第17話 たった1つの能力の綻び

 リサはガード不可能の剣技をイグニスに向かって放つ。イグニスにできることはこの攻撃を避けることだけ。


 夢の中にいるリサはほぼ無敵の力を手に入れている。制約がある現実世界の住人であるイグニスが太刀打ちできないくらいに強い。


「これが紋章の力なのか」


 イグニスは剣をぐっと握る。リサの剣戟はとても素早い。だが、速いだけである。構えから動作に隙が多い。


 根本的にリサは剣技を真面目に練習をしてこなかったのだ。夢の中でなら、とても素早く動けるのであるが、元々の剣技に対する知識と経験が不足しているために、イグニスのように正確無比な動きをすることができなかった。


 そこにイグニスが付け入る隙があった。イグニスは剣を構えて剣を放つ。


「霧風!」


 イグニスが斬撃を飛ばす。その斬撃がリサに命中した。いや、リサは避ける必要がないからあえて受けた。現実のリサを傷つけても夢のリサが傷ついているわけではないから、ダメージが反映されていない。


 そんな反則的な理屈であらゆる攻撃を無効化しているリサ。その能力に弱点はあるのかどうかは検討もつかない。


 それでもイグニスは諦めるわけにはいかなかった。剣を振り続けて、いつかダメージが通ることを信じる。


「なぜまだ立ち向かう?」


 リサがイグニスに問いかける。イグニスは「ふっ」と笑った。


「無駄なのがわかっているからなのだ。例えばどんなに強い剣士でも寝ている時は無防備というものだ。だが、あなたは眠っている時が最大限に強い。ということは、逆説的に考えれば眠っている限りは無敵。それは、いついかなる時も隙がないというわけだ」


