第3話 初戦闘

「はーーーーっ!?」



 驚愕のあまり、とてつもない声量が響き渡る。しかしその声も、自分のものとは似ても似つかない。



 俺の大声に反応したのか、次の獲物を求めて移動を開始しようとしていた豚面の怪人が、頭をこちらに向けてきた。愚鈍そうな瞳と視線が交差する。

 その瞬間、間抜けな豚面に相応しい醜悪な笑みが浮かぶ。



「やばっ!」



 訳の分からないまま少女の体になった俺の二度目の生の終わりを、直感的に悟ってしまった。





「うん、完勝だな」



 自分の宣言だけが、辺りの空間に木霊する。俺の周辺に散らばっているのは、先ほどまで確かに生きていた生物の肉塊。その正体は、男であった俺の体を脳天から叩き潰してくれた、あの豚面の怪人であった。

 サイズの合わない服がたっぷりと吸い込んだ、生暖かく赤黒い液体。全身にまとわり付くようなその不快な感触に苛立ちながら、ここ数分間の出来事について思いを巡らせる。





 自分が現在置かれている状況を碌に把握できないまま、豚面の怪人の標的になる羽目になってしまった。ずれ落ちてその役割を果たしていないズボンに足を取られながら、後ろに後ずさる。目の前の怪人から少しでも遠くに離れるために。



「■■■■……!」



 理解不能な言語が、人間のものとは思えない声で紡がれる。そもそもそれに意味があったのか、それさえ分からなかったが。

 豚面の怪人の視線が自分に注がれる。男であった時には絶対に意識することのなかった、性的なものを含んだ目線。それに気づくことで全身に鳥肌が一斉に立つ。



「いや……来ないで……」



 本当に数分前まで男であったとは思えないほどの情けない懇願。自分の中で男女間の境界のバランスが急速に狂っていく音がした。



 興奮したような鼻息。遠目からでも一目で分かるほど大きく膨れ上がった雄の象徴。ファンタジーな世界観の成人向けの同人誌やゲームで、オークといった魔物がよく登場するのか、本能的に理解できた。存在そのものが、女性の生理的嫌悪を誘発するからだ。



 そのオークと瓜二つな怪人が、接近してくる。諦めに似た感情で、思考を停止させていた。



『――ボクは君に、これからも生きていてほしいんだ』



 その時に脳裏を過ったのは、先ほどのクロの言葉であった。



(――何弱気になってんだ。クロに生きてくれって頼まれたんだろ! そもそもクロが死んだ原因の一端はこいつだ!)



 家族同然の存在を奪われた理不尽。これまでの日常を崩壊された恨み。それらの負の感情を種として、眼前の怪人への憎悪を爆発させる。



 力の入らない体を無理やり起こす。あの不思議な空間で、クロは言っていた。自分の力と魔力を全て譲渡すると。



(今の俺にはクロの力が宿っている……! この力がどの程度のものか全く不明だけど、クロ……俺に力を貸してくれ!)



 思いが天に通じたのか。その瞬間、体の底の方から力が溢れ出してきた。直感的に察することができた。これが魔力だということを。そして魔力そのものは無色な力の集合体に過ぎず、扱うためには指向性を与えなければならない。



 魔力を扱う。今まで人生において経験がない。しかし、見本をテレビやまとめサイトにある切り抜き動画で、触れたことは何度もある。元男としての理性が拒絶の意を発しているが、死ぬか生きるかの瀬戸際だ。選択している余裕はない。



 魔力が知覚できるのか。突然変化した俺の雰囲気に、焦りを覚えた怪人は斧を両手で構え直して突撃してきた。



 ――だが、もう遅い。時間は十分だ。



「――変身!」



 体内で蠢いていた魔力が形を与えられて、放出される。閃光が周囲を満たして、怪人から視界が一時的に失われる。



 十秒にも満たない時間。光が収まった路地裏に立っていた俺の姿は様変わりしていた。

 体全体を覆い隠す、ゆったりとした法服ような造りの服。その色は神聖さを感じさせる、汚れなき白ではなく、その逆の漆黒。幼く小さい手に握られた杖の外観も、どこか禍々しいものになっている。



 ――魔法少女。それがクロの力を行使するために、俺が選らんだ手本。そして、今の俺そのものだった。



「――行くぞ、豚面野郎。さっきの礼はしっかりと返してやるからな」

「■■■■……!」


 俺のその発言に苛立ちでもしたのか、呆けていた怪人が改めて得物を構える。怪人のこちらに対する態度が、先刻までとまるっきり違っていた。それまでが狩人が哀れな羊を前に抱く嗜虐心であれば、現状は未知の存在に相対した時に発生する警戒心。

 怪人はこちらの出方を伺うばかりで、手を出してくる様子は見られない。その事実が、この力が目の前の怪人に通用する証明になる。



「お前から来ないなら、こっちから攻撃してやるよ」



 身の丈ほどの長さの杖を媒介に、黒く染まった魔力を通していく。初めて魔力を扱うというのに、自然と魔法を組み立てることができる。生まれついた時から共にあったような、傍で誰かが支えてくれるような。そんな安心感に包まれている錯覚を抱く。



「――ありがとな、クロ。魔法発動『■■■■■■■』」



 杖を――いや俺を基点に魔力が収束し、一つの魔法が構築されその効果を発揮する。

 俺の背後に浮かび上がる幾何学的な模様が描かれた、巨大な鉄製の門。鎖で厳重に封鎖されたそれは、まるで何かを封じ込めているかのようで――。

 がちゃん、と大きな音を立てて、門の鎖が弾け飛ぶ。軋む際特有の不協和音を奏でながら、開かずの門がゆっくりと開けられる。

 そこから這い出してきたのは、一本の腕――ではなく、一体の異形だった。一目ではただの女性にしか見えないソレは、異様に背が高かった。白い服に、白い帽子。それらを身に着けたソレの身長は二メートルを軽く越えていた。顔は目深に被られた帽子のせいで確認することはできない。



「――やれ」

「――――」



 ソレは豚面の怪人とはまた異なる何かを呟きながら、瞬きの速度で間合いを詰める。



「■■■■――っ!」



 ソレが行ったのは、抱擁。怪人に抱き付き、その豊満な胸に包み込む。絵面にさえ目を瞑れば、男女の美しい絆を育む行為。しかし当の豚面の怪人は苦しそうに藻掻き、ソレの拘束から逃れようとしている。顔に浮かぶ苦痛の表情から、相当な握力によって抱きしめられているようだ。



「■■■■……」



 豚面の怪人が事切れるまで、そう時間はかからなかった。五分が経過しない内に、過剰な力を加えられた怪人の肉体は弾け飛び、血の雨を降らした。



 その結果に満足したのか、ソレは再び出現した門の方に向かって歩いて行った。その両手に怪人の心臓や幾つかの肉片を握りしめたまま。



「お疲れ様ー。ありがとうねー」



 ソレを手を振って見送りながら、変身を解除する。



「うん、完勝だな」



 黒色の衣装が、ダボっとした男物の服に変わる。サイズの合わない服は可哀想なことに、辺り一体に散らばった臓物の山に沈むことになった。



「あ、やべ。汚れちゃった。てか、そもそもどうやって帰ろうかな……」



 帰宅する方法について悩んでいると、俺に話しかけてくる少女の声がした。



「――貴女、大丈夫ですか!」

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