思えない少女の声が、無人の室内に響く。しかしそれに答える「にゃーん」という鳴き声はない。その事実が、俺に一つの事実を突きつけてくる。
「そうか……そうだよな……クロの命を直接奪ったのは俺じゃないか……」
急に体から力が抜け、膝から崩れ落ちる。男としての理性が緩み、床についた両手に冷たさを感じた。どうやら気がつかない内に、涙が流れていたようだった。
どのくらい時間が経ったのだろうか。頬をつたっていた涙は既に乾いていた。余った袖で顔を擦り、立ち上がる。
「取り敢えず、腹ごしらえでもするか……」
電気のスイッチを入れ、遅めの夕食に取り掛かった。
今晩の献立は何とか二、三個残っていたカップラーメンの一つと、冷蔵庫の隅に眠っていた惣菜。お湯を注いで三分間待つだけで完了する調理は、一人暮らしの大学生の十八番である。
調理にかかる時間も短ければ、食すのにも短時間で終わってしまう。今朝までであったら、クロと一方的な会話を楽しみながら、食事を行っていたので、寂しいと感じたことはなかった。一人での食事は、思いの他孤独感が湧き上がってくるものだ。
ずうっと、少々下品な音とともに、カップラーメンの汁と沈殿していた具を全て飲み込む。
「ごちそうさまでした」
日本人としての性か。食事が終わった合図としての決まり文句を、両手を合わせながら行う。質素ではあるが、腹ごしらえは済んだ。体が少女のものになったせいか、満腹になった瞬間睡魔に襲われる。
片付けを後回しにして、何とか体を寝室の方まで引きずる。
「もう……無理……」
ばたん、と安物のベットに倒れ込む。眠気に身を任せて、一眠りすることにした。クロがいなくなった事実や、少女として生き返る羽目になった現実から、目を背けるように。
■
夢を見ている。その事実に気づいたのは、些細な違和感がきっかけであった。その違和感とは、その日に初めて出会ったはずの少女が登場したからだ。その少女は現実の時と同じように、こちらを心配するように視線を向けていた。唯一の違いを挙げるとしたら、彼女は魔法少女に変身しておらず、制服を着崩すことなく着用していた。
普通魔法少女の変身前と後では姿を同一視できないように、認識阻害が機能している。それにも関わらず、どうして自分はこの少女を、あの赤い魔法少女が同一人物だと分かったのだろうか。
そんな事をふと考えていると、少女が口を開く。
「――――!」
ざあ、ざあ。思ったよりも激しい雨音で、少女の声が耳に届かない。振り続ける雨が体に容赦なく当たり、体温を奪ってくる。
体が冷えてきて、意識を失いそうになる。
その時、体に落ちてきていた雨が遮られる。どうやら少女が差していた傘で、こちらの体を覆ってくれたようだ。
「――――」
相変わらず、雨がアスファルトを叩く音がノイズになり、少女の声は聞こえてこない。
――思い出さない、といけない。
謎の焦燥に駆られる。しかしいくら思考を働かせようと、その疑問が晴れることはない。
――そこで、夢は終わってしまった。
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