 人間が最も無防備になるのは眠っている時である。その眠っている時が隙にならずに、むしろ最強の状態。それがこれほどまでに厄介だとはイグニスも思わなかった。


「なるほど。寝込みを襲うこともできない。だから、こうして今ここで対処法を見つけようと言うのだな」


 リサの口角が上がる。そして、リサは剣を持ち、イグニスに振るう。


「うおっ……」


 イグニスは剣をかわす。ギリギリのところで命中は避けられた。


「考えてはいるようだが賢くはないな! 斬風!」


 リサがデタラメなフォームで剣を振るった。それでも、斬撃は飛んでくる。イグニスはその攻撃をかわした。


 リサがいくら夢の中のものを反映できるとは言え、それが反映できるのはあくまでも自分の周囲の状況だけである。イグニスの動きまで制御はできない。


 だが、イグニスが回避したことでその背後にいるシエルの娘に斬撃が命中した。


「んぎゃあ!」


「娘!」


 イグニスが振り返る。シエルの娘は胸部を傷つけられている。胸から血をダラっと流して……彼女は目を瞑り気絶してしまった。


「まずは1人」


「くっ……」


 大事な戦力を1人失ってしまった。まだ息はあるが戦闘はできる状態ではない。これは不利な状況。それでも、イグニスは諦めずに剣を握った。


「まだ立ち向かうか」


「当然。王が背を向けるわけにはいかぬ」



 シエルの娘。彼女の意識は薄れていた。その薄れゆく意識の中でぼんやりとしていた彼女。そのぼんやりする感覚が弱まっていき、段々と意識が鮮明になっていく。


「え?」


 シエルの娘の意識がハッキリとする。殺風景な岩場。赤い月が昇っている奇妙な空間にシエルの娘はいた。


「ここはどこなの?」


 シエルの娘が辺りを見回す。するとそこにいたのは、なんとリサだった。


「あ、あいつは!」


 シエルの娘はリサに向かって飛んだ。空を切る音。それを聞いたリサはシエルの娘の方を向く。そして、彼女の存在に気づいた。


「え……? ええ! ア、アンタ! この夢の世界に入ってきたわけ!?」


 リサは明らかに動揺している。リサは持っている剣を使ってシエルの娘に応戦しようとする。リサがシエルの娘に斬りかかった。シエルの娘はその攻撃をかわす。


 一方で、現実世界でのリサは……全く関係ないところを剣で斬っていた。


「?」


 イグニスは急なリサの奇行に首を傾げた。なぜ、リサは自分を攻撃せずに何もないところを攻撃したのか。現実世界のイグニスの視点からではわからなかったのだ。


 夢の世界のリサは現在、その世界に入り込んだシエルの娘と応戦している。だから、そのシエルの娘がいる方向を斬ったのだ。


「まあ、変な夢でも見ているんだろう」


 イグニスは特にリサの行動に回答を求めなかった。さきほど、リサがケーキを丸ごと食べる奇行をしている。考えるだけ無駄だと判断した。


 だが、リサの奇行は続く。夢の世界のシエルの娘と戦っているので、完全にダンスを踊るように無駄な動きばかりをしている。


 流石のイグニスもこれはなにかがおかしいと勘づく。


「なんだこれは……一体何が起きている?」


 だが、それが攻略の糸口につながるとは思いもしなかった。思っていても、イグニスにはそれができない。


 なぜならば、イグニスは夢を見ない体質だからである。


 リサの夢の世界に介入できるのは近くで眠っている人間のみ。その人間が夢を見たら強制的にリサの夢の世界に入り込んでしまう。


 これはリサでも防ぐことはできない。そして、夢の世界のリサが傷つけば……


「もらったァ!」


 夢の世界にてシエルの娘がリサに一撃を浴びせた。リサの頬にシエルの娘の爪がかすめて、血が傷がつく。


 だらっと頬から流れる血。リサは手を当てて自らの血を確認した。


「な、なんで……!」


 夢の世界で傷ついたリサ。リサの能力は夢の世界の出来事を現実にも反映させる能力である。夢の世界で傷ついたリサは現実世界でも傷ついてしまう。


 現実世界のリサが頬から血を流していることにイグニスが気づいた。


「ダ、ダメージガ入っている? どういうことだ? 私は何も攻撃していないぞ」


 リサの攻略方法。それは、夢の世界に入り込んで倒すことである。偶然にもシエルの娘が気絶をして夢を見たから、勝ち目が出てきた。


 イグニス1人では絶対に勝ちようがない相手。それをシエルの娘が戦っている。


「ウ、ウチを舐めるんじゃない! これでもグレナの兵士。こんな小娘1人に遅れなどとらない!」


 夢の世界で身体能力が強化されたリサ。だが、それでもシエルの娘の方が早かった。


「えいっ!」


 シエルの娘がリサの鳩尾に掌底をくらわせる。リサの口から、げほっと涎が飛び出てくる。


「がはっ……ぐっ……」


 リサは鳩尾を抑えて恨めしそうにシエルの娘を見た。リサの基本的な戦闘能力はそこまで高くない。それに対して、シエルの一族は猛禽のDNAを取り込んでいるので基本的に強い。


「これで終わらせてあげる! バードスクラッチ!」


 シエルの娘がたった今編み出した必殺技。爪で相手の肉を削り取るだけの簡単な攻撃。それがリサに命中して、彼女の腹部の肉がそぎ落とされた。


「うがっ……」


 夢の世界のリサは倒れた。それと連動して、現実世界のリサも倒れた。


「え? なんか知らんけど血を吐いて倒れやがった」


 イグニス視点からでは無敵の能力を持っていた女がいきなり倒れたことになる。これはただただ奇妙なことで恐怖すら覚えてしまう。


「んっ……んんー」


 シエルの娘が気絶から目を覚ました。


「シエルの娘よ。無事か?」


「野菜……たべたい」


「ほら」


 イグニスは携帯していた野菜をシエルに食べさせた。シエルは栄養を補給したことで傷が回復した。


「ふう。治ったー!」


「ああ。良かったな。なんか知らないけど、リサが倒れていたぞ」


「え? おじさんが倒したの?」


「知らん。勝手に倒れた」


「へー。不思議なこともあるんだね」


 シエルの娘。夢は見るが、その内容までは覚えていないタイプ。リサを倒したのは彼女であるが、それは決して後世には語り継がれない。

